いきなり私ごとで恐縮だが、2月から神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で始まる「岩竹理恵+片岡純也×コレクション 重力と素材のための図鑑」展(2025/02/01-04/13)のカタログに小文を書かせてもらった。この展覧会はタイトルどおり、岩竹と片岡のユニットが同館の古美術を中心とする「木下翔逅コレクション」に触発されてつくった新作を、コレクションとともに展示するというもの。その概要を聞いたとき、最近このように、美術館のコレクションと現代美術を混在させる企画展が多いことに気がついた。

昨年後半だけでも、前回もここで触れた富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館の「Fukuzawa Re:birth 福沢一郎×平川恒太・ユアサエボシ・江上越 」(2024/08/10-10/28)をはじめ、東京国立博物館の「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」(2024/06/25-09/23)、川崎市岡本太郎美術館の「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭(2024/10/12-2025/01/13)、アーティゾン美術館の「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子─ピュシスについて」(2024/11/02-2025/02/09)、三菱一号館美術館の「『不在』 ─トゥールーズ・ロートレックとソフィ・カル」(2024/11/23-2025/01/26)、大田区立龍子記念館の「川端龍子+高橋龍太郎コレクション コラボレーション企画展「ファンタジーの力」」(2024/12/07-2025/03/02)など、枚挙にいとまがないほどである。

「岩竹理恵+片岡純也×コレクション 重力と素材のための図鑑」、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
岩竹理恵《室内画36 野外彫刻のある室内》(2024)、インク、紙 作家蔵[提供:神奈川県立近代美術館]

ヨーロッパでの衝撃的体験

いつからだろう? 現代美術展に古典的作品を挿入したり、逆にコレクションの常設展示にアーティストが介入したりするようになったのは。ぼくの記憶では、1992年の「ドクメンタ9」(1992/06/13-09/20)において、ロココ風の女性肖像画の並ぶあいだに女性器の写真が挿し挟まれた展示があって驚いたことがある。フェミニストのゾーイ・レオナルドの作品で、このときのディレクターはヤン・フートだった(さもありなん)。それ以前から古典作品と現代作品の対置はあったかもしれないが、これはハイソな女性像と女陰写真との対比が強烈だったので記憶に焼きついている。 もうひとつ覚えているのは、2009年にルーヴル美術館の《モナ・リザ》(1503-1506)が鎮座する部屋の隣に、中国人画家ヤン・ペイミンによるモノクロームの連作《モナ・リザの葬儀》(2008)が展示されていたこと。テンポラリーとはいえ、古典美術の殿堂であるルーヴル美術館が現代の、しかも中国人による《モナ・リザ》のパロディみたいな作品を陳列していたのが衝撃だった。

これらはニューアートヒストリーやリヴィジョニズムの影響だろうか、それまで美術館から排除されてきた女性や東洋からの白人男性中心主義の美術史に対する異議申し立てと見ることができる。それに比べれば、近年日本で行なわれている現代美術とコレクションの併置にはセンセーショナルな対比や批判的意図は薄く、むしろコレクションがアーティストの発想を刺激し触発するという点で、「コラボレーション」といったほうがふさわしい。

20世紀の芸術家とコラボレーション

たとえば「Fukuzawa Re:birth 福沢一郎×平川恒太・ユアサエボシ・江上越 」や、「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」、「川端龍子+高橋龍太郎コレクション ファンタジーの力」は、それぞれ福沢一郎、岡本太郎、川端龍子という20世紀の代表的芸術家を顕彰する美術館で、若手を中心とするアーティストがコレクションとコラボレーションする試みである。大先輩に捧げるオマージュ展といってもいい。一つひとつ見ていこう。

「Fukuzawa Re:birth」 は、福沢一郎に関心を寄せる3人の若手アーティストが福沢作品を選び、自作とコラボレーションした展覧会。そのうち平川恒太は前回も触れたように、福沢の戦争画を黒一色で模写するほか、戦後の福沢の風刺絵画や反戦思想に関連づけられる作品を出品している。ユアサエボシはもっと複雑で、彼は昭和を生きた架空の三流画家「ユアサエボシ」になりすまして絵を描いているのだが、その架空のユアサは戦前に福沢一郎の絵画研究所で学んでいたことになっているのだ。その絵は20世紀のアメリカンコミックみたいに時代がかったものだが、いわれてみれば確かに戦前の福沢のシュルレアリスム絵画にも似ている。

「Fukuzawa Re:birth  福沢一郎×平川恒太・ユアサエボシ・江上越」展示風景、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館
左:福沢一郎《寡婦と誘惑》(1930) 右:ユアサエボシ《女性工員 No.1》(2016)[筆者撮影]

「岡本太郎に挑む」は、淺井裕介と福田美蘭の2人が岡本太郎に因んだ作品を発表するもの。淺井は展覧会が開かれる地域で採取したさまざまな色の土を顔料に用いて、その場で制作することが多く、今回は美術館のある生田緑地をはじめ川崎市内で採取した土による絵画を中心に展示した。岡本との接点は、《明日の神話》(1968-1969)と《残響》(2024)のように図像の引用が明らかな場合もあるが、見た目ではわからないつながりもある。たとえば、岡本は民俗学への関心から東北に伝わる「鹿踊り」に魅せられていたが、淺井も土以外に鹿の血や肝臓を顔料に描いた作品があり、両者は日本の土俗文化において通底している、といったように。

