全国各地の美術館・博物館を渡り歩き、そこで出会うミュージアムグッズたちの素晴らしさを日夜世の中に伝えている、ミュージアムグッズ愛好家の大澤夏美さん。博物館経営論の視点からもミュージアムグッズを分析する彼女が、日々新たな商品や話題が生まれる現場の近くでどのような思考や問いを携えて活動しているのかを定期的に綴る「遊歩録」。今回のテーマは、普段あまり意識することのない「おみやげ」とミュージアムグッズの性質の違いについて。シンポジウムでの異分野の研究者との登壇を出発点に綴っていただきました。(artscape編集部)

ミュージアムグッズは“おみやげ”なのか?

なぜ人は、旅に出ると「おみやげ」を買うのだろうか。2月、二松学舎大学国際日本学研究科が主催する公開シンポジウム「アートをめぐるモビリティ:人・モノ・情報のネットワーク」でミュージアムグッズについて講演した。そのなかで観光学のおみやげ研究に話題が及んだとき、ミュージアムグッズとおみやげは、きわめて近い位置にありながら、同じものとしては捉えきれないのではないか……と考えさせられた。


二松学舎大学での公開シンポジウム「アートをめぐるモビリティ:人・モノ・情報のネットワーク」ポスター

どちらも、ある場所での体験と結びつき、持ち帰ることのできる「モノ」である。展示を見た後にミュージアムショップで何かを手に取る感覚は、観光地でおみやげを選ぶときの感覚と、どこか似ている。けれども、その役割は本当に同じなのだろうか。

おみやげは、旅の記憶をとどめ、ときに他者と分かち合いながら、その経験を日常へと回収していく。一方で、ミュージアムグッズは、むしろ体験を終わらせず、そのときに生まれた問いや違和感を持ち帰るためのものとして働いているようにも思える。似ているようで、どこか決定的に異なるこの二つのモノ。その差はどこから生まれるのか。

本稿では、観光学におけるおみやげ研究を手がかりに、この差を少し丁寧に考えてみたい。

観光学関連の文献[筆者撮影]

「思い出喚起物(リマインダー)」としてのおみやげ

観光学および文化人類学において、おみやげは単なる記念品ではなく、観光という行為そのものと深く結びついた存在として理解されてきた。とりわけ重要なのは、おみやげが、日常と非日常の間を往還する構造のなかで機能している点である。

まず、おみやげは観光経験を可視化する装置として捉えられてきた。イギリスの社会人文学者であるネルソン・H・H・グレイバーンは、観光を宗教における巡礼になぞらえ、そのなかで獲得されるおみやげを旅の達成を示す「聖杯」と位置づけた(Graburn、1977)。観光者は非日常の空間から日常へ戻る際、その経験を示す何らかの証拠を持ち帰る必要があり、おみやげはその具体的な形として機能する。ここで持ち帰られるのは、単なるモノではなく、経験の記憶そのものである。

この点に関連して、ウィスコンシン大学マディソン校名誉教授のビバリー・ゴードンは、おみやげを「思い出喚起物(リマインダー)」として捉え、それが特定の時間と場所に結びついた経験を固定する働きをもつと論じている。さらに、こうしたモノは日常へ持ち帰られることで新たな意味を帯びるとされ、この過程は「聖別化」として理解される(Gordon、1986)。

これらはGraburn(1977)やGordon(1986)の議論を踏まえれば、おみやげは個人の記憶に関わるだけでなく、社会的な関係のなかで機能するといえるだろう。とりわけ贈答としてのおみやげは、文化的に制度化された交換の一部であり、贈ること自体が期待される行為でもある。旅行者がおみやげを持ち帰るのは、単なる好意ではなく、日常世界へ再び編入されるための実践でもある。この意味で、おみやげは非日常から日常へ移行する際の「通過儀礼」における目印としての役割を担っている。


友人からの秋田のおみやげ、なまはげのネックストラップ[筆者撮影]

