桜が開花して、外を出歩くのが楽になってきた。花粉症か風邪なのかよくわからない症状が、ずっと続いているのは気になるが、それでも気持ちが少し浮き立ってくる。写真の展覧会を見にいくのは、私にとってほぼ日課になっていて、これまで何の疑いもなく足を運んできた。写真評論家としての当然の仕事と思っている。それでも、いい展示を見た日とそうでない日とでは、気持ちの弾みが違う。今年の1〜3月は伊奈英次展や上原沙也加展、大西茂展などがあり、いつもの月よりも大きな収穫があった。こんな日々が続くといいのだが。
2026年1月29日(木)
東京都目黒区の荏原 畠山美術館で開催された「圏外の眼 伊奈英次の写真世界」(2026/1/17-3/22)は、とても充実した内容の展覧会だった。実業家で茶人としても知られた畠山一清(即翁)が収集した重要文化財などの古美術品が収蔵された本館の会場を抜けた新館地下の会場に、100点近い伊奈の代表作が並ぶ。古美術と写真とが意外なほどに溶け合っているのは、もともと伊奈の写真世界が「間」「侘び、寂び」といった日本の古典的な美意識との親和性が強いからではないだろうか。特に124代の歴代の天皇陵をすべて撮影した「Emperor of Japan」(2000-2007)シリーズに、そのことを強く感じた。8×10インチ判の大判カメラによる、モノクロームプリントの空間描写のクオリティは、同美術館で同時開催された畠山コレクション「冬、そして春へ――『華やぎ』と『侘び』の調べ」展の出品物と比較しても遜色がない。新作のデジタルカメラを使用した「残滓の結晶」(2019)を見ると、伊奈の写真世界の精度は、より研ぎ澄まされつつあるようだ。
「圏外の眼 伊奈英次の写真世界」展[筆者撮影]
2026年1月31日(土)
いい展覧会を見た日は幸せな気分になる。「あざみ野フォト・アニュアル2026」の一環として、横浜市民ギャラリーあざみ野で開催された「上原沙也加 たとえすべての瓦礫が跡形もなくきれいに片付けられたとしても」(2026/1/24-2/22)を見終えて、あらためて写真と向き合うことの歓びを強く感じた。1993年生まれの上原は沖縄出身で、当地に在住する写真家だが、先行世代とは違って沖縄を取り巻く歴史・社会状況を作品に取り込み、そのことへの違和を声高に主張することはない。だが、身近な光景、出来事に静かに寄り添うような視線を向けるなかで、全島が戦場となった沖縄戦と、その後のアメリカ軍統治時代の記憶が滲み出てくるような眺めが写真に写り込んでくることになる。それらに反発したり、拒否したりするのではなく、まずは受け容れつつ、微かな違和を埋め込んでいくような写真の語法が、彼女のスタイルと言えるだろう。今回の展示であれば、2025年6月23日の「沖縄慰霊の日」前後の3日間を日記のように綴った新作「前の浜」に、その語り口がより熟成した形で表われていた。モノクロームの画像をスライドショーの形で見せる展示構成も、とてもうまくいっていたと思う。
あざみ野フォト・アニュアル2026「上原沙也加 たとえすべての瓦礫が跡形もなくきれいに片付けられたとしても」展示風景より、「前の浜」シリーズ[Photo: Ken Kato、提供:横浜市民ギャラリーあざみ野]
2026年2月11日(水)
いまは東京で活動しているスイス出身のアンドレス・フェアーとニューヨークで育った日本人のフェアー万季は、ここ30年以上、一緒に暮らしながらそれぞれ独自のアート活動を展開してきた。アンドレスはドローイング、万季は写真の領域で発表を続けてきたのだが、2年ほど前に二人の作品がどこか似通っていることに気がつく。以来、色、フォルム、質感などが共通するドローイングと写真を、隣り合わせるように並べた抽象作品を制作していった。今回東京・代々木のエステルオカダアートギャラリーで開催した「In Conversation」展(2026/2/11-22)では、近作20点余りを展示していた。260×162㎝という大きな作品もあるのだが、むしろ思いがけないコレスポンダンス(照応)が生じている小さなサイズの作品の方が面白かった。どんな作品にするのか特に話し合っていたわけではないのに、「言葉にならない対話」が形になっている。ニューヨークや東京で二人が暮らしてきた生活の厚みが、作品に反映されているようにも感じた。
左から、万季フェアーとアンドレス・フェアー[筆者撮影]
2026年2月15日(土)
