華やかな企画展の陰に隠れて、常設展はなんか地味? 時間ないので、企画展だけ見て帰る? それはもったいないです。なぜなら常設展こそがその美術館の真の顔だから。あれ、もう最近は「常設展」って言わないんですか? 美術ジャーナリストの村田真さんにおもに東京都内・近郊の美術館の「常設展」の移り変わりを綴っていただきました。(artscape編集部)

そういえば最近「常設展」を見かけなくなったなあ。いや、常設展はいつも見ているのだが、「常設展」という言葉を聞かなくなったということだ。では何と呼んでいるのかというと、たいてい「コレクション展」である。

「コレクション展」に変わった

「常設展」から「コレクション展」に変わった早い例が東京都現代美術館 で、2005年に常設展を「MOTコレクション展」とし、2019年のリニューアルオープンから常設展示室も「コレクション展示室」に改称した。東京国立近代美術館 は2012年に展示室をリニューアルした際、所蔵品展を「MOMATコレクション」に改めている。また東京国立博物館 は今年4月、「総合文化展(平常展)」の名称を「東博コレクション展」に変えたばかりだ。近郊では埼玉県立近代美術館 が比較的早く、2008年から「MOMASコレクション展」に、横浜美術館は今年のリニューアルオープンから「コレクション展」になった(どうでもいいけどMOTとかMOMATとかMOMASとか似たり寄ったりだな)。

どうやら常設展は20年くらい前から徐々に「コレクション展」に変わりつつあるらしい。なぜ常設展はコレクション展に呼び換えられるようになったのか。まず考えられるのは、「常設展」では常に同じ作品しか並んでいない、いわば「変わり映えしない展示」という印象を与えるから嫌われたのかもしれない。実際には常設展でも年に何回かコレクションを展示替えするところが大半だから、「コレクション展」のほうが誤解が少ないというわけだ。

もうひとつは、日本の美術館は企画展を重視するあまり、常設展をおろそかにしてきたことへの反省もあるのではないか。展示室が常設展用と企画展用に分かれている美術館でも、企画展をやっていない期間は常設展も閉じて休館するところがあったし、両者が分かれていない美術館では、企画展開催中は常設展(コレクション)が見られないケースも多かった。これでは常設展は企画展の「おまけ」でしかない。おりしも国立美術館が独立行政法人に移行し、公立美術館に指定管理者制度が導入されるなど事業の効率化が求められた時期でもあり、自館のコレクションを活用する必要が出てきたのだろう。

こうした動きに拍車をかけたのがコロナ禍だった。2020年に始まるパンデミックは企画展の開催を困難にしたため、美術館はコレクション展に頼らざるをえなくなったのである。しかしそれは必ずしも後退ではなく、むしろ美術館の原点回帰と捉えるべきではないか。

美術館はコレクションの常設展示場

そもそも美術館はコレクションを常設展示する場所だった。ルーヴルにしろプラドにしろ、ウフィツィにしろエルミタージュにしろ、19世紀までに開館した古典的な美術館の多くは、王侯貴族や特権階級が所有していた美術作品を一般に公開する目的で設立されたという経緯がある。それまで庶民には手の届かなかった「お宝」をいつでも見られるようにするというのが初期の美術館の最大の役割であった。ルーヴル美術館に行けば《モナリザ》やミロのヴィーナスが常時見られるという安定感が、年間1千万人という入場者数を保障しているのだ。

ルーヴル美術館での《モナ・リザ》の展示風景[筆者撮影]

しかし20世紀になって美術館が増え、モダンアートの流れが加速するにつれ、ただ過去の作品を収集・保存・展示するだけでなく、同時代の美術を評価・育成・発信していく美術館が登場してくる。いわば「守り」から「攻め」の姿勢への転換である。その表われが展覧会の企画、つまりキュレーターがある考えに基づいてひとつの展覧会にまとめ上げる「企画展」の実施であり、それを初めて組織的に実現したのが1929年に開館したニューヨーク近代美術館(MoMA)だった。こうしてMoMA以降に誕生するいわば「第二世代」の近代美術館は、常設展だけでなく企画展にも力を入れていくことになる。

