和歌山
奥村泰彦
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川口軌外展
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川口軌外
「少女と貝殻」1934(昭和9)年
油彩、画布/167.0×267.0
和歌山県立近代美術館蔵
川口軌外
「集団」1956(昭和31)年
油彩、画布/160.5×112.5
和歌山県立近代美術館蔵
「ある洋画家の軌跡」と副題のつけられたこの展覧会、同館での大規模な回顧展としては実に1973年以来26年振りに開催されたものである。もちろんその間にも他の展覧会で紹介され、また同館の収蔵品として展示もされていた作家ではある。しかし一般的には「川口軌外」という名の「洋画家」の存在は忘れ去られつつある現在(などと書くと一部美術愛好家の不興を買うかも知れないが、現実はそんなもんであって)、単に同県出身の作家だからという以上に、日本の近代美術を語るとき忘れるべきでない存在として、この画家の足跡をたどりなおし、記録にとどめたこと自体に、まずこの展覧会の意義はあるだろう。主要な作品は、いくつかの公立美術館に収蔵されており、時に応じて見ることもできるのだがしかし、1892(明治25)年に生まれ1966(昭和41)年に73年で歿したこの画家の歩みは、一堂に作品を並べてみて初めてその意味がわかる所が少なくない。というのも彼は、ほぼ10年区切りで作風を大きく、また自ら意識して変えているため、個々の作品のみを見ると、果たして同一の作家の手になるものか、疑わしくなるほどなのである。画家を志した1910年代(この時代の作品はほとんど残されていないが)、パリに学んだ1920年代、帰国して精力的に制作した1930年代、戦争のため制作が思うにまかせなかった1940年代、抽象化を一気に進めた1950年代以降、それぞれの時代にフランスからの影響は大きい。洋画の本場であるフランスから常に学ぶ姿勢がデフォルトで設定されていたようでもある。だが、作品を通観してみるとき、変転を遂げる様式のすき間から、各時代を貫く軌外の個性がにじみ出してくるのが認められる。とりあえずどの画面にも共通するのは、ある種の無重力感であると言えようか。
前田寛治、関根正二、中山巍、佐伯祐三、里見勝蔵ら、同時代の洋画家たちの回顧展の開催もここ数年来続いているが、近代日本の美術について、作品そのものや資料を改めて見直し、語り直す作業が始められつつあるのではないだろうか。
軌外にしても、日記などの資料が残されていないこともあって、制作時期のような基本的な事項が曖昧なままの作品もあり、この展覧会は研究の成果である以上に出発点の意味合いを強く持つものと言えるのではないだろうか。
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会場:和歌山県立近代美術館
会期:1999年11月2日〜12月12日
問い合わせ:Tel. 073-436-8690
岡田一郎+藤本由紀夫展
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この画廊は、通りに面して一面がガラスになっているオープンな雰囲気の場所だが、この展覧会では、その画廊内に作品らしいものがまったく見当らない。代わって、普段はそこから出入りするガラスの引き戸の一つに換気扇が取り付けられ、勢いよく回っている。観客は、しばらくは画廊の外に立って、何もない白い壁の手前にある、この換気扇を眺めることになる。ガラスの真ん中を切り抜いて、換気扇を取り付ける作業は難しかったのではないだろうかとか、電源はどこから取られているのだろうかとか、とっさに考えてしまうのは職業病なんだろうなと我が身を憐れみつつ、引き戸を開けると、換気扇の回転はゆるやかになり、やがて止まってしまう。ここで、思わずセンサーを捜してしまう自分に対して、あーやだやだと思いつつ、引き戸を閉めると再び換気扇は回転を始める。何のことはない、もうひとつの換気扇が画廊の奥にあって換気を行なっているため、閉めきられた画廊内に入ってくる空気が、入口の換気扇を回しているのである。
ただそれだけの細工に過ぎないのだが、それによってこの画廊における物理的な空気の流れを可視的に表現し、さらに比喩的に言えば、この画廊特有の場の空気を可視化することに成功していた。
藤本は、オルゴールを用いた作品で知られているが、現実の場にわずかなズレを生じさせることによって、見、聞く者の感覚を鋭敏化させ、場に対する認識能力を高めることを作品にしてしまうという制作の仕方を続けていると言ってよいだろう。一方、岡田は、空調ダクトを流れる空気の音など、日常に存在するのに日常的な意識が抹殺している現象をあえて提示することで、作品を生み出そうとしているようだ。この展覧会は、藤本が岡田をキュレーションするような形で作られたらしいが、最小の仕掛けによって、この画廊のこの空間に対する批評が作品化され、さらに画廊の空間と外がつながれた。あくまでスマートでありながら、トリッキーさを演出し、敢えて武骨な換気扇を使うあたりに、計算されたけれん味を感じた。
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会場:アートスペース虹
会期:1999年11月23日〜12月5日
問い合わせ:Tel. 075-761-9238
学芸員レポート[和歌山県立近代美術館]
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12月となると、否が応でもこの一年の回顧をせざるを得ない想いに駆られたりもするのだが、何せ担当していた展覧会が12月12日までだったものだから、後片付けやら何やらで、他のことは考えたくない状態から、ほっと一息ついたら正月だ。その担当していた展覧会とは、何を隠そう『川口軌外展』だったのだが、これの立ち上がりが11月初旬だったということは、8月くらいからパニックに突入していたんだろう。何だかずいぶん昔の事のような気がしてしまうのだが、それでもまあ折角の機会なので、1999年には何本くらいの展覧会を見たのかと数えてみたら、記録を取っていたものだけで、170本弱という数字が出た。多いとも言えるし、少ないとも言えるだろう。個人的な比較で言えば、ここ数年、見る展覧会の数は減っている。年かなあ、というのはともかく12月に限って言えば、実は会期末で会場に貼り付いていたり、拝借した作品を方々にお返しに上がるツアーに出ていたりしたため、東京は歩き回ったのに地元関西圏の展覧会をあんまり見ていなかったりする。当然、批評の際の選択には、見に行けなかったという物理的な制約がかかってくる。12月に関西圏で開催された展覧会で、これは見に行くべきだったのに行けなかったとか、ここで取り上げてもよかったのにというものを数え上げると、20本を越えた。特に(と言うべきか)一年に一日だけの展覧会を10年開催するという西宮市大谷記念美術館における藤本由紀夫の『美術館の遠足』には皆勤をめざしながら、早3年目で挫折した。内心忸怩たる思いである。
なんでこんな解りきったようなことを書くかというと、それでも批評として書かれたものが残っていってしまうからなのだ。後世、調べものをしようとする者は、残された批評をまず参照してしまう。そこには多くの展覧会や作品、ひょっとすると非常に重要だったはずのものが欠けていたりして、例えば歴史をたどろうとしても、あらかじめ不十分なものにならざるを得ないにもかかわらず、それを認識しないまま語りつづけられてしまう。他人の話ではない。自分自身が、ほんの5年前10年前のことを調べようと思っても、そうなってしまうのだ。世の中に「情報誌」というものが生まれて以降はまだしもだが、それでも残された記録に頼りつつ、それをどこまで信じないかを常に意識している必要があると、自戒を込めて感じている今日このごろである。
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