香川
毛利義嗣
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日本ゼロ年
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飴屋法水 展示風景
会田誠 戦争画RETURNS
展覧会場の最後のコーナーは、と最初に言うのもなんだが、飴屋法水の作品であった。「水戸芸術館とのあいだに交わした契約書をめぐるやり取りを、飴屋自身と企画者である椹木野衣に送付されたファックスで再構成した」(解説より)ものと、「インプリンツ・オブ・自分 あなたに対する100の質問」という社会的文化的「刷り込み」を扱ったアンケート、もうひとつ、天皇の例の「〜を、希望、します」という声と「いしや〜きいも〜」のフレーズなどをリミックスした曲、である。どれも、美術館も含めた社会制度をいじっているわけだが、しかし全体のどうにもストレートで投げやりな雰囲気から導かれる感想はやはり、飴屋は「美術」を完全に降りた、ということだろう。いや、もともと「美術」に參加してなどいなかったのだが、少なくとも90年代の一時期、彼が行ったいくつかのプロジェクト、彼が作ったいくつかの作品は、結果的に「現代美術」のエッジを鮮明に立ち上げると同時に直ちに廃棄するような危うさを抱えていた。しかしいま、動物堂あらため「動物堂 OWL ROOM」の店主である飴屋は、「現代美術」どころか「美術」からも「作る」ことからさえも白々と遠い場所にいるようにみえる。このように終わった「ゼロ年」がこれから始まるのだとすれば、それはどのような場所に向かうのだろうか。
日本語でいうところの「現代美術」なるフレームがもはやその效力を失っているのだから、それをリセットして現在の美術表現のすべてを等価な意匠として組み立て直す、という椹木野衣の論旨はなるほど魅力的だし、そのようにして改めて見いだされたものを体験したいと夢見る気持ちは、私にもある。にもかかわらず、今回の展覧会の趣旨(といってもまだカタログを見ていないので、既に書かれた文章から判断するわけだが)には、共感と同時にある疑問を抱いてしまう。それは簡単にいえば、「日本」にやや期待しすぎているのではないか、ということだ。別に出品作家がすべて日本のアーティストであるとか、その扱う主題に「日本」が頻出する、ということではない。いわば、「現代美術」を取っ払って残った〈美術〉の「日本」性に意味を与えすぎなのではないか、と。日本の近代はいびつなものであった、ことによると近代などありはしなかった、OK、そんな中で欧米のモダンアートをいびつに移植したものとしての「現代美術」の有効期限は過ぎた、OK、したがってこの国のそのような土壌から生まれた樣々な美術表現を等し並に見直すべきである、OK。ところで一方、そんな特殊事情は日本だけが特別に抱えているわけではない。例えばアジアに限ってもその種の特殊事情は近鄰のどこの国だって、むしろもっと込み入った近代化の事情を持っている。日本の「現代美術」の土壌が特殊なものだとしても、特殊なこと自体は別段特殊なことではない。あるいは、「欧米」と一樣に呼んでしまいがちな国々であっても、それぞれが個別の特殊な近代を辿って来たことに違いはない。異なるのは、彼らのあるクラスが、日本で「美術」と呼ばれるものにとりあえず対応するものの市場でいまだに、というかますますヘゲモニーを握っていることだ。そこで引かれたレールに乗る/乗ったふりをするのでなく、むろん既成の「現代美術」に澱むのでなく、別の方向を探るのがこの展覧会の趣旨であることは述べられているとおりであるが、そうであれば、そこでリセットすべきものは「日本・現代・美術」の後の二語ではなく、むしろ始めの一語だったのではないだろうか。