日本でも1世紀近く遅れたものの、第2次世界大戦前につくられた美術館は、東京国立博物館にしろ大倉集古館にしろ大原美術館にしろ、いずれも収集したコレクションの常設展示が中心だった。企画展が美術館活動の前面に出てくるのは戦後まで待たなければならない。ところがその前に、日本では「団体展」という厄介な展示形式が定着してしまう。

団体展とは二科会日本美術院のような美術団体が開く公募展のことで、最初に彼らに展示室を提供したのが、1926年に初の公立美術館として開館した東京府美術館(東京都美術館)だった。同館は開館前に関東大震災の煽りを受けてコレクションを購入する予算がなくなり、以前から展覧会場を欲していた美術団体への賃貸に頼らざるを得なくなったのだ。日本初の首都の公立美術館が団体展の貸し会場と化してしまったことは、その後の日本人の美術館に対する認識を大きく歪めてしまう。

企画展vs常設展

こうした団体展を嫌って企画展を重視したのが、戦後まもない1951年に開館した神奈川県立近代美術館だった。この館も当初コレクションはなかったが、開館記念展に国内の個人コレクターから作品を借りて「セザンヌ、ルノワール展」を開き、団体展に頼ることなく企画展を中心とした路線を歩み始める。この企画展中心主義が20世紀後半に続々と誕生する公立美術館に受け継がれていく。もっとも、企画展が開かれていない美術館は、たとえ常設展をやっていても休館同然に見られてしまうという負の効果も生み出したが。

しかしその間にも各美術館はコレクションを充実させていった。特に1980年代後半に始まるバブル期には、公立・私立を問わず億単位の高額作品がコレクションに加えられていく。そのシンボル的存在が、1987年に安田火災海上保険が58億円(手数料込み)で落札し、安田火災東郷青児美術館(SOMPO美術館)に収まったゴッホ《ひまわり》(1888)である。それまでの落札記録を大幅に上回る史上最高値をつけたこの落札劇は、日本のバブル景気と名画買い漁りを象徴する社会的事件となった。

ケタは違うが、公立美術館もこのころ名画に多額の公金を費やしている。その火付け役となったのが、ミレー《種をまく人》(1850)と《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》(1857-1960)の2点を合わせて約1億8,200万円で購入し、これを目玉に1978年に開館した山梨県立美術館だろう。当初は税金の無駄遣いともいわれたが、同館はその後もミレー作品を買い足し、いまではすっかり「ミレーの美術館」として定着。公立美術館としては珍しく一般の観光客にも知られた人気スポットになっている。

その後も、埼玉県立近代美術館がモネ《ジヴェルニーの積みわら、夕日》(1988/1989)を、愛知県美術館がクリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》(1903)を、東京都現代美術館がリキテンスタイン《ヘアリボンの少女》(1965)を、それぞれ高額で購入して話題をさらった。とはいえそんな一点豪華主義は長続きしない。集客の面では名品珍品を次々に提供してくる企画展にかなうはずもなく、常設展示室はどこも空いている。でもそれでいいのだ。せめて常設展くらい安い料金でゆっくり見させてくれよ。

東京国立博物館

前振りが長くなってしまったが、いくつか常設展、いやコレクション展を見てみよう。

最初はやはり東京国立博物館の「東博コレクション」。ここは日本と東洋の古美術が中心で、所蔵品数は約12万件と質量ともに日本一の規模を誇る。もちろんそのすべてが見られるわけではなく、常時公開しているのは3,000件ほどだから全体の40分の1程度に過ぎない。それでも他館に比べればケタ違いに多い。

東京国立博物館は1938年完成の本館をはじめ、2階が特別展(企画展)専用の平成館、100年以上の歴史を持つ表慶館、谷口吉郎設計の東洋館、その息子の谷口吉生設計の法隆寺宝物館、それに道を隔てて隣接する黒田記念館も含めて6館からなり、コレクション展が見られるのは表慶館を除く5館。時代・様式の異なる建築を眺めるだけでも見ごたえがあり、これらも「東博コレクション」といっていいだろう。

