2019年06月15日号
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日大映研/VAN映画科学研究所

Nihon University Film Study Club/VAN Film Science Research Center

日大映研とは、1957年に平野克己、神原寛、康(谷山)浩郎によって設立された日本大学芸術学部映画研究会の略称であり、少し遅れて城之内元晴と足立正生もここに加わる。日大映研としての第一作である『釘と靴下の対話』(1958)に始まり、『Nの記録』(1959)、『プープー』(1960)を制作した後、学内組織は新映研に引き継がれる。それと同時期に、城之内、神原、足立、浅沼直也、川島啓志によって、映画制作の運動を学外で引き継ぐ場所として、60年にVAN(ヴァン)映画科学研究所が設立された(前身はFAAという名称であったが、改名された)。VANは映写機と現像室を備えた共同生活を基盤とする映画制作の場であった。また、赤瀬川原平、風倉匠、中西夏之、小杉武久、刀根康尚、飯村隆彦、オノ・ヨーコなど、戦後前衛芸術の主要な作家がここで交流し、政治と映画と前衛芸術が混交する場にもになっていた。VANは撮りためられた安保闘争の学生デモのフィルムを用いて『ドキュメント6・15』(1961)を制作し、そのフィルムは学生運動で命を落とした樺美智子の追悼統一集会で上映され、ハプニングと混乱を引き起こした。一方、日本大学の新映研では『椀』(1961)と『鎖陰』(1963)が制作される。特に『鎖陰』は劇映画でありながらシュルレアリスム的な表現が突き詰められた、学生映画の枠を遥かに超えた実験映画と呼べる作品であった。『鎖陰』は京都において「鎖陰の儀」(1964年5月15-16日)と題されたハプニングと映画が入り混ざったイヴェントにおいても上映され、ここには赤瀬川、風倉、小杉、九州派などが参加した。日大映研とVAN映画科学研究所の活動を概観すると、設立当初から集団的な芸術運動体のなかでの映画制作を追求していたことが指摘できる。その運動体の越境性こそが、同時代の現代美術、音楽、ハプニング、そして政治運動との交流を引き起こし、映画をハプニング的状況のなかに溶け合わせるようなイヴェントを可能としていたのだといえる。

著者: 阪本裕文

参考文献

  • 『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』, 平沢剛編, 河出書房新社, 2001
  • 『映画/革命』, 足立正生(聞き手=平沢剛), 河出書房新社, 2003
  • 『解体劇の幕降りて 60年代前衛美術史』, ヨシダ・ヨシエ, 造形社, 1982
  • 『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』, 黒ダライ児, グラムブックス, 2010

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