衣服やファッションを取り扱う展覧会の開催が、近年増えている。

シャネル★1やディオール★2、グッチ★3など、ブランドが主体となって海外で立ち上げられ、世界巡回で日本に回ってくるもの、あるいは「Fashion in Japan」展★4や「奇想のモード」展★5、「Love Fashion」展★6など、日本の学芸員や研究者が企画して日本で立ち上げ開催するものと、大きくは二分できるだろう。そして後者は、展示作品の歴史的な側面を重視する内容、特定のジャンルや時代にフォーカスして深掘りする内容、特定のテーマを設定しそれに沿う作品を構成して見せるもの、あたりに分けられるようにおもう。

また、「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」展★7や「ベル・エポック」展★8など、ひとつの時代の諸相を大きく捉えて見せようとする展覧会★9において衣服や服飾小物、広告等が、例えば絵画作品を理解するための参考的な扱いではなく、展覧されるようになってきた。さらに、近年ではコスチュームジュエリーを特集する大展覧会★10が開催されるなど、ファッションに関する展覧会の幅が広がり、充実してきているのを感じる。

筆者は島根県立石見美術館で「ファッション イン ジャパン1945-2020」展や「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」展(図1)に関わってきた。また、COSMIC WONDER(図2)やTHERIACA(図3)といった現在活躍するアーティストの個展や、「COSMIC WONDERと工藝ぱんくす舎」による古い衣装や布の研究と、それを踏まえた新作を展覧するというかたちでの展覧会なども実施してきた。ファッションに関わる展覧会は、実際はこのように多様なわけだが、どのように作るのか、と質問を受けたので、その裏側というか、「できるまで」について少し書いてみたい。

図1:「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」展 展示風景[撮影:松山聖央]

図2:「cosmic wonder 充溢する光」展 展示風景[筆者撮影]

図3:「theriaca 服のかたち_体のかたち」展 展示風景[筆者撮影]

洋裁文化からみる日本社会──「ファッション イン ジャパン1945-2020」展(2021)をふりかえる

「流行と社会」というサブタイトルをつけていた「ファッション イン ジャパン1945-2020」展(島根県立石見美術館、2021年3月20日~5月16日)は、戦中をプロローグとし、戦後から10年刻みで章立てして、日本のファッションの変遷を見せる内容だった。作品をほぼ時系列で並べ、パリを中心とするファッション史の語りからは落ちたユニークな装いの文化を、日本の経済や社会情勢を踏まえた日本中心の語りとすることで掬い上げようと試みたものだ(図4)。すでによく知られたデザイナーの仕事と、日本でしか見られなかった、小さいけれど力強かったムーブメントを同列に並べ、各時代のリアルな空気感を表現しようと試みた。例えば、戦後の洋裁学校ブームは日本においてのみみられた特殊な状況で、若い女性が運転免許証を取得するように(あるいはそれ以上に)洋裁学校へ通い、洋裁の技術を身につけた時代があった(図5)。洋裁学校の卒業生は日本各地で洋裁店や洋装店を開いたり、そこの縫い子になったり、あるいは連鎖校と呼ばれる洋裁の技術を東京と同じように学べる場所を地元に戻って作るなどした。そのため日本全体で洋服作りに対する偏差値が高い状態がうまれ、デザイナーが憧れの職業のひとつともなった。

今も続く『装苑』などは洋裁雑誌として生まれ、文化学園で学生が学ぶ際の教科書ともなるわけだが(図6)、学校を卒業した卒業生も雑誌を通して洋裁技術を深めたり広げたりすることができるなど、雑誌という媒体がネットワーク形成の基盤をなしていたことも注目された★11。同誌が主催するコンテスト「装苑賞」は若手デザイナーの登竜門ともなり、高田賢三★12も山本寛斎★13も、装苑賞受賞を目指して自らを鍛えた。こうした状況は既成服が主流となる1970年代までつづき、1970年代以降、複数の日本人デザイナーが世界的に活躍するのを準備した。