本館の2階は、縄文・弥生から江戸時代まで、1階は彫刻、漆工、刀剣などジャンル別に展示され、ぐるっと回れば日本美術を概観できる。ちなみに同館が所蔵する国宝は89件、重要文化財は653件に及ぶが、通期展示される国宝は堅牢な素材・つくりの地味なものが多く、雪舟《秋冬山水図》や長谷川等伯《松林図屏風》などのよく知られた国宝絵画は、素材が紙に墨という脆弱さゆえに限られた期間しか公開されない。そのためルーヴルの《モナリザ》のように、いつ行っても見られる目玉作品に乏しいのが残念である。

それでも国宝を見たければ本館2階の国宝室を訪れればいい。1カ月交代で国宝を公開しており、夏には久隅守景《納涼図屏風》が展示されているはずだ(2025/7/23-8/17)。

個人的には古美術より近代以降の美術に興味があるので、最後の「近代の美術」の部屋が楽しみである。ここには明治から大正あたりまでの絵画・彫刻が集められていて、ぼくが訪れたときは満谷国四郎《二階》(1910)、原撫松《モンタギユ夫人像》(1907)などが公開されていた。

東京国立博物館「近代の美術」[筆者撮影]

東京国立近代美術館

時代的に近代以降の美術の流れ、つまり「東博コレクション」の後を継ぐのが東京国立近代美術館の「MOMATコレクション」である。

美術館は4階建てで、1階が企画展にあてられ、2階から4階までの所蔵品ギャラリーがコレクション展になっている。収蔵点数は約14,000点で、そのうち常時200点ほどを展示。コレクションの基本は19世紀末から現代までの日本美術だが(明治・大正期は東博コレクションと重なる)、セザンヌ、カンディンスキー、ドローネーなど外国の美術も付け足し程度にある。

ここは企画展に合わせて年に5回ほど展示替えがあるが、原田直次郎《騎龍観音》(1890)をはじめ、和田三造《南風》(1907)、岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915)、靉光《眼のある風景》(1938)など、画集や教科書でおなじみの代表的作品は比較的見られる可能性が高い。

ここでしかまとめて見られないものに計153点に及ぶ戦争記録画がある。これは、日中戦争から太平洋戦争にかけて軍のプロパガンダとして描かれた大作を中心とする作品群。戦後アメリカに接収されたが、1970年に無期限貸与というかたちで返還され、以後数点ずつ小出しに展示されている。現在は企画展「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(2025/07/15-2025/10/26)に一挙24点が出品されているほか、3階の日本画コーナーに4点、2階の小企画展に2点展示されており、計30点となる。これだけ大量の戦争記録画が同時に公開されるのは初めてのことだ。

またコレクション展では、久しぶりに重要文化財の油彩5点が一堂に会すことになった。前述の原田、和田、岸田作品に加え、萬鉄五郎《裸体美人》(1912)、中村彝《エロシェンコ氏の像》(1920)である。現代では李禹煥、石内都、日比野克彦らの作品もあるが、つい見逃してしまいそうになるのが不動の常設コレクションだ。3階の一室の壁を埋め尽くすソル・ルウィットの「ウォール・ドローイング」(1994)や、2階のガラス窓に向かい合って立つアントニー・ゴームリーの彫刻《反映/思索》(2001)などである。


東京国立近代美術館 アントニー・ゴームリー《反映/思索》[筆者撮影]

国立西洋美術館

国立西洋美術館は開館以来「常設展」の名称をそのまま用いている。確かにここは、しばしば展示替えをしているものの、モネやロダンなどの目玉作品はほぼいつでも見られるし、常に古典から現代までの西洋美術史がひととおり概観できるので「常設展」でいいのかもしれない。それに、同館で「コレクション」といえば固有名の「松方コレクション」を想起するからだ。

国立西洋美術館は、戦前に実業家の松方幸次郎(1866-1950)が集めた「松方コレクション」を常設展示するため、1959年に建てられた。当初はル・コルビュジエ設計の本館しかなく、大規模な企画展が開かれるときは常設作品が締め出されることもあったが、1979年に隣接地に新館が完成し、企画展と常設展の両立が可能になる。さらに1998年に前庭の地下に企画展示館が開館してからは、常設展示室と企画展示室が完全に分離。本館では14世紀から18世紀前半まで、新館では18世紀後半から20世紀までの西洋美術を常時200点以上、時代を追って展示している。