さらに、おみやげは「その土地らしさ」を運ぶ記号としても理解されてきた。鵜飼敦子が指摘するように、土産物は必ずしも地域特性を反映しているわけではなく、「どこのものとして語られるか」によって意味づけられる(鵜飼、2007)。ここでは、物理的な出自よりも、イメージとしての地域性が重視される。

ただし、こうした真正性については再検討も進んでいる。橋本和也は、観光における「本物らしさ」は客観的に定まるものではなく、観光者の経験や語りのなかで構築されると指摘する(橋本、2011)。すなわち、おみやげの価値は、それが何であるか以上に、それがどのような経験を語りうるかによって決まる。

さらに、日本におけるおみやげ文化を考えるうえでは、菓子類を中心としたおみやげのあり方にも注目する必要がある。鈴木美香子は、日本のおみやげの多くが食品、とりわけ菓子であることに着目し、それが「消費されること」を前提としたモノである点を指摘している(鈴木、2025)。菓子としてのおみやげは、持ち帰られたあとに食べられることで消失していくが、その過程において、誰とどのように分けたのか、どのような場面で渡されたのかといったやりとりが記憶として残る。すなわち、おみやげの価値はモノそのものの保存にあるのではなく、それを介して生じる関係や語りにあるといえる。

このように、おみやげは必ずしも物質的に残存することを前提とせず、むしろ消費されることを通じて経験を共有し、日常のなかに再配置していく装置として機能しているのである。そして、記憶、象徴、贈与、そして日常と非日常の往還という構造のなかで、多層的に機能しながら、観光経験にひとつの区切りを与える装置として理解されてきたのではないだろうか。

こちらは友人からもらったおみやげのバター飴のパッケージを改造し、ポーチにしたもの[筆者撮影]

ミュージアムグッズとおみやげを分けるもの

このような違いについて考えていたとき、2月に登壇した二松学舎大学での講演のことを思い出した。コメンテーターの堀野正人先生は観光社会学・都市観光論を専門とされており、聴衆にもその分野を学んできた人が含まれていた。ミュージアムグッズという対象について、博物館学の側からだけでなく、近接分野である観光学の知見を踏まえて考える必要があるのではないか、という感覚が残った。実際、現在ミュージアムグッズとして定番となっているアイテムを見ても、手ぬぐいや絵はがきといったものが多く含まれている。これらは、かつて土産物として広く流通してきた形式とも重なっており、ミュージアムグッズがもともとおみやげと連続的な位置にあったことを示しているとも考えられる。

もっとも、ミュージアムグッズは当初から現在のような位置づけにあったわけではない。山下治子によると、日本においてミュージアムショップが導入され始めた1970年代以降、1990年代頃までは、その多くが「売店」として受け止められ、観光地の土産物と大きく変わらない商品構成が中心であったとしている(山下、2008)。この時期においては、ミュージアムグッズもまた、観光におけるおみやげと同様に、体験を記念化し、持ち帰る装置として機能していたと考えられる。しかし、2000年前後を境に、その位置づけは変化していく。ミュージアムショップは単なる物販施設ではなく、利用者サービスや広報、ブランド発信の機能を担うものとして再定義されるようになり(山下、2012)、それが教育普及や知識の再確認、知的コミュニケーションの契機となる場でもあることが指摘されている(山下、2008)。

ここで注目すべきは、ミュージアムグッズが単なる記念品から、知的経験の延長として位置づけられるようになっている点である。観光におけるおみやげが、非日常の経験にひとつの区切りを与える媒介であるとすれば、ミュージアムグッズは、展示体験を終わらせず、その後の思考を持続させる媒介として機能している可能性がある。