長くなってしまったが、上記のようなことを示すために、杉野学園ドレスメーカー学院や文化服装学院★14に通って当時の教科書や学生のノート、当時の写真やファッションショーの動画、雑誌など、さまざまに調査させていただいた。また同時代の東京の街角で撮影されたスナップ写真も、別のところから借りて展示し、当時の街の空気感や服の着こなしの実態を示した。

展覧会を作る際は、伝えたい内容に応じて必要な調査を重ね、そのうちの一握りの情報や資料を厳選して展覧する。どんな展覧会でも基本的には同じだが、この「洋裁文化とその広がり」の紹介については、調査・学び・検討を繰り返しながら複数回調査させていただいたうえで、出品作品を決めた。この時お世話になった方々には、以降も繋がりをもって、別のテーマの時でさえも情報提供をいただくなどしている。はるばる島根まで展覧会をみにきてくださる方も複数いて、とにかくありがたい。学芸員の仕事の嬉しさや喜びは、面白い作品や考えに出会うことにもあるが、こうした大事にしたい人との繋がりができることにもあると思う。

現在2025年に開催を目指して準備中の「生誕100年 森英恵」展では、何年も課題意識を持ちながら調査できずにいた森英恵の服の布地について調査している。調査の途中段階なのだが、少し書いてみたい。

図4:「ファッション イン ジャパン 1945-2020」展 展示風景[撮影:田中志依]

図5(左):願書受付日に学園前にできた長蛇の列[提供:杉野学園]/図6(右):『装苑』の展示風景[筆者撮影]

森英恵というファッションデザイナー

森英恵は、1926年1月に島根県六日市町(現在は吉賀町)に生まれたファッションデザイナー。東洋人として初めてパリ・オートクチュール組合の正会員となった。一般には蝶のモチーフをつかったアイテムで、あるいは森泉さんや星さんのおばあさんとして、知られているかもしれない。筆者が勤める島根県立石見美術館は、森の出身地に位置していることから、活動の柱のひとつにファッションを掲げ、作品の収集・研究・展覧を重ねてきた。森英恵の展覧会(図7)は、これまでも何度か開催しているものの、服地の調査はずっとできていなかった。作品の本質的な部分であるが故に踏み込みにくい領域であったことは事実だ。

布は服の装飾とも構造ともなるもので、当たり前だが布がなければ服は作ることができない。森英恵は着る人の魅力が引き出される服を目指し、「着心地の良さ」を追求した。その「良さ」は見た目、肌触り、動きやすさなど複数の要素からなるが、布が良いことは大前提となり、こだわりがあった。活躍の場をニューヨークへと広げようと考えた際、日本の布でできた日本製のドレスで、この国の文化的な深さ・豊かさを示したいと考え、日本各地の布地を改めて学び直したという。それが1961−64年のこと。この時に西陣織の帯地や、伸縮性に富んだ縮緬、あるいは光沢ある肉厚のサテン、綾絹、極薄手のシフォン、などの絹織物を見つけ、広幅に改良したり、独自の柄を染めてもらうなどして、オリジナルの布地を作る体制が整えられたようである。

その当時のことを、森は自身の著作のなかで「滋賀のお寺に行った時に大きなお座布団になっている縮緬地を見つけた。布幅が30センチと少ししかない着物地では服が作りにくいが、この座布団を作っている布であればそれが解決できると思った」などと書いてはいるが、ほとんど伝説となっていて、実際にどこの会社のどんな人たちが作ったのか、具体的なことは把握できていなかった。現在進めている調査ではそうした部分を明らかにし、それが表現とどのように結びついているか、また布の産地なり工場なりの歴史的な背景や今現在の姿までも展示に落とし込みたいと思っている。

図7:2024年に開催したコレクション展「アメリカの森英恵」展示風景[筆者撮影]