現在コレクションは約6,000点。これらをコレクションの経緯がわかるように、「松方コレクション」「旧松方コレクション」「その他」に分けてみよう。

「松方コレクション」は、造船所の社長だった松方幸次郎が、第一次世界大戦を機にヨーロッパで買い集めた1万点以上のコレクション(フランスの画商から買い戻した浮世絵8千点も含む)のうち、特に戦後フランスから「寄贈返還」された370点の作品群をいう。いま展示されているものでは、松方がモネのアトリエに赴いて直接購入した《睡蓮》(1916)、ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》(1872)などがある。

また、松方が入手しながら造船不況や輸入品の高関税などにより散逸した作品を「旧松方コレクション」といい、そのうちの相当数は同館開館後に寄贈されたり買い戻したりしている。マネ《ブラン氏の肖像》(1879頃)、ロセッティ《愛の杯》(1867)などがそれである。

国立西洋美術館新館 左から2番目がマネ《ブラン氏の肖像》、3番目がルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》[筆者撮影]

「その他」、つまりコレクションの大半は開館以降に入手した作品で、特に近代以前の古典絵画が多く、これによってルネサンス以降の西洋美術史がひととおりたどれるようになった。いまでもコレクションは増え続けており、初公開の際には「新収蔵作品」の表示があるので、どんな作品が加わったのかがわかる。

その新収蔵作品のなかでも興味をそそられるのは、ラヴィニア・フォンターナ《アントニエッタ・ゴンザレスの肖像》(1595?)と、ルイ=レオポルド・ボワイー 《トロンプ・ルイユ:クリストフ=フィリップ・オベルカンフの肖像》(1815)の2点だ。どちらも小さめの肖像画だが、ただの肖像画ではない。

前者は顔中が熊のように毛で覆われた少女像なのだ。当時の宮廷ではベラスケスも描いているように、しばしば小人や多毛などの奇形が「楽しみを与える人」としてもてはやされ、肖像画に残されていたのである。もうひとつ注目すべき点は、作者が美術史上もっとも早い時期に活躍した女性画家であること。近年どこの美術館も女性作家のコレクションを増やしているが、特に近代以前には女性作家がきわめて少なかったため、同館にとっては貴重なコレクションとなった。

後者は画家のパトロンを描いた白黒の版画で、下に文章が入っているように見えるが、実は版画に見せかけた油絵なのだ。こうした「だまし絵」を「トロンプ・ルイユ」といい、近世に流行った絵画ジャンルである。どちらの作品も美術史の王道から外れたキワモノ的な魅力があり、国立西洋美術館の懐の深さが感じられて嬉しくなる。

以上、国立3館を見てきたが、これらはいずれも企画展示室よりコレクション展示室のほうが何倍も広いということに留意したい。集客力は企画展に及ばないものの、美術館の真価はコレクションにあるといわんばかりである。

東京都現代美術館

公立美術館は数が多い割に中身はどこも大して変わらないので、ここでは東京都現代美術館に絞りたい。ここはまさにコレクションの常設展示の必要性から生まれたといっても過言ではない美術館だからだ。

日本がバブル景気に沸く1980年代ごろから、海外からも日本の現代美術が注目を集めるようになったが、古美術とは違って現代美術の常設館はなかった。そのころ東京都美術館では戦後日本美術を中心とするコレクションが約3,000点に増えていたが、団体展用の展示室が広い割に常設展示室がなく、企画展の合間に見せるしかなかった。そこで1995年、東京都美術館からコレクションを引き継ぎ、常設展示と企画展示の2本柱で開館したのが東京都現代美術館である。現在コレクションは約6,000点にまで膨らんでいる。

このように当初からコレクションの常設展示に力点を置いていたため、他館に先駆けて常設展に企画展並みのテーマ性を持たせ、コレクション展示室2フロアを使い、「MOTコレクション展」として年3-4回の展示替えを行なうようになった。

