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共和町、西村計雄記念美術館
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倶知安町、小川原脩記念美術館
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北海道のなかでも後志地方は、地元出身の芸術家の作品を収集展示する個人美術館が多い地域である。スキー・リゾート地としても名高いニセコ連峰や蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山など、この地の雄大な自然が優れた芸術家を育む大きな要因になっているのだろう。この地域に点在する木田金次郎美術館(岩内町)、荒井記念美術館(岩内町)、国松登ギャラリー(真狩村)、有島記念館(ニセコ町)という4つの美術館や文学館を巡る周遊コースは、1995年に「しりべしミュージアムロード」と名付けられ、協力し合いながら共同で広報活動などを行ってきた。札幌から車で数時間ほどの距離であり、途中の「ニセコパノラマライン」と呼ばれる風光明媚な峠越えを含むルートは、自然と美術を楽しめる絶好のドライブコースとして人気が高い。
昨年の11月初頭、この地域にさらにふたつの美術館が相次いでオープンし、「しりべしミュージアムロード」に仲間入りした。共和町に西村計雄記念美術館、倶知安町に小川原脩記念美術館。いずれも地元出身の洋画家の公立の個人美術館であり、作家からの寄贈をもとにしたほぼ同規模の建物である。
西村計雄(1909- )は、東京美術学校で藤村武二に師事し、卒業後、文展などに入選、入賞したのち、1951年に42歳で単身で渡仏。ピカソの画商として知られるカーンワイラーに認められ、フランスで評価を高めた。自然の情景から想を得た光や風を感じさせる流麗な線が織りなす世界を特徴としている。開館記念展として「光と風の詩情〜西村計雄の世界」と題し、東京美術学校時代から近作までの約70点によって、作品の変遷をわかりやすく追っている。
一方、小川原脩(1911- )は、東京美術学校に学び、戦前には前衛的な絵画グループに参加し、「池袋モンパルナス」の作家たちとの交流を通してシュルレアリスムに傾倒。戦後は故郷に戻り制作活動を続けている。60歳を越えてからはアジアへの関心を高め、旅先での取材もとに叙情豊かな作品を描いている。美術館では、常設展として中国、チベット、インドに取材した27点、企画展として20歳代の作品17点を展示している。
こうした郷里に建てられた美術館の醍醐味は、作家の原風景となっているその地の風土を肌で感じながら、作品と接することができることであろう。小川原脩記念美術館の背景に広がる壮大な羊蹄山の姿もさることながら、小高い丘に佇む西村計雄記念美術館の窓から眼下に広がる何もない真っ白な雪原は実に美しかった(僕が訪れたのが前晩からの雪が上がり晴れわたった日であったため、特別なのだと学芸員は言っていたが…)。故郷の倶知安町に暮らす小川原とは対照的に西村はパリや東京に活動の場を求めたが、「いつでも、何につけても、故郷の小澤の風景が頭に浮かんでくる」というように、彼の心の底にはこの地の風景が焼き付いている。
どこの美術館でも開館間もなくのころは、珍しさも手伝って来館者も多い。入館者を維持し、魅力的な美術館であり続けるためにはどうしたらいいのか。観光地としての集客だけではなく、地元住民の文化の拠点としての活動に今後の真価が問われるところであろう。
なお、今年4月には、さらに中山峠に、アールヌーヴォーを中心とした19世紀末のヨーロッパのガラス工芸品や家具、野鳥の写真を展示する喜茂別町立の美術館が開館し、「しりべしミュージアムロード」に参画する予定である。
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