会期:2024/12/17~2025/2/21
会場:高知県立美術館[高知県]
公式サイト:https://moak.jp/event/exhibitions/artistfocus_05.html
高知県立美術館で三嶽伊紗の個展「カゲ ヲ ウツス」が開催された。1956年に高知市に生まれた三嶽は、80年代から主に関西で立体造形を発表し、2007年から映像も手がけるようになったという。本展では「ウツス」という行為に関わる写真、映像作品が多く展示されていた。
例えば写生は立体物や空間を平面に移し替える方法のひとつと言えるが、《ユリ/キョウ ヲ ウツス》は、鉛筆で写生したユリと、同じ角度から撮影したユリの画像を重ねたもので、人と機械による「ウツシ」の一体化と差異が見て取れる。
会場にはこの方法で写された14本のタカサゴユリの姿が並んでいる。それらは最終的な仕上がりを意識した作品というよりも、ユリを見たり描いたりする関心に従って、結果的にできてしまったものという感じがする。三嶽はこのシリーズにおいて、片目で過ごすと風景の見え方が変わること、人は両目の視差というズレによって空間の奥行きを認識することについて述べている。三嶽の目とカメラの目という両目によって、ユリというものを捉えようとする態度が感じられる。
三嶽伊紗「カゲ ヲ ウツス」展より[筆者撮影]
三嶽の作品群には、このようにカメラを使って絵や景色を描くことと、像を重ねることへの関心が多く見られる。《並行する昨日/2024》、《消失点のない海》は、さまざまな日時に撮影した琵琶湖の映像を重ねたもので、映像が重なるほど時制や特定性は損なわれ、琵琶湖でありながら、存在しない場所のように見えてくる。
西洋の線遠近法を用いずに風景を描いた長谷川等伯や琳派に惹かれるという三嶽は、現代を生きる自分にもっとも馴染む風景の描写方法を探求するかのようだ。絵か映像かといった線引きを超えて、描写することへの強い欲求が先にあり、そのための身近な道具としてカメラが採用されている。
三嶽伊紗「カゲ ヲ ウツス」展より[筆者撮影]
最後のスペースには《曖昧な網膜/カゲ ヲ ウツス》と題されたピンホール写真が展示されていた。ひとつの壁に、ピントの甘い風景写真が9点並んでいる。それらは草や浜といった具象としてよりも、緑や青といった色合いで呼べそうなほどにぼやけた景色である。デジタルカメラを加工したピンホールカメラで撮影したもので、数秒から数十秒間、カメラに光を取り込むそうだ。三嶽はその行為を「其処にある気配、それをカメラに収めているよう」だと言う。それはさながら風景の採取だ。冒頭に述べたタカサゴユリは、三嶽のアトリエ周辺に繁る外来種で、ピンホールで捉える景色もまた三嶽の生活に関わる場所だという。暮らしのなかで自らの目が見たものを、絵や映像といった異なるものに移し替え、自分が見た景色の真性を確かめるような営みが結実している。
三嶽伊紗「カゲ ヲ ウツス」展より[筆者撮影]
本展には5点の映像作品が出品されていたが、ピンホール写真に限らず、それらのいずれもが水やみぞれといったモチーフや、映像自体が重なり合ってぼやけた印象となっている。それらを眺めながら、昨日訪れた眼科で受けた視力検査のことを思い出す。ぼやけた景色にリアリティを感じる視界で暮らす私のような者にとって、三嶽によって写された情景は曖昧であることで普遍性を帯びながらも、心象風景というよりも日々の景色として肯定したい力強さがある。そして裸眼や記憶のゆらぎをカメラの写実性が支えるような本シリーズにも、《ユリ/キョウ ヲ ウツス》に見られた、人と機械の目の融合が感じられる。
本展は高知県にゆかりのある作家を紹介する「ARTIST FOCUS」の第5回として企画され、平面的な写生やドローイングから立体物、映像へとなだらかにつながる展示構成となっていた。会場には作品と、制作ノートなどから引用された三嶽の言葉だけが並び、作品の解説はハンドアウトに集約されて、丁寧に整備された心地よい鑑賞空間が広がっていた。
三嶽伊紗「カゲ ヲ ウツス」展より[筆者撮影]
鑑賞日:2025/1/17(金)