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大西若人インタヴュー
「パブリック」と「アート」の関係について考える(1)
大西&田村
村田 真

review1パブリックアート――単に公共的な空間に置かれた美術作品だけでなく、広く「パブリック」と「アート」の関係について考える作品も、そう呼んでみたい。それは、現代美術における大きなテーマのひとつであると同時に、nmpの目指す方向性を示唆しているように思える。今回はその手がかりとして、ミュンスター彫刻プロジェクトを軸に、2回にわたって朝日新聞学芸部の大西若人記者に話を聞いた。大西記者は、同紙夕刊にて8月4日から18日までの計8回、ヨーロッパの4つの国際展についてのレポート「アートinヨーロッパ」を連載されている。
―今日はミュンスターの彫刻プロジェクトを枕に、パブリックアートについてお聞きしたいと思います。今年はヨーロッパでいくつかの国際展が開かれましたが、ヴェネツィア・ビエンナーレは論外として、ドクメンタは賛否両論あります。だけどミュンスターに関してはみんなおもしろい、楽しかったという人が多くて、否定的な意見は少ない。もちろんドクメンタのほうがよかったという人もいますが……。大西さんはどうご覧になりました?
大西:ミュンスターがおもしろい、楽しかったという意見に異論はありませんが、楽しいといっても知的に楽しいのか、アミューズメントとして楽しいのか、同じ楽しいでも違いますよね。ミュンスターはややアミューズメント的な楽しさ、という印象を受けました。たとえば家族連れで行くには、街はきれいだし、作品も楽しいものが多い。けれども美術作品として先鋭的なものを求めていくつもりだと、ちょっと違うかなという気はします。
―大西さんが書いてらした「美術が街のなかで市民権を得ることは、もろ刃の剣でもある」(朝日新聞8月12日夕刊)、ここらへんですね。ドクメンタに関してはどうです?
大西:ドクメンタはその対極に近いですよね。楽しくないんです。ぜんぜん楽しくない……てわけでもないけど(笑)。そうとう注意して、集中して見ていくと、なんか筋が見えてきたりして、だんだんわかってくればくるほど、さらにおもしろさが増していくというタイプの展覧会ですよね。知的にはおもしろかったけど、視覚的に楽しいかっていうと、ま、映像なんかには楽しい作品もありましたが、全体にシリアスで……。
―むしろ視覚的な楽しさをなるべく排除しようという姿勢ですよね。
大西:とにかく対照的。たまたま両展ともディレクターと話ができたんですが、ご本人たちの考え方も非常に対照的だった。
―ミュンスターの場合、もともとドクメンタとは目的も違いますし、展覧会とは銘打ってなくて、プロジェクトといってる。ミュンスター市民のためのプロジェクトということですよね。
大西:そう。ぼくが行った時、ハンス・ハーケの作品のメリーゴーラウンドが回ってなかったんです。それで広報の担当者に修理しないのかと聞いたら、「あなたはたまたま今日見に来ただけだけれど、これは市民のためのもので、そのうち動くからいいんだ」といわれたんですよ(笑)。基本的にミュンスター市民のためのものであって、外の人も見に来てもいいよってスタンス。
―大西さんの記事によると、カスパー・ケーニヒは「パブリックアートの展覧会ではない」といってたそうですが、どうもこちらでいうパブリックアートと、向こうの人が考えるパブリックアートでは、捉え方が違うような気がします。ぼくらは広くパブリックアートという言葉を使ってるけど、向こうでパブリックアートっていうと、もうすでに陳腐なイメージがあるんじゃないですか。「自分の作品はパブリックアートじゃない」と強く否定するアーティストもいたし……。