「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展(国立新美術館企画展示室2E、2026/2/11-5/11)は、1980年代から21世紀初頭に至る、イギリスの若いアーティストたち(YBA=Young British Artists)の作品を、ロンドンのテート美術館のコレクションで振り返るという企画である。この時期には、アートに対するロマンティックな幻想が完全に失われ、リアルな個人、社会の状況を作品にいかに取り込んでいくかが模索された時期だった。その時に活用されていったのが、写真・映像の現実把握の能力である。今回の展示でもヘンリー・ボンド&リアム・ギリック、マイケル・ランディ、ジリアン・ウェリング、レイチェル・ホワイトリード、ヴォルフガング・ティルマンズ、サラ・ジョーンズ、トレイシー・エミンなど、写真や映像を基本的な発表のメディアとして使うアーティストたちは枚挙にいとまがない。確かに、彼らの作品から伝わってくるリアリティは、現代アートの世界に新風を吹き込んだ。ただ、今あらためて見直すと、その「なんでもないものから何かが生まれる:身近にあるもの」(本展SECTION 6のタイトル)へのアプローチが、どこか索漠とした、想像力の広がりを欠いたものにも見えてくる。ロマンティシズムに回帰する必要はないだろう。だが、過度なリアリズム志向(むろん出品作品のすべてではないが)もどうだろうかとも思ってしまった。
「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展より、ヴォルフガング・ティルマンズの作品[筆者撮影]
2026年2月18日(水)
東京ステーションギャラリーで開催された「大西茂 写真と絵画」展(2026/1/31-3/29)のポスターやチラシには「伝説的展覧会になる」という文字が踊っていた。実際に展示を観て、それが惹句でもなんでもないことがわかった。これほどのアーティストが、これまであまり取り上げられる機会がなかったことが不思議に思える。むろん大西の写真や絵画の仕事は、1950年代に「主観主義写真」やミシェル・タピエが主唱した「アンフォルメル絵画」との関連においてそれなりの評価を受けてきた。また近年、ギャラリーMEMによって紹介が進み、ドイツの出版社からの写真集の刊行や展覧会の開催といった動きもあった。だが、大西の作品世界を、彼の「超無限」という位相数学を援用した独自の理論体系を元に再構築する試みは、今回の東京ステーションギャラリーの展示で初めて実現したと言えるだろう。そこから見えた、従来の写真や絵画の枠組みそのものを大きく揺るがすような、なんとも訳のわからない超越的な時空間(「別の世界」)の表現のスケール感は驚くべきものがある。彼の仕事を日本の1950年代以降の写真史や美術史にどう接続していくか、あるいはどう分離させていくのかが、次の課題になるのではないだろうか。
「大西茂 写真と絵画」展[提供:東京ステーションギャラリー]
2026年2月19日(木)
1947年生まれの三好耕三は、アリゾナのサボテン(CACTI)を撮影しにはるばる出かけて、今回の新作展「1620 CACTI」(PGI、2026/1/9-3/14)を開催した。タイトルの「1620」は、16×20インチ判の大判フィルムを使用するカメラで撮影したという意味であり、まさに巨大カメラとしか言いようのない機器を軽々と使いこなす三好の、体力、気力の充実ぶりには驚くしかない。その緻密かつ細部まで目の行き届いたモノクローム・プリントのクオリティの高さも特筆に値する。会場で上映されていた三好の撮影の様子を記録したドキュメント映像を見て、あらためて彼がカラーではなく黒白写真にこだわる理由がわかった気がした。確かにサボテンの植生を含む、砂漠地帯のリアルな現実を写し取るのにはカラー写真の方が適している。だが、カラーだと写真の画面における緊張感と深みが薄れ、平板な画像になってしまう。三好は現実世界そのものよりも、それをモノクロームの写真として変換した像に、より強いシンパシーを感じているということではないだろうか。
「1620 CACTI」展[筆者撮影]
2026年2月23日(月)
舘野二朗はここ10年余り、奄美諸島に通い詰めて撮影を続けてきた。その成果を集成した『AWAI 奄美2016−2025』(ジロプロダクション、発売:トゥーヴァージンズ)を見て、彼がなぜ奄美に惹かれるのかがわかった気がした。奄美の自然、南島の多雨地域の植物や生きものたちから発する生命力のオーラは圧倒的としか言いようがない。館野はその力を、驚きと畏怖をもって受け止め、広がりと深さを備えた画像として定着しようとしている。写真集の後半部分になると、島の人々の生の営みが視野に入ってくる。そこから見えてくるのは、奄美が「神の島」だということだ。そこでは現世と死者たちの世界、日々の暮らしと祭儀のような非日常とが隣り合い、互いに浸透し合っているのだ。奄美のゲニウス・ロキ(地霊)を、余すところなく捉えた写真集だが、特筆すべきなのは、白谷敏夫による素晴らしいデザインワークである。丁寧なページ構成とレイアウトによって、それぞれの写真の力を最大限に引き出している。