一方、すべて新作で臨んだ福田は、ひと目で岡本作品を参照したことが了解できる。1970年の大阪万博を訪れたとき、7歳だった福田が描いた《太陽の塔》(1970)の落書き(よく残しておいたもんだ)はご愛嬌として、《夜》(1947)の画面に潜む不気味な顔を昨年の干支である龍の顔に描き変えたり、《森の掟》(1950)の中央に描かれた怪物のチャック状の口を全開にしたり、コレクションをいじりまくっている。ここまでは予想できたことだが、横長の絵画《重工業》(1949)を90度回転させ縦長にして展示したり、牙のような突起がついた彫刻《戦士》(1971)を輪投げの的に見立てたりしているのにはハラハラした。特に後者は来館者に実際に輪投げをしてもらうプランだったらしい。まさに「岡本太郎に挑」んだわけだが、さすがに岡本太郎美術館といえども許可が下りず、あらかじめ輪を掛けた状態での展示となった。

「岡本太郎に挑む」展示風景、川崎市岡本太郎美術館
福田美蘭《輪投げ》(2024)

「川端龍子+高橋龍太郎コレクション ファンタジーの力」は、2021年に同じ大田区龍子記念館で行なわれた「川端龍子vs.高橋龍太郎コレクション―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」に次ぐ企画展。これも現代のアーティストと美術館コレクションとのコラボレーションに違いないが、ほかの展覧会と異なるのは、アーティストが美術館のコレクションを選ぶのではなく、美術館のコレクションに現代美術コレクションを「ぶつける」試みであること。いわば両コレクションの「異種格闘技戦」といってもいい。そこで戦われるのは日本画と現代美術というジャンルの違いであり、昭和と平成・令和という時代の差異である。

たとえば、白骨化した遺体の上を蛾が舞い飛ぶ龍子の《夢》(1951)の隣に、頭蓋骨をモチーフにした青山悟の刺繍《Ring》(2005)を置いたり、海中を描いた《龍巻》(1933)を囲むようにそれぞれ海を主題にした池田学、西ノ宮佳代、草間彌生の絵画や立体を並べたりといったように、主題や絵柄で関連する作品を対比展示している。これによって現代美術の技法やスタイルの多彩さが際立つと同時に、いまだ色褪せない龍子絵画の斬新さも伝わってくるのだ。

「川端龍子+高橋龍太郎コレクション ファンタジーの力」展示風景、大田区龍子記念館
左上:草間彌生《海底》(1983) 左下:草間彌生《自転車と三輪車》(1983) 右:川端龍子《龍巻》(1933)[筆者撮影]

「美術館」と「コレクション」を再考する

「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」「毛利悠子  ピュシスについて」「『不在』 ─トゥールーズ・ロートレックとソフィ・カル」の3本は、内藤礼、毛利悠子、ソフィ・カルの3人がそれぞれ東京国立博物館、アーティゾン美術館 、三菱一号館美術館の歴史あるコレクションと自作を併置・対置するインスタレーション展である。3者とも女性であるのは偶然か。

「150年の歴史を持つ東京国立博物館の収蔵品、その建築空間と内藤との出会いから始まりました」という内藤展は、ガラスビーズや鏡、テグスなどを使ったささやかなオブジェに、数千年前の縄文時代の土製品や獣骨といった収蔵品を加えた展示。しかし使われた収蔵品は数が少なく、サイズも小さいので目立たず、内藤作品と見分けがつきにくい。そのためコレクションとのコラボレーションより、歴史ある博物館の建築空間とのコラボレーションのほうに目が奪われた。特に公開される機会の少ない本館特別5室を全面開放したことは大きい。内藤の作品をしてこの「開かずの間」を開かしめたともいえるだろう。

毛利の個展は、アーティゾン美術館の開館から続けている現代アーティストとコレクションとのコラボレーション企画「ジャム・セッション展」として開催。石橋財団コレクションからモネ、マティス、デュシャンなど10点ほど選び、それに関連づけたインスタレーションを制作しているのだ。たとえば《Piano Solo: Belle-Île》(2021-2024)は、モネ《雨のベリール》(1886)に描かれた北フランスの小島を訪れて採録した映像と音に基づく作品。《Magnetic Organ》(2003)はモビールのようなキネティックな作品だが、その外見は壁に掛かるクレーの絵画《数学的なヴィジョン》(1923)によく似ている。このように一見しただけで両者の関連がわかる組み合わせもあれば、鉄琴の音を鳴らす《鬼火》(2013)とジョゼフ・コーネルの箱の作品《見捨てられた止まり木》(1949)のように、見た目では関係がわからない組み合わせもあり、謎解きのような知的楽しみも与えてくれる。

「毛利悠子 ピュシスについて」展示風景、アーティゾン美術館
左:毛利悠子《Piano Solo: Belle-Île》(部分) 右:クロード・モネ《雨のベリール》(1886)[筆者撮影]