石見美術館の所蔵作品から

1964年にラスベガスで開催された国際ファッションコンテスト(図8)(図9)に出場した際に発表された本作は、蝶の柄が織り出された西陣織の帯地を使ったショートドレスとコート。現在は石見美術館で所蔵している。コートは、右の前見頃、右袖、後ろ見頃の背の上半分、左袖、左前見頃、とつながった一枚の布地がつながってできており、わずかな切れ目で折り紙のように立体的な表現を実現している傑作である。コートを脱ぐとベアトップのドレスが現われるが、ボディスは布地を畳んで重ね、折り紙や熨斗、ご祝儀袋を連想させる。西陣織の帯地が持つ厚さと張りの強さが作品に立体感を与え、絵柄の豪華さは1960年代半ばの軽やかな丈感と合わさって重厚・濃厚という印象にならず、作品全体としては絶妙に可愛らしく着地している。本作のような西陣織の帯地を使った作品は1960年代後半までみられるものの、70年代に入るとほとんどみられなくなる。

1968年に作られたこちらのコートとドレス(図10)は、コートには独自の柄を織り出してもらったという西陣織の布地が使われ、裏地には厚手のサテンが使われた。厚地の組み合わせであるため、とても重い。森が1970年代によく作ったドレスが、絹シフォンを使った軽やかなものが多かったことを考えれば、西陣織が徐々に作品に用いられなくなった背景には重さの問題があったのかもしれない。西陣織工業組合によると、竹の葉の中に花があしらわれたこの可愛らしい図柄は、似たものが伝統的な西陣の柄にあるかもしれないとのこと。楽しみに続報を待っている。

図8:ショートドレス 1964年[島根県立石見美術館蔵]/図9:コート 1964年[島根県立石見美術館蔵]/図10:西陣織のコートとイヴニングドレス 1968年[島根県立石見美術館蔵]

森英恵作品を支えてきた企業たち

京都へ調査へ行く少し前、森の作品作りを1960年代から支えていたという方が所蔵されている布地を、大量に調査させていただく機会★15に恵まれた。布地の多くにはタグが付されており、そこには、その布が森の手に渡った年や図柄の名称、生産に関わった業者の情報などが記されていた。前述のコートに使われた竹柄に花を組み合わせた西陣織の色違いが含まれ、それにはコートと同じく、1968年制作とタグに記述が確認された。

また、大きな牡丹を染めた綾絹(図11)を見た時には、その布地を最終的に卸した会社に加え、布地を織った会社、精錬した工場もわかった。シボの大きな縮緬地を織ったのは群馬県桐生市にあった佐々木織物精巧株式会社(図12)。この会社は明治22年の創業で、かなり大きな会社だったようだが、1998年に残念ながら廃業してしまっていた★16。テキスタイルデザイナーの須藤玲子さんのご助力を得て情報を求めてみた★17が、資料は残されていない、ということが判明した。布を精錬★18したのは1906年に山形県鶴岡市で開業し、現在も続く羽前絹練株式会社★19。向かい合う鶴のマークが、布地の端に並ぶスタンプの列(図13)に確認できる。鶴岡の絹織物は、京都から移った西陣の職人が伝えたのが始まりとされ、明治になる際刀を捨てた武士たちが力を入れたことで発展してきたと伝えられている。布に大きな図柄を施したのは、早川捺染、という会社のようだが、今のところ詳細は不明。同時期に手描きのオリジナルテキスタイルを作っていた会社に、四季ファブリックハウス(現在は社名をデザインハウス風★20に変更)がある。四季ファブリックハウスは、鐘淵紡績意匠室に勤務し、その頃から森と繋がりがあった松井忠郎が1961年に京都で起こした会社で、森が2004年にオートクチュールのファイナルコレクションを発表するまで、ずっとやりとりがあった、森にとっては特別な会社である。

当館所蔵の1960年代後半の作品と思われるこちらのドレス(図14)は、デザインハウス風に手書きの下絵(原画/図15)が残されている。布地と同一の寸法で、畳一枚よりも少し大きい紙にびっしりと描かれた原画は迫力万点で、微妙な線の揺れや布に染めた時には消えてしまう色塗りの痕跡が、人の手仕事の面白さをありありと伝えていた。デザインハウス風には、このほかにも下絵の後の「絵刷り」と呼ばれる資料も多数残されていた。描かれた原画をもとに、色ごとに版を作り、一色ずつ染め重ね、最終的に図柄が完成する。絵刷りは、布地を染める手前で、下絵がきちんと版に起こされているかを確認するために作られるもので、版の重なりやズレ、色抜けがないかをチェックし、それを踏まえて版を修正するものだ。下絵(原画)・絵刷り・出来上がった布地、と併せてみると手捺染と呼ばれる技術の工程が見渡せる。展覧会ではこうした工程を資料と映像でお伝えしたいと思っている。

