ロンドン・ベニス・ベルリン−三都展覧会物語
9月12日、移動美術館展の飾付と開会式とギャラリートークを済ませたその足で、遅い夏休みをヨーロッパで過ごすべく、2週間の予定で出発した。
どこの公立美術館も似たりよったりだと思うが、予算削減が続く中、美術館運営の保守化傾向はますます強まっている。そして、なぜかそれに比例するように雑務は増える(金は少なくても知恵をだして、美術館の可能性を前向きに探ろう、などといって自分で仕事を増やしているのは事実だが)。システムの見直しが叫ばれていながら、一方であいかわらず官僚主義的な仕事も多く、何のための、誰のための美術館なのかと、気分が滅入ってくる。今回の休暇は、現場からの一時逃避というのが正直なところか、やれやれ。
ロンドン
さて、最初に訪れたロンドンは、ハリケーン・フロイトの影響で毎日の雨。うっとうしいけれど、湿っぽく、薄暗く、小汚くてこそロンドンと思いつつ、美しい田舎の散歩計画を美術館めぐりに変更した。
Tate Galleryの「Abracadabra」(9月26日まで)、Saatchi Galleryの「The New Neurotic Realism」(12月5日まで)など、オプティミスティックでファンタスティック、そしてちょっとシリアスな作品傾向に注目した現代美術展(前者には鳥光桃代の「宮田二郎」も出張していた)の何点かの作品には興味を覚えたが、展覧会として一番印象に残ったのは、Royal Academy of Artsの「Van Dyck」(12月10日まで)だった。ヴァン・ダイクは正直いって数見ると飽きがくる作家とこれまで思っていたが、アントワープ時代から晩年のロンドン時代までの生涯の代表作を網羅した本展で、その印象を改めさせられた。依頼された肖像画の群の中に織り込まれるように、時代ごとにぽつぽつと展示されていた自画像が特に忘れられない。静かにしかし雄弁に語りかけてくる自画像の存在が、同展に深みを与えていた。イギリスの、古典から現代まで自国の美術を大切にする土地柄に改めてしみじみとした次第。
ベニス
次ぎに訪れたベニスではお約束のベネチア・ビエンナーレを見たが、本誌を含めすでに多くのレポートがあるのでここでは割愛。旧態依然としたこの老舗の国際美術展への批判は今回も多いが、アルセナーレの新会場での試みなどを見ていると、本展がこの魅力的なベニスの地で、自己解体のうえ再構築される可能性は「まだ」あるかもしれない、と思う。
宮島達男の「メガ・デス」は1分45秒という体験すると想像以上に長い真っ暗闇の時間の方が印象的だったこと、「柿の木プロジェクト」の柿は本当に枯れてしまっているのか(ベルニサージュのときの写真を見ても葉はないが)気になったことを付け加える。
ベルリン
統一10年目にして春に遷都をすませたベルリンには、今回初めて訪れた。街中が工事中で、うわさどおり人も建物も活気に満ちた混沌の直中にある。徹底的に取り壊された壁(一部保存されているものもあり)は、砕かれてその大半が道路や建物の基礎工事に使われたと聞く。5万件近い工事が進行中といわれるその様相は、引き裂かれ、東西ともに罪の償いを担わされてきたベルリンという街が、失ったものを早く取り戻そうとしているようにも、過去を早く忘れようとしているようにも、どちらにもとれる。ベルリンの現況については、先月号の熊倉さんのレポートや『美術手帳』2月号の特集が詳しいので、そちらを参照いただくとして、ここでは9月に始まったばかりの大展覧会をご紹介したい。
「20世紀−ドイツ美術の百年」(9月4日〜2000年1月9日)は、ミレニアムの記念行事として、ベルリンの6つの美術館や資料館を会場にした超大型の展覧会。ナショナルギャラリーやバイエルンの国立博物館などが共同して国内の今世紀の名品を一堂に展示した、その規模と質は圧巻の一言。ふたつの世界大戦、二大イデオロギーの対立、そして再統一など、今世紀の世界を集約したかのようなベルリンの地で、ドイツ表現主義、ロシア構成主義、ダダ、新即物主義、バウハウス、そしてナチス時代の退廃芸術からボイス、キーファーら現代の作品などなど、時代を駆け抜けたさまざまな前衛美術が集大成された本展は、間違いなく今世紀末を代表する展覧会のひとつといえる。
美術作品は3つの美術館が主要会場となっている。Altes Museumでは「芸術の力」、neue nationalgalerieでは「精神と物質」、Hamburger bahnhofでは「コラージュ・モンタージュの原理」(和訳の稚拙さはご容赦のほどを)というようにテーマ別に展示されている。それぞれ独立した展覧会ではあるが、記載順にまわることで複雑な歴史を歩んだドイツ美術の本質を重層的に咀嚼することができる(6館共通割引券及び3館を巡回する無料シャトルバスあり)。3つの展覧会の中では、Hamburger bahnhofの広いスペースを大胆に活かした映像作品などもおもしろかったが、何といってもAltes Museumの、政治を切り口にした構成が秀逸だった。第一次世界大戦、戦間期、そして第二次世界大戦以降の政治・社会の動向と美術の切り離せない関係やその変遷を、映像など資料を交えて大胆に整理している。展示も重要な作品に絞り込んだ構成で、簡潔で美しい。
展覧会を見た後はもうひとがんばりと、今ベルリンで一番元気のいいといわれる旧東ドイツ側のミッテ地区に足をのばしギャラリーめぐりをした。ギャラリーで同展の話題が出たとき、地元の若い美術関係者たちも、3つの展覧会の中ではAltes Museumのテーマ展を最も評価していると話し始めた。現在のベルリンは「アートの街ではなく、アーティストの街」といわれている。彼らは過去や歴史に学びながらも、ギャラリーやクラブやカフェなど、人と人が交流する新しい場所から、自分たちの手で新しい何かを生み出すことを目指している。何のための、誰のための美術館か。この問いは、美術館の中から考えるのではなく、やはり地域のさまざな「場所」から、新たな視点を模索しつつ考えていきたい。
ところで、福岡ではいま「アート・カフェ」構想談義が盛り上がっている。ベルリンや京都のカフェ文化(岡山も元気!)もすてきだが、身近にあってこそのカフェ。今後の福岡のカフェ動向をどうぞお見逃しなく。後日改めてレポートいたします。(カフェ談義を含むよもやま話は「Fukuoka Contemporary Art BBS-福岡の現代アートよた話 http://www61.tcup.com/6105/iaf.htmlが最も詳しい) 。
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