例えば、展示を見た後に手にした図録やプロダクトは、その場で得た知識や感動を固定するだけでなく、後に読み返されたり、使われたりするなかで、新たな解釈を引き出し続ける。そこでは、経験は一度きりのものとして閉じられるのではなく、反復的に立ち上がるものとして扱われている。実際に、展示を見終えたあとミュージアムショップに立ち寄ると、先ほど見た作品の図版が載った図録や、モチーフを取り入れたプロダクトが並んでいる。どれも魅力的だが、選ぶ時間はどこか静かで、少し考え込むようなものになる。何を持ち帰るかというよりも、どの問いを持ち帰るのかを選んでいるような感覚に近い。

国立民俗学博物館のミュージアムグッズ「仮面手拭(記念版)」。ほかにもクラカヌー船首飾りなど、同施設のグッズはこういった道具がデザインに活用されている点でも面白い[筆者撮影]

それに対して、観光地でおみやげを選ぶときには、誰に渡すかを思い浮かべながら、限られた時間のなかで手早く選ぶ場面も少なくない。そこでは、すでにひと区切りついた体験を、どのように分け持つかが問われているように思われる。

ここで重要なのは、ミュージアムグッズが、意味を固定された「記号」としてではなく、解釈の余地を残したまま日常へと持ち込まれる点である。おみやげが経験を「凍結」し、それを語り直すための装置として理解されてきたのに対し、ミュージアムグッズは、むしろ経験を終わらせないまま持続させ、その後の暮らしのなかで繰り返し立ち上がらせるものとして捉えられるのではないか。このように考えると、両者の違いは、単なる機能の差というより、体験をどのように扱うかという態度の違いであるのかもしれない。

ミュージアムグッズを捉え直す

このような差異は、観光と博物館という制度そのものの違いに由来していると考えられる。観光は、非日常的な経験を享受し、それを日常へと持ち帰ることを前提とする営みであるのに対し、博物館は、知識や解釈を通じて継続的な理解や思考を促す場である。こうした目的の違いが、そこで扱われるモノの役割にも反映されているのではないだろうか。観光におけるおみやげが、経験にひとつの区切りを与えるのに対し、ミュージアムグッズは、経験を固定するのではなく、そのときに生じた問いや違和感を持続させる方向に働いている。

したがって、ミュージアムグッズとは、単なる記念品や収益源ではなく、展示体験において生じた思考を日常へと持ち帰り、それを繰り返し立ち上がらせるための装置として捉えることができるのではないだろうか。それは、体験を保存するものではなく、体験を更新し続けるための媒介である。言い換えれば、ミュージアムグッズとは、思考を持続させるための媒介として捉えることができるだろう。

とはいえ、ミュージアムグッズも周囲へのおみやげとして贈られる場面は少なくない。その意味で、両者は固定的に区別されるものではなく、実践のなかで重なり合いながら機能していると捉えることもできるはずだ。


参考資料

・鈴木美香子『お土産の文化人類学: 地域性と真正性をめぐって』(人文書院、2025)
・今村信隆「博物館のショップ、カフェ、レストラン」(佐々木亨+今村信隆編『[改定新版]博物館経営論』一般財団法人放送大学教育振興会、2023)
・鵜飼敦子「美術工芸品──ダサい土産物がなぜ売れる?」(兼口英子ほか編『知のリテラシー──文化』ナカニシヤ出版、2007)
・千住一「みやげ」(須藤廣ほか編『よくわかる観光社会学』ミネルヴァ書房、2010)
・橋本和也『観光経験の人類学──みやげものとガイドの「ものがたり」をめぐって』(世界思想社、2011)
・山下治子「博物館と物販・飲食サービス」(全国大学博物館学講座協議会西日本部会編『新しい博物館学』芙蓉書房出版、2008)
・山下治子「ミュージアムショップとレストラン」(大堀哲+水嶋英治編『博物館学Ⅲ─博物館情報・メディア論/博物館経営論─』学文社、2012)
・Graburn, Nelson H. H., “Tourism: The Sacred Journey”, 1977.
・Gordon, Beverly, “The Souvenir: Messenger of the Extraordinary”, 1986.