図11:調査で見つかったテキスタイル 1973年制作[筆者撮影]/図12:佐々木織物精工株式会社のタグ[筆者撮影]

図13:残されたテキスタイルの端っこに色々な検査印が捺される[筆者撮影]

図14:石見美術館所蔵のドレス 1960年代後半の作か[筆者撮影]/図15:テキスタイルの下絵 色の塗り方に個性がある[筆者撮影]

★1──「ガブリエル・シャネル展 ーManifeste de mode」2022年6月18日(土)〜9月25日(日):三菱一号館美術館
★2──「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」 2022年12月21日(水)〜2023年5月28日(日):東京都現代美術館
★3──グッチ日本上陸60周年記念展「GUCCI COSMOS」2024年10月1日(火)〜12月1日(日):京都京セラ美術館
★4──「Fashion in Japan 1945-2020ー流行と社会」2021年3月20日(土)〜5月16日(月):島根県立石見美術館/6月9日(水)~9月6日(月):国立新美術館
★5──「奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム」2022年1月15日(土)〜4月10日(日):東京都庭園美術館
★6──「LOVEファッション ー私を着替えるとき」2024年9月13日(金)〜11月24日(日):京都国立近代美術館/この後熊本市現代美術館、東京オペラシティアートギャラリーに巡回
★7──「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」展、2022年06月07日(火)〜09月04日(日):豊田市美術館/9月17日(土)~11月28日(月):島根県立石見美術館
★8──「ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケルコレクションを中心に」2024年7月13日-2024年9月8日:栃木県立美術館/2024年4月20日(土)~6月16日(日):山梨県立美術館/2024年10月5日(土)〜12月15日(日):パナソニック汐留美術館/この後岡山県立美術館に巡回
★9──「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」展は、1910-30年代のフランス・ドイツ・日本を中心としたデザインの動向を横断的に見渡すことで、同時代のアーティストが互いに影響を受け合いながら仕事をし、いかに表現を深めていったかを見せた。「ベル・エポック―美しき時代」展では、ベル・エポック期を中心にアール・デコ期に至る時代にパリで華開いた多様な文化の諸相が紹介された。
★10──「コスチュームジュエリー:美の変革者たち シャネル、ディオール、スキャパレッリ 小瀧千佐子コレクションより」では、コスチュームジュエリーを体系立てて大々的に紹介した初めての展覧会。2023年10月7日~12月17日:パナソニック汐留美術館/2024年2月17日~4月14日:京都文化博物館/2024年4月26日~6月30日:愛知県美術館/2024年9月8日~12月15日:宇都宮美術館/この後来年春に札幌芸術の森美術館に巡回。
★11──杉野学園が出していた『ドレスメーキング』も同様の役割を果たしていた。
★12──1960年代前半 装苑賞受賞者 https://soen-award.com/soensho/works/sample-works2/
★13──1960年代後半 装苑賞受賞者 https://soen-award.com/soensho/works/sample-works3/ 山本寛斎は「やまもと寛斎」と表記されている
★14──学務部や図書館、あるいはドレメ編集室など色々なところにお邪魔し、通って、資料を拝見した。ご協力いただいた皆さんに感謝している。
★15──2024年6月27日
★16──桐生市歴史年表より https://www.city.kiryu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/127/nenpyou2019-06-01.pdf
★17──須藤さんには桐生のことのみならず、全国のご関係者に照会下さって、森英恵の布に関するたくさんの有益な情報をいただいた。ここに記して感謝申し上げます。
★18──製錬とは、セリシンというタンパク質を落とし、絹を滑らかにし光沢ある布にするための工程で、織物の最終加工にあたる。
★19──http://uzen-kenren.co.jp/index.html
★20──https://dhkaze.com/index.html