ぼくが見た6月には「9つのプロフィール 1935→2025」 (前期:2025/4/29-7/21、後期:8/2-11/24)を開いていた。これは1935年から2025年までを10年ごとに区切り、90年間の流れをたどるもの。同館のコレクションといえば戦後の作品ばかりと思っていたが、戦前・戦中の所蔵品が充実してきたこともあって1935年を基点にしたという。

1984年までが1階で、それ以降が3階の展示になるが、時代を遡るほど未知の作品が多く、興味をそそられる。特に藤田嗣治《千人針》(1937)、向井潤吉《影》(1938)など福富太郎・中村くみ子寄贈の戦争画コレクションや、戦後の浮浪者をスケッチした佐藤照雄《地下道の眠り》(1947-1956)などが目を惹く。その後も具体やネオダダ、ハイレッドセンター、フルクサス、もの派など定番の美術動向が時代背景とともに紹介されるが、目立つのは、桂ゆき、福島秀子、合田佐和子、辰野登恵子、髙柳恵里といった女性作家である。これまで草間彌生やオノ・ヨーコくらいにしかスポットが当たらなかったが、最近は女性作家の掘り起こしが急激に進んでいる印象だ。

3階の最後の部屋では、宮島達男によるデジタルカウンター作品《それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く》(1998)が、文字どおり永遠に刻を刻み続けている。常設展中の常設作品である。

東京都現代美術館「9つのプロフィール1935→2025」より、右から辰野登恵子《Untitled 94-7》《UNTITLED 90-14》、小林正人《絵画》[筆者撮影]

アーティゾン美術館

コレクションはだいたい公立より私立美術館のほうが見ごたえがある。なぜなら私立は、公立のようにまず美術館を建ててから作品を満遍なく集めるのではなく、コレクターがみずからの意志で集めた美術作品を公開したものが大半なので、より個人の趣味が反映されるからだ(もっとも公的性格を強めるにつれ、どこも個性が薄まっていく傾向は否めないが)。その私立美術館のなかでも有数の近現代美術コレクションを誇るのが、首都圏ではアーティゾン美術館ポーラ美術館だろう。

アーティゾン美術館は、ブリヂストンの創業者である石橋正二郎(1889-1976)が収集したコレクションを公開するために設立したブリヂストン美術館を前身とし、2019年の本社ビル建て替えと同時に館名をアーティゾン美術館と改め、翌年開館した。これを機に常設展も「石橋財団コレクション選」に改称。コレクションの総数は約3,000点という。

美術館は23階建ての高層ビルの低層階に位置し、展示室だけで4-6階の3フロアを占めている。企画展が6階だけのときは4-5階がコレクション展に、企画展が5-6階にまたがるときは4階がコレクション展になる。現在はオーストラリア先住民の女性アーティストによる「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」 (2025/06/24-2025/09/21)が2フロアを使っているため、「石橋財団コレクション選 コレクション・ハイライト」 (後期:2025/6/10-9/21)は4階の1フロアで開かれている。

会場に入ると目に飛び込んでくるのが、同館の目玉であるルノワール《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》(1876)であり、それを囲むように展示されたベルト・モリゾ《バルコニーの女と子ども》(1872)と、エヴァ・ゴンザレス《眠り》(1877-1878頃)というふたりの女性画家の作品である。彼女たちの作品を冒頭に持ってきて企画展の女性展に同調させたのだろう。

ほかでも述べたようにもともと女性作家の作品は数が少ないが、今回は積極的に取り上げているように思える。たとえば、世界的に評価される草間彌生と田中敦子の作品をあえてぶつけてみたり(火花散る!)、堂本尚郎とその影に隠れた妻の毛利眞美を隣同士に並べたり(なんと微笑ましい!)。ほかにも、セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-1906頃)、マティス《画室の裸婦》(1899)、古賀春江《鳥籠》(1929)、安井曾太郎《F夫人像》(1939)など見るべき作品は少なくない。

アーティゾン美術館 右から毛利眞美《無題》(1957)、堂本尚郎《連続の溶解9》(1964)[筆者撮影]