「日本ゼロ年」とはむろんそういうことだ、ということもできる。確かに、社会と強く切り結ぶのはどう考えたって「日本」であって「現代美術」ではない以上、「日本」を残すことがむしろそれをリセットすることだと。しかし、このところの、頼んでもないのに日本や日本の美術の将来を憂えてくれる人たちがやたら増えてきた状況の中では、企画の意図から離れて、決して「ゼロ」になることのない想像上の「日本」が回帰されつつあるような印象を否めない。考えてみれば、例えば、欧米における日本も含めた「アジア」のアート、あるいは日本における日本以外の「アジア」のアートは、多くの場合、ある種「ゼロ」としての意味を与えられつつ、むしろそのことによって、それが流通する空間を安定させてきたのではなかったか。この展覧会がそれを今度は「日本」を土台に繰り返そうとしてるとは思わないが、結果的にそのような傾向を招く要素はないだろうか。すでに「現代美術」が形骸化しているにしても、そして「現代の美術」があらためて名指され再編成されたとしても、モノは作られ選別され流通する。その際の仕切り直されたスタート地点が、どこか内部だけで響きあう「日本」だとしたら。あるいは、「現代美術」とはジャンルもしくは場所の名ではなく、この国の近代の中で与えられると同時に奪われた(と感じられた)、欠落としての「日本美術」に向かう断続的な運動を指してとりあえず名づけられたものだとすれば、たとえ狹義の「現代美術」をリセットしようとしても、その動き自体は保持され続けるのではないだろうか。
大竹伸朗のノイズマシーン+ワニ
以上のような違和感は、この「ゼロ年」が現代美術専門のアートセンターで行われたことに多く由来しているかもしれない。つまり、その趣旨とは相反するような、最もまっとうな「現代美術」の空間とシステムの中で開催されていたということだ。もちろん、椹木も述べているように、この展覧会はいまだひとつの「きっかけ」だろうし、美術館という会場、展覧会という形式を選んだのも、それが現時点である程度有効であるからのはずだ。その点、「ゼロ年」はとてもいい「展覧会」だったといえる(実際、私が勤める美術館も含め多くの美術館では、飴屋の「天皇リミックス」も会田の「戦争画RETURNS」もたぶん展示できないだろう。それ自体哀れなことではあるが、逆にいえば「現代美術」が多少なりとも機能している場所などもともとほとんどない、ともいえる。現に、とりあえず「現代美術」の看板を掲げた美術館でどう考えても「現代美術」にかすりもしない展示がしばしば行われている状況では、そもそもリセットするものさえすでにない、のかもしれない)。にもかかわらず、原理的には、樣々な表現を等価に扱う、ということと美術館という空間とは相入れない。どのような種類の展覧会であっても、そこでは選別と評価が行われる。それが美術館でありキュレーションという行為だ。もし美術館においてそのようなキュレーター的判断を行わないとすれば、岡崎乾二郎がいうように、市民ギャラリー的機能をもっと徹底させるしかないことになる(にしても実際には、現状よりはるかに混乱を招くようなシステムを組織する必要があるが)。もっとも、椹木は作品のクオリティを評価することを別に放棄してはいない。等価に並べた上で選別を行っているわけだ。確かに、作品と呼ばれるもののクオリティには相対的な高低があるように見える。しかしそのことと、それを表明することとは異なるレベルの問題のはずだ。「現代美術」をリセットすることと、それらの作品の〈美術〉としてのクオリティを問うことは、やはり矛盾してはいないだろうか。要するに方向はふたつしかない。作品のクオリティを「あえて」問わないか、それを「あえて」問うかである。この展覧会のキュレーターは前者のスタンスを志向しながら現実には後者を推し進めている。だから、彼が望んでいるものはたぶん、「現代の美術」というよりむしろ「現代の美術史」なのだと、思う。
いずれにせよ、制度を解体する手つきは制度に寄りそって現れがちである。それでもなお個々の作品は、そこからどうしようもなくはみ出してしまうズレを示すことがある。それは私にとっては、大竹伸朗のイイ音を出している意味不明のノイズマシーン+ワニであり、冒頭に述べた飴屋の美術無関心コーナーであり、会田の「日本」シリーズ(とはいうものの、見かけに反して会場の中で最も「日本」が少ないのは彼の作品だと思う)であった。
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出品作家:会田誠 飴屋法水 大竹伸朗 岡本太郎 小谷元彦 できやよい
東松照明 成田亨 村上隆 ヤノベケンジ 横尾忠則
企画:椹木野衣
会場:水戸芸術館現代美術センター
会期:1999年11月20日〜2000年1月23日
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