大西:ぼくの印象に過ぎませんが、パブリックアートって、多分にアメリカ的なものですよね。それに対するヨーロッパの人たちの反発かもしれない。アメリカの場合、街づくりのためのアートとして、都市政策に制度的に組み込まれている。そういうのをパブリックアートというならば、ミュンスターが目指しているものはそうとう違いますよね。まず彼らの中にあるのは美術。はじめは、ミュンスターに野外彫刻を置いた時にトラブルが起きたというのがスタートだったらしいし、あるいは、ボイスの作品が美術館に寄贈される時に、当時の館長がそんなもんいらないといったとかね。そういうあまりの理解のなさから、少しは美術に親しんでもらおうというためのプロジェクトだったわけですよね。
 そもそもミュンスターは街を美しくする必要がない。わざわざものを置かなくたってきれいな街ですから。だからアメリカのように、いわゆるモダニズム建築の無機質さを補うためというのではない。
―アメリカの場合、パブリックアートは都市開発に伴って、建築に組み込まれるかたちで発達してきた。ところがミュンスターは、戦後に再現されたとはいえ、街は中世的な都市構造でがっちりできあがってるわけですからね。
大西:モダニズムと中世の面影を残すところでは、街の表情がぜんぜん違いますよね。読み取れる情報量もミュンスターのほうがずっと多いわけですから、そんなにパブリックアートに頼らなくてもいいはずです。シカゴなんかパブリックアートがすごくきれいに設置されてますが、あれはやっぱり建物も広場も、いってみればホワイトキューブみたいなものですから、カルダーなんかをポンと置けばすごく映える。いかにもアメリカらしい。そういうパブリックアートの概念と、ヨーロッパの人たちが考えているものとでは違うかもしれない。で、我々が考えてるパブリックアートは、とにかく公の場所に置きさえすればパブリックアートだと(笑)。
―アメリカでは一種の公共デザインに近いわけですね。
大西:アーバン・デザインの手法のひとつですよね。だから、緑を植えるのと同じようにアートも、っていうことです。
―そうするとヨーロッパの場合、パブリックアートは都市と対立するかもしれない?
大西:そう、そこなんです。本当はそういうことをミュンスターで期待していたのに、あまり対立というのは感じられなかった。ケーニヒさんが「パブリックアートの展覧会ではない」というのは、アメリカ的な意味でのパブリックアートではないということですけど、でもアメリカ的なパブリックアートだったという気がしないでもない。カバコフの作品にしても、以前のジャッドの作品にしても、湖畔のちゃんとした芝生の公園に置かれてきれいに見えますよね。
―図式的にいえば、アメリカではパブリックアートの「パブリック」のほうに重点が置かれ、ヨーロッパでは「アート」に重点が置かれているという違いですね。
大西:ぼくのパブリックアートに対する考え方も変わってきてるんですよ。これは個人的なことですが、以前福岡に勤務していて「ミュージアム・シティ天神」を身近に見ていました。そこで94年でしたか、アメリカのパブリックアートについて論議した時、環境整備とか、美術家に対するサポートであるとか、共同体意識をつくるということが話し合われたんです。向こうはパブリックアートについて、住民を中心にいい、悪いと議論すると聞いてますけれど、そういうことによってコミュニティが形成されていく。コミュニティをつくるためのある種の道具、とまではいいませんが、そのプロセスの中にある。だから表現としてのアートといつもぴったり一致するとは限らないのではないでしょうか。
―最近、日本のパブリックアートを見てて感じるのは、特に横浜の「ゆめおおおかアートプロジェクト」を見て思ったんですが、作品が幼稚化しているってこと。なにか住民にこびてる印象があるんですけど、それも関係あるかもしれませんね。
大西:ファーレ立川のような初期の……といっても最近ですが、大規模なパブリックアートとしては初期の頃は、住宅・都市整備公団もおそるおそるパブリックアートを置いていたわけですよ。だけどやってみたら賞をもらったりして評価される。そうすると目的が逆になって、評価されるためにはアートを置けばいいと。パブリックアートを置くこと自体が自己目的化しちゃって、とにかく置きさえすれば街の美観とか環境に配慮したということで、免罪符のようになってしまう。
