東京
荒木夏実
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パンドラの鐘
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野田秀樹の脚本を野田本人と蜷川幸雄がそれぞれ演出し、同時期に2つの劇場で発表するという野心的な試みが行われた。かなり対照的な2人の大物演出家の「勝負」とあって注目は高く、私の観た回は両方とも立ち見が出るほど盛況であった。蜷川版では森村泰昌が「女優家」として出演している。
第二次世界大戦直前の長崎を舞台に、考古学者たちの発掘によって噴出する謎と、古代の王国の物語が交錯する展開はユニークだ。ミステリーの謎解きの面白さがある。それにしても際だったのは演出家による違い。脚本が同じにも関わらず、全く異なるストーリーに思えたのが不思議だ。いや、ストーリーは確かに違っていた。私は蜷川版を先に見たのだが、蜷川特有の重さとウェットさに正直言ってうんざりすると同時に、野田さんらしくない本だなと少々失望していた。しかし、野田版を見て「ああ、こういうことだったのか!」と納得でき、心から感動したのだった。野田版は出演も含めて野田秀樹自身が完全にコントロールしているのだから強い統合性があるのは当然かもしれないが。蜷川版の方が良かったという人もいるので、これは好みの問題もあるだろう。しかし、リアリスティック(演出家の思う)な蜷川の演出より、フィクションに昇華させた野田の芝居の中に本当の「リアリティー」を見いだすことができると私は感じる。それがアートの力ではないだろうか。
またこの作品は、戦争や天皇制について様々な解釈を提示しているという意味でも勇気ある芝居であった。オープニングで忌野清志郎のパンクの「君が代」が使われていたが、野田や忌野のような成熟したアーティストが、斜に構えるのではなくて堂々と問題提起をしている姿は頼もしい。おちゃらけた「ゆるい」芝居の多い中、しっかりした良い作品を見た満足感にひたることができた。それにしても、演出家は芝居の核であることを痛感した。
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作:野田秀樹
演出:野田秀樹
出演:堤真一 天海祐希 野田秀樹 古田新太 松尾スズキ 富田靖子 ほか
会場:世田谷パブリックシアター
公演日:1999年11月6日(土)〜12月26日(日)
演出:蜷川幸雄
出演:大竹しのぶ 勝村政信 生瀬勝久 壤晴彦 松重豊 宮本裕子 森村泰昌 ほか
会場:Bunkamuraシアターコクーン
公演日:1999年11月16日(火)〜12月23日(木)
知覚の実験室
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「インスタレーション」の手法を用いた現代美術の様々な表現を、五感を通じて体験するという趣向の展覧会。全く色の異なる作家が混在しているのが印象的で、正直言ってその内省的なプレゼンテーションに共感できない作家もいた。
ポップな体験型の藤原隆洋の作品は、ゆったりした美術館のスペースでは画廊とは大分違う見え方をしていて新発見だった。
大きな収穫だったのは篠田太郎の「milk」を見ることができたことだ。ミルク色の液体をたたえたプール。その周囲に取り付けられた金属のレールの上を、蛍光灯を載せた装置が滑るように移動していき、隣の装置とぶつかってまた逆方向に動く。金属がぶつかりあう機械的な音を除いてそこには静謐が広がっている。妖しいミルクの湖面に人工的な蛍光灯の光が映る。計算された完璧なフォルムと、蛍光灯のランダムな動き、水面に映る像のバランスが絶妙だ。作家のコントロールの強さと見る人の無限のイマジネーションが矛盾せず存在するという、傑作のみが発揮するアートのパワーが漂っている。竜安寺の石庭をイメージしたという篠田の試みは見事に成功している。瞑想というよりもトリップしてしまいそうであったが……。
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会場:佐倉市立美術館
会期:1999年11月14日(日)〜12月19日(日)
出品作家:斉藤美奈子 篠田太郎 富田俊明 藤原隆洋 安田佐智種
学芸員レポート[三鷹市芸術文化センター]
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10年ぶりぐらいに京都へ行った。私のような東京者にとって「京都」という名前にはうっとりするような特別な響きがある。そこここに「え、あの有名な?」という歴史的名所が点在するこの町は遺跡だらけのローマみたいな場所だ。つい興奮してしまうが、こういう感覚ってまるで「ガイジン」だなとも思う。歴史や伝統を肌で自然に感じながら生活している京都の人がうらやましい。
紙を使うアーティスト扇千花さんのケナフによるインスタレーションを見に行く。これは東山青年の家で行われているケナフ・プロジェクトの一環として企画されたものだ。ケナフは1年草で効率よく二酸化炭素を吸収するエコロジカルな植物として注目されているほか、パルプの代用品として紙を作る研究も行われている。扇さんは紙という観点から、ケナフの木とそこから採った繊維を使ったユニークなインスタレーションを試みた。この美術を使ったアプローチはプロジェクトとしてなかなか気が利いている。京都は「青年の家」が各地域にあって青少年のための活動が活発らしく、東山では演劇や物作りのプログラムが組まれているという。今回のプロジェクトのリーダーが若手の職員ということもあり、肩肘張らない自由な雰囲気があって好感がもてた。しかしかなり年季の入った建物の入り口にはサイケな壁画なども描かれ、「アングラ」なムードが漂っていて少々驚いた。結構ディープだ、「青年の家」。
扇さんに京都のギャラリーを案内してもらう。アートスペース虹では「岡田一郎+藤本由紀夫」展。入り口のサッシ扉に埋め込まれた換気扇がモーターもないのに静かに回転している。真っ白なギャラリー空間には何も置かれていない。しかしじっとたたずむうちに、部屋の壁の上部にもともと付いている換気扇の存在に気づく。これが回ることによって生じた気流がサッシの換気扇に届いて羽根を動かしているのだ。何もないかに見えた空間で「起こっている」できごとが鮮やかに目に映り始める。優雅で美しい作品だ。本展は藤本氏が京都芸大に在籍する岡田氏(1976年生まれ)に声をかけて行われたものだが、藤本氏が若きアーティストをバックアップするという形式をとっており、事実上岡田氏の作品発表といってよさそうである。彼はこれまでにも音や空間を意識した面白い作品を制作しており、注目株だ。
展覧会の案内が送られてくる度その「カッティング・エッジ」な活動が気になっていたヴォイス・ギャラリーでは長谷川博士展が開かれていた。うんざりするほどぎっしりとベンツが並んだ写真の作品名は「高級渋滞」。しかしベンツもマークがないとただの車だ。虚栄心を浮き彫りにするポップな作風は関西テイストといえそうである。東京とは全く違う傾向と魅力を発見するにつけ、全国色々な地域のアートを見なくてはと思う。その時間がなかなかとれないのが学芸員のつらいところなのだが……。
東京との違いといえば、京都の人は「テンポ」が違う。お店などで何度か感じたのだが、「いらっしゃいませ」と言われた後に一呼吸あるので戸惑うのだ。あとバスの急発進急停車には驚いた。でも運転手さんは「お後はよろしいですか」とか「はい、発車しまーす」などとはんなり(?)と声をかけているのだ。うーん、わからない。また駅の構内などで先に行きたい人を効率よく先に通す……ということもないようだ。これはせかせかしている東京だけで見られる現象なのかもしれない。
新発見のある京都はとても楽しかった。でも東京駅に着くとほっとした私はやはり東京人のようだ。
扇千花 ケナフによる
インスタレーション
東山青年の家にて
岡田一郎
+藤本由紀夫展
アートスペース虹にて
長谷川博士展
ヴォイス・ギャラリーにて
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