同館学芸員の内海潤也氏は、「既成美術品(既に美術館によって何度も美術作品と承認されてきた作品)をレディメイドとして使用することもまた同じく美術館美術の枠を顕わにし、鑑賞方法を揺さぶることが期待できる」(カタログより)と述べている。アーティストがコレクションをデュシャン風に「レディメイド」として扱うことによって、コレクションの価値を疑い、美術館の役割を問うことができるというのだ。

「『不在』 ─トゥールーズ・ロートレックとソフィ・カル」は、三菱一号館美術館のリニューアルオープンを記念する展覧会で、同館コレクションのロートレックとフランスのアーティストのソフィ・カルとのカップリングとなった。しかし両者の作品は併置されず、2フロアに分けてふたつの個展として見せているため、コラボレーション色は薄い(ただしカルの作品には、絵画が不在の額縁だけを撮った《あなたには何が見えますか》(2013)や、コロナ禍で休館中の美術館で作品に紙を被せた状態を写した《監禁されたピカソ》(2023)など、他館のコレクションとのコラボレーション(?)がある)。

同展のチラシを見ると「美術館は、時代の変化に応じて、常にその活動を見直す必要があります。そのために、時代を映す鋭敏なアーティストの感性を借りることが、ひとつの最善策である」とある。19世紀美術を専門とする美術館に現代のアーティストを呼び入れることで、美術館とコレクションに新たな息吹を吹き込んでくれることを期待しているのだ。カルはそれに応えて、死んだ芸術家の展覧会しか行なわない三菱一号館美術館に受け入れてもらうには自分も死ななければならないと、死者を装うセルフポートレート《オートプシー(ジャン=バプティスト・モンディーノ撮影)》(2018)を出品している。なんというアイロニー!

「『不在』 ─トゥールーズ・ロートレックとソフィ・カル」展示風景、三菱一号館美術館
ソフィ・カル「自伝」シリーズより、左から《彼のまなざし》(2020)、《どなたさま》(2017)、《目のまわりのあざ》(2020)[筆者撮影]

作品の行方は?

こうした美術館とコレクションの自己言及的、もっといえば自己批判的ともいえるような姿勢を明確に打ち出した企画展が、国立西洋美術館で開かれた「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」(2024/03/12-05/12)だった。これは同館としては異例の、現代の日本人アーティストを中心とする企画展である。それもそのはず、国立西洋美術館は、実業家の松方幸次郎が日本の芸術家たちに本物の西洋美術を見せるために収集した「松方コレクション」を基礎に築かれたが、その存在がいかにアーティストたちに影響を与え、日本の美術にどのような役割を果たしてきたかを問う自己検証の試みであるからだ。

そんな問いに対して21組のアーティストは、コレクションからセザンヌやドニを選んで自作と対置させたり、ロダンの彫刻を横倒しにしたり、破損したモネの作品を仮想修復したり、美術館建築や展示方法に新たな提案をしたり、「松方コレクション」が第1次世界大戦の「特需」によって形成されたことを告発したりと、激烈な批判も含めてそれぞれの視点から「答え」を出していて、すこぶる刺激的な内容になっていた。

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展示風景、国立西洋美術館
手前:竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》(2023-2024) 奥:クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》(1916)[筆者撮影]

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展示風景、国立西洋美術館
左:ポール・セザンヌ《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》(1885-1886) 右:内藤礼《color beginning》(2022-2023)[撮影:artscape編集部]

このように、美術館がコレクションの存在意義を再確認するためにアーティストの力を借りるという構図は、上記の展覧会の多くに当てはまるだろう。だが、こうした内発的な理由とは別に、外圧ともいうべき事情があったことも忘れてはならない。それは近年の予算削減や円安に加えて新型コロナウイルスの蔓延により、海外から作品を借りて企画展を打つことが難しくなったため、みずからのコレクションを利用せざるをえない状況に追い込まれたことである。これも国立西洋美術館だけでなく、ほかの美術館にも共通する問題だろう。その裏には、コレクションの常設展示だけでは人が入らないので、企画展示に頼らざるをえなかったという日本の美術館の根本的な問題がある。そこで常設展示と企画展示の壁を取っ払い、「哀れなコレクション」に新しい光を当ててくれるアーティストを投入したというわけだ。

一方アーティストから見れば落とし穴もある。ある美術館のためにつくった作品は、ほかの美術館からお呼びがかかる可能性は低いということだ。たとえば毛利悠子のように、場所に合わせて旧作をヴァージョンアップしていける作品ならまだしも、福田美蘭のように岡本作品に手を加えたパロディックな作品の場合、岡本太郎美術館でオリジナル作品の隣に置かなければおもしろさが伝わらないし、そもそも意味がない。従ってそうした作品は当該美術館が購入し、そのコレクションに入れるしかないだろう。余計なお世話だが。

付け加えれば、そうして親作品から子作品へ、子作品から孫作品へと受け継がれていく表現の連鎖をひとつのコレクションに収めることができれば、それはそれで価値ある財産になるはずである。