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昨年12月12日に西宮市大谷記念美術館で開催された1日だけの展覧会「美術館の遠足」をレポートしたい。東北在住のぼくがなぜ関西のアート・イベントを、と不審に思われるかもしれないが、今回で3回目を迎え、関西圏ではその存在もつとに知られたこのユニークな試みを、ぜひ東日本のアート・ファンにも紹介したいからである。そのために、東京を飛び越えて、東北から感想を寄せるというのもよいのではないだろうか。実のところ、関西・福島間は飛行機を使えば約1時間、想像以上にその距離は近い。さらに言えば、ぼくのいるCCGA現代グラフィックアートセンターは空港から車で約15分なのである。
さて前置きはこのくらいにして、最初に展覧会の概要を簡単に紹介しなければいけないだろう。「美術館の遠足」と名付けられたこのイベントは、関西を拠点に活動するサウンド・アーティスト藤本由紀夫と西宮市大谷記念美術館のコラボレーションによる展覧会。1997年から2006年までの10年間、同館で毎年1回、1日だけ開催するという長期的なプロジェクトである。
出品作品は、藤本由紀夫が80年代の半ばから作りつづけている「音」に関する一連のオブジェを中心に、聴覚、視覚、嗅覚といった人間の知覚をテーマにしたもので、ほとんどが、オルゴールやドアについている防犯用レンズといった、きわめて日常的な素材の単純な組み合わせでできている。多くは、観客が作品に耳を当てたり、ねじを巻いたりすることで成立するインタラクティブな要素を備えており、極限までシンプルでロー・テクながら、見る者の知覚すべてに働きかけるという点において、凡百のメディア・アートにはない非常に良質なマルチ・メディア作品になっているところが最大の魅力である。
藤本の狙いは、そうした日常的な素材の作品を通して、普通の日常生活の中では意識の端にすら登ることのない知覚やそれを取り巻く空間の存在を体験させようということだろう。だから、本展では作品は鑑賞するものはでなく、身体の知覚を総動員して体験するものである。ぼくは1昨年につづいて2度目の体験となったが、当日は、作品が展示室だけでなくロビーや廊下、階段、敷地内の日本庭園や茶室、はては屋根裏やエレベーターの中にまで、館内のいたるところに置かれ、さながら遊園地のよう。遊園地ですごす1日が、果てしなく繰り返される日常にあって、ちょっとした非日常を体験するための小旅行だとしたら、思い思いに館内を散策し、作品が発するわずかな音に熱心に耳を傾けている観客の姿は、まさに遊園地にでも遠足にきた人々のそれであった。
それにしても、1日だけとはいえ、館内スペースを部分的に使ってのイベントと異なり、けっして狭くない全館を使用しての本格的な個展だから、準備にかける労力も時間も、そして当然のこと費用も、通常の展覧会とさして変わらないはず。展覧会を企画する立場から言えば、それだけでもこの試みのユニークさは際立っている。だが、単に珍しいという以上に、この1日だけの開催という形態はさまざまな点から示唆に富んでいたようにも思う。
たとえば、これを、観客動員数の多寡という美術展の評価でもっとも一般的な定量化に対する問題提起ととることも可能だ。無論、一人でも多くの入場者が展覧会を訪れるのに越したことはないが、東京芸大美術館開館記念展の加熱ぶりを見れば、もはや観客動員数という数字のみが独り歩きしてしまっている感を免れない。本展にしても、今回の開催1日で動員数が初年度の3倍の約1,500人に達したという数字が公表されており、動員数による定量化の呪縛から逃れられているわけではないだろうが、事業予算○○万円で会期○○日間の結果が入場者数○○人、という従来の美術展システムのあり方や、それを取り巻く行政や企業、当の美術館、そして誰よりも展覧会の受容者であるところの観客の意識に一石を投じていることは確かである。
また、このプロジェクトが、観客が作品を受動的に鑑賞するのではなく、観客の能動的な参加によって成り立っていることも忘れてはならない。観客による体験の場という点では、展覧会と言うよりむしろワークショップと呼んだほうが相応しいのだが、逆に言えば、こうしたワークショップ的なあり方が、「さあこれが芸術というものです。謹んでご覧ください」式の従来型美術展や、アートそのものの行き詰まりに対する一つの回答にもなり得ているのではないだろうか。
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