舘野二朗『AWAI 奄美2016−2025』[筆者撮影]
2026年3月4日(水)
広告写真を中心に仕事をしていた岩木登は、2009年のキヤノンのカレンダーの撮影を担当したことをきっかけに、自然写真の分野にシフトしていった。クライアントの意向に振り回され、マーケットが縮小していた広告写真に限界を感じ、「原生の鼓動」をストレートに感じ取り、定着する自然写真に大きな魅力を覚えたのだという。以来、東京から青森県の山間に移住してから、15年余りの間に撮影してきた写真群を集成したのが、今回東京・品川のキヤノンギャラリーSで開催された個展「南八甲田」(2026/2/6-3/23)である。ブナの森の四季、山岳、川、湖の荘厳としか言いようのないたたずまい、そしてそこに棲む野生の生きものたち——それらの姿を、余分な要素を削って、正面からストレートに捉えた写真が、次々に目に飛び込んできて見応えがあった。ただ、照明を落として写真の画面をスポット光で浮かび上がらせた展示構成は、逆にドラマチックな要素が強調され過ぎてしまうように感じた。個々の風景や生きものについてのデータも、もう少し欲しかったと思う。
「南八甲田」展[筆者撮影]
2026年3月14日(土)
元田敬三がふげん社での個展「SHORT HOPE」(2026/3/6-29)に合わせて開催された大西みつぐとのトーク(2026/3/14)で、本作のことを「間違いなく自分の代表作になる」と語っていた。その通りだと思う。『青い水』(ワイズ出版、2001)以来、元田は、写真集を何冊か出してきたが、本人も認める通り、内容とレイアウトがどこか噛み合わないものが多かった。今回は、たまたま朝に散歩に出かけた大阪・釜ヶ崎(西成)の三角公園で出会った「カップル」を撮影したときに、「これを撮らなければならない」と心に決めたのだという。その動機も、21ミリのワイドレンズ、黒白フィルムという組み合わせも、やや引き気味に人物とその背景のディテールを広く、細やかに取り込んだ画面構成も、とてもうまくいっていた。何よりも、被写体(西成の住人たち)との濃密で丁寧な関係のつくり方に、元田が1996年に準太陽賞を受賞して以来、30年にわたって積み上げてきた経験の蓄積が充分に活かされている。いい個展、いい写真集だった。
「SHORT HOPE」展[筆者撮影]
2026年3月18日(水)
前回の連載で紹介した広瀬勉の写真集『天沼』(港の人)の刊行に合わせた写真展が、2026年2月の東京堂書店神田神保町店を皮切りに全国各地で開催されている。そのうち、神奈川県逗子市の古本イサドととら堂のギャラリースペースで開催中の「天沼」展(2026/3/14-29)に出かけてきた。写真集に掲載された写真もむろん出品されているが、本作の主役のひとりである作家、翻訳家の矢川澄子さんがかつて住んでいたということもあって、逗子市に近い鎌倉で撮影された写真群(「鎌倉詣」)も加わっている。やはり鎌倉の住人だった「田村隆一らしき人」が写っているスナップ写真などもある。「天沼」シリーズの全体に貫かれている、土地と人との関わりを細やかに写しとっていく視点が、展示作品にもしっかり反映されていた。広瀬のコントラストの強い黒白写真は、一見被写体を突き放して撮影しているように見えるのだが、意外なほどの体温が感じられることがよくわかった。「天沼」展は、以後、沖縄・那覇、京都、名古屋などにも巡回する予定とのこと。各地で反響を呼び起こしそうだ。
「天沼」展[筆者撮影]
2026年3月20日(金)
ロシアの写真家の展覧会は珍しい。まして、クリスティーナ・ロシュコワ「unbewitched/アンビウィッチド」展(PARCO MUSEUM TOKYO、2026/3/20-4/13)のように、血まみれの女性の顔、性的なほのめかし、動物たちのクローズアップ、暴力的な場面などの要素が、前面に打ち出されているような写真群は、これまでほぼ見ることができなかった。実際にロシュコワはアンチ・フェミニストから政治犯として告発され、ロシア国内での活動が難しい状況なのだという。まずは、展覧会をコーディネートした菅付雅信をはじめ、関係者の方々の、おそらくかなりきつい状況を乗り越えて実現したはずの展示に敬意を表したい。一見、センセーショナルな雰囲気を漂わせているが、ロシュコワの表現には、これ見よがしな自己顕示ではないリアリティを感じる。モデルになっているのは、ほとんどが彼女の友人や知人であり、そこにはロシアの歴史・風土・文化を批判的に問い返そうとする姿勢が貫かれているのだ。ロシュコワ以外にも、困難な状況に立ち向かおうとしている写真家、アーティストは他にもいるはずだ。彼らの作品もぜひ見てみたいと思う。
クリスティーナ・ロシュコワ[筆者撮影]
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