 一方で、選ばれたアーティストは、お金が入って作品がパーマネントになるわけだから、まあ断る人もいるだろうけど、多くはうれしいでしょうし、間に入る人はこれまでになかった仕事が新たにできる。そうなってくると消費されていきやすいですよね。環境に配慮するといっても、本当はそこにケヤキの木を1本植えたほうがずっといいかもしれないのに、パブリックアートを置いたからいいという免罪符になる。そういう傾向が加速度的に進んでいるのかもしれない。
 前は「彫刻のある街づくり」みたいなものがあったじゃないですか。それと変わらなくなったって感じですよね。地元出身の団体展系の彫刻家による女性像だったのが、現代美術と呼ばれる作品になったというのが新しいくらいで、構造としてはほとんど変わってないって気がします。
―早くも形骸化しつつあるって感じですね。だいたい日本の場合、コミュニティのある場所に置かれることって少ないじゃないですか。もともと人の住んでなかったような歴史も記憶もない場所を新しく開発して、パブリックアートを置いている。そういうところでは、ある意味でなにやってもいいし、議論も起こりにくい。
大西:そうですね。3年前に、ファーレ立川とミュージアム・シティ天神を並べて記事を書いたんです。ミュージアム・シティ天神は既存の市街地でやってますが、あれはアメリカ的なパブリックアートとは違って、プロジェクトですよね。短期間の展示だから軋轢を生むようなことをやって、批判を浴びれば、1ヶ月だからということで撤収すればいい。それと、あそこは変な商売気がない。いつまでたっても手弁当的なところがあって(笑)、そういう意味での潔さがある。「パブリック」と「アート」でいえば「アート」に力を入れていて、都市との関係に比重を置いた展覧会ではありますよね。
 ファーレ立川の場合、ぼくが最初おもしろいと思ったのは、作品の一つひとつは小さいけれど、とにかく数が多いってこと。あれだけ多ければ、好きなものもあれば嫌いなものも出てくる。35カ国92人でしたっけ? あれはすごく評価していいなと思いますね。その後、どう街になじんでいるかはわからないですけど。
―日本ではだいたい90年前後からパブリックアートが出てきますね。前回のミュンスターの彫刻プロジェクトが87年で、そのころから日本でも同様の動きが出てきた。
大西:『BT』でパブリックアートの特集をやったのは、80年代でしたっけ?
―いや、90年代……(探す)……93年(8月号特集「だれのための美術なのか」)ですね。
大西:リチャード・セラの問題(ニューヨークの広場に置かれた「傾いた弧」が住民の反発を招き、論争の末、裁判で撤去命令が下された問題)が起きたのは?
―80年代です。(『BT』を見ながら)81年に設置され、89年に撤去。まさに80年代にパブリックアートの論争が起きた。
大西:前回のミュンスターの時は、住民との軋轢とかあったんですか?
―あったらしいですね。ただ、ああいうのを見るのは初めてだったんで、ぼくはノーテンキに楽しんで見てただけで……。
大西:期間限定型でも、ぼくは「水の波紋」はあまりおもしろくなかった。大半の作品が、そこにある理由を見出せない。たとえばヤン・ファーブルでも、いつもの彼の作品がただ街の中にあるというだけで、だったら美術館の中で見たほうがいいと思うんですよ。基本的に美術を見る環境としては美術館の中のほうが整っているはずなんでね。それをあえて出すというからには……。
―サイト・スペシフィックであるべき?
大西:いや、単純にサイト・スペシフィックというだけでもなくて……。
―サイト・スペシフィックといった時、場所の問題に限られるんですか? たとえば住民の問題も含まれる?
大西:単純にいえば含まれないでしょうね。でも本当はそれを含めたパブリックな空間を問題にするべきなんでしょうが。それより、ミュンスターの場合も美術館内での展示もありますね。ドクメンタは屋内も屋外もあるし、ミュージアム・シティ天神もそうですよね。でもやっぱり画廊の中の作品のほうがよかったりもする。てことになると、よけいなんのために外に出たのかが問われると思うんですよ。

大西
大西若人氏
村田
村田真
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