アートプロジェクト探訪
温泉市街地がアートの現場になるには
まずは、温泉観光都市別府の街の必然がある。今回のフェスティバルの主催に名を連ねる別府市の主担当はONSENツーリズム部商工課であり、いわゆる芸術振興に関わる部署ではない。同部には文化国際課があるが市の芸術振興のベクトルは、どちらかと言えば1998年から毎年開催している「別府アルゲリッチ音楽祭」(同名の財団が主催)に代表される音楽芸術に向けられているのが現状である。そして、担当の商工課の専らの課題は観光都市別府の中心市街地活性化である。別府の宿泊客の観光ルートは鉄輪など郊外の地獄めぐりが主流である。多くの観光客はそこでお土産を買い、宿泊先の温泉に入るといった行動パターンをとることもあり、中心市街地の空洞化が問題視されはじめていた。さらに近年の大型店舗の誘致により市と地元商店会とのあいだに軋轢が生じ、新たな活性化方策が急務となっていた。
そこで2008年に別府市中心市街地活性化基本計画が策定され、2013年までに歩行者量や宿泊客数、小売販売額の増加させることを目標に、公園や街灯整備から福祉施設整備、住宅整備、そして商業活性化策が展開されている。例えば、長年まちづくり運動を行ない2001年からは「オンパク(別府八湯温泉泊覧会)」を実施してきているNPO法人ハットウ・オンパク(2004年法人化)が仕掛ける宿泊施設のリノベーション、アパート改築、それによる商業活性化、人材育成効果などもそれに含まれており、関係者の期待が寄せられているところである。
そして、BEPPU PROJECTもこの計画に一枚かんでいる。2008年より実施している別府市商工会議所に事務局を置く別府市中心市街地活性化協議会が中心市街地の空き店舗を借り上げリノベーションし、活用するplatform[プラットフォーム]事業である。BEPPU PROJECTは、この協議会に参加、協議会から場所の提供を受け、コンテンポラリーダンスの紹介や、アーティストが滞在しての創作活動などを行なっている。
この事業、別府市にとっては、シャッター街化しはじめた商店街に新しい人の流れを呼び起こし、活性化へとつながることへの「必然」とも言える期待があり、BEPPU PROJECTもまた地域の人と人とをつなぐ活動のために、人々が往来する中心的な空間として、「必然」的にこの中心市街地の空間を求めたと言えよう。この両者の思惑が合致し、platform事業は比較的成功裡に進行、2009年3月現在すでに8カ所目の事業が立ち上がるに至っている。
platform事業の第一弾であるplatform01は、通りの面がガラス張りで、全面銀色のクールな外見、床は全面リノリウムでさまざまなグループのダンス公演やその練習、ワークショップなどが日常的に行なわれている。そこに通りかかる街の人々が「なんだろう?」となんとなく覗き込む「偶然」の風景がよく見られる。街の中でアートが日常的に行なわれ、そこに街の人々が遭遇する、そうした社会の変化を街で実験的に検証していくことがBEPPU PROJECTの狙いである。
戦前から残る迷路のように小さく狭い路地構造の中に点在する古い建物は、地震での倒壊の恐れもあるほどに老朽化している物件も多く、さらには所有者も定かでない土地建物も存在する。そうしたなかで、ある意味奇蹟的にオーナーと出会い交渉できた物件が、次々と新しいコミュニケ—ション空間として再生されはじめている。
街の風景を残しながら、そこに新しい人々の活動の場をつくり根付かせていく。山出氏は、それをマイクロアーバニズムとして仕掛けたいという。新しい人々がそこに住みつきそれまでとは異なるコミュニケーションが誘発されていく。それは、ローカルな日常の場を、グローバルな諸関係と接続して認識しようとする場所感覚であるとともに、既存の空間秩序を内在的に組み替えていく行為であると言えよう。アートをまちづくりに利用することから一歩進んで、アートが街にどういう影響を与えるかを検証していく。そのためには、さらにさまざまな人々にこの地に足を踏みれてもらう必要がある。来てくれるだけでなく、空物件に新たな人たちが勝手に住みついていってほしいとも山出氏は考えている。
アートが紡ぐマイクロアーバニズムの可能性
こうした街のコミュニケーションそのもののリノベーションを契機に、プロジェクトはその後、地元の経済界から別府市、大分県の行政や公的団体をも巻き込み実行委員会を組織し、アートイベントの実施へと発展していくことになる。市民の主体性で始まった小さな実験的な試みが、アートという枠組みを超えていく力を得て、さまざまな者が協働していく場をつくり、緩やかな連携が生まれつつあると山出氏は自負する。あくまでも市民主導という意味と重要性を強調する理由もここにある。
山出氏は、2005年のアサヒ・アート・フェスティバルに参加、そこで今回の総合ディレクターを務めることになる芹沢高志氏と出会う。別府に来てほしいという山出氏に導かれるままに、別府を訪れた芹沢氏は、そこで山出氏のアート・フェスティバルの構想を聞き、その危うさ故の求心力を感じ、ディレクターを引き受けたという。アサヒ・アート・フェスティバル事務局長を務めている芹沢氏には、地域資源とアートというテーマでワークショップをはじめとするコミュニケーションを主体とする、マネジメント優先のアートプロジェクトが日本各地で起こりはじめたなかにあって、山出氏自身の意識を体現したBEPPU PROJECTがどこか異質に見えた。別府という地方都市が携えるにはややオーバースケールとも言えるイベントを、設立して数年のNPOが行なうことの危うさを、別府の街が持つひなびた温泉街の風情の危うさに重ね合わせてみる。しかしそこにこそ別府の街でアートプロジェクトを行なう意味が潜んでいた。そして「混浴温泉世界」のコンセプトが浮かび上がるのだ。港町が持つ外来性とホスピタリティ、地面から湯けむりがとめどなく溢れる文字通りの温泉地としての大地の恵み、そして街のあちこちに点在する温泉浴場が体現する街の人々の意識の開放性、この3つが混合する場所として、「混浴温泉世界」が構築されていったのである。
特に人々の意識の開放性は山出氏も指摘する。別府の街なかには源泉と風呂がたくさんあり、1カ月800円ほどで温泉に入れる。内湯よりもコストがかからないため、街の中心にいる人たちは、いまでもお風呂を持っていない家庭が多いという。街に点在する市営温泉、町営温泉は公民館となっており、昔からコミュニティの拠り所となっていた。昭和30年代までは温泉のほとんどが混浴だったという。コンセプト上は十分に合致しているこの温泉地の開放性ではあるが、そこに現代アートの開放性が十分に呼応するか否かについては、会期中、会期後含め検証していく必要があろう。
なお、"危うさ"とあえて表現した点について誤解のないよう追記しておきたい。実際の山出氏は意識や発想はアーティストであるが、それを実現する方法論は都市計画家や建築家に近く、その姿勢もまちづくりディレクターと言ってもよいほどにいたって堅実かつしたたかである。例えば、山出氏は由布市在住で別府には居を構えず、毎日山を越えて別府に通っている。密着しすぎない距離感が重要だとい