ポーラ美術館

大都市のど真ん中に屹立するアーティゾン美術館と対照的に、ポーラ美術館 は箱根の森の緑に溶け込むように建つ。お世辞にも便利とはいえないロケーションだが、豊かな自然環境とコレクションの量と質を考えれば丸1日を費やす価値はある。

ここはポーラ創業家2代目の鈴木常司(1930-2000)が収集した近代美術コレクションを公開するため、2002年に開館。コレクションは約1万点というから私立美術館では群を抜いている。

ポーラ美術館の特徴は、その豊富なコレクションを生かした企画展にある。企画展は年に2本、半年ずつのロングランで行なわれるが、それは展示作品の相当数を自館のコレクションで賄うから可能なのだ。というより、自館のコレクションから浮かび上がったテーマを元に企画展を組み立てている、といったほうが正しいかもしれない。そういう意味では他館と違って、企画展とコレクション展の境が曖昧ともいえる。

例を挙げると、いま開催中の「ゴッホ・インパクト─生成する情熱」 (2025/05/31-2025/11/30)は出品作品が90点あるが、そのうちポーラのコレクションは過半数の47点にも及ぶ。同館にはゴッホの油彩画が3点あり、これを元に「ゴッホの影響」というテーマを設定して作品を選び、自館で足りない部分はほかから借りて補ったのだろう。そんなことができるのも質量ともに充実したコレクションがあるからこそである。そのため展示室はフレキシブルに企画展にもコレクション展にも使えるようになっている。

ポーラ美術館「ゴッホ・インパクト」展より、左はゴッホ《アザミの花》(1890)[筆者撮影]

現在はB2Fの展示室5を「コレクション選」に充て、モネ《睡蓮の池》(1899)、ルノワール《レースの帽子の少女》(1891)、マティス《リュート》(1943)、ピカソ《海辺の母子像》(1902)など同館の代表作が見られる。

さて、ここで料金についても触れておかなければならない。ポーラ美術館は一般2,200円と高めの設定だが、これは企画展示室とコレクション展示室に分かれていないため、両方とも見られる共通チケットになっているからだ。アーティゾン美術館も同様に共通で一般1,800円(ウェブ予約)だが、企画展はいま2,000円前後が相場なので、企画展もコレクションも同時に見られると考えれば高くはない。

ついでに国公立美術館を調べてみると、コレクション展のみの料金はかなり安い。首都圏では東京国立博物館の1,000円が最高だが、これは質と量を考えれば納得である。東京国立近代美術館、国立西洋美術館、東京都現代美術館、横浜美術館などが500円、埼玉県立近代美術館、府中市美術館 などが200円となっている。だいたい料金はコレクションの展示室面積および作品数と比例するようだ。

そこに行かなければ見られない

今回は首都圏近郊の総合的な美術館に絞ったが、ほかにも常設展=コレクション展で見るべき美術館は数多い。特に芸術家の個人美術館は、その芸術家に興味のある人にとって一度は訪れるべき場所だろう。すみだ北斎美術館台東区立朝倉彫塑館大田区立龍子記念館岡本太郎記念館原爆の図丸木美術館など首都圏だけでも十指に余る。

また、新しい傾向として、その場に行かなければ見られない(つまり巡回できない)パーマネントコレクションも増えている。作品が建築と一体化しているため移動不可能なのだ。金沢21世紀美術館のレアンドロ・エルリッヒ《スイミング・プール》が有名だが、その先駆けとなったのが、荒川修作、岡崎和郎、宮脇愛子の3人だけのサイトスペシフィックな作品を恒久展示する岡山県の奈義町現代美術館である。

同館を設計した磯崎新はこうしたタイプを、古典美術を常設する「第1世代」、作品が移動可能な「第2世代」に続く「第3世代の美術館」と位置づけた。21世紀に入って増え始め、青森県の十和田市現代美術館や、瀬戸内海に点在する地中美術館犬島精錬所美術館豊島美術館などがこれに該当する。あれ? 首都圏がないな。

なにはともあれ、夏は安くて冷房の効いたコレクション展がおすすめである。