会期(オンライン配信および上映イベント):2026/04/11~2026/04/19
監督・脚本・編集・音楽:クリスティアン・アビレス[スペイン]
公式サイト:https://hadakerukosen.studio.site/posts/laherida_luminosa

インディペンデント上映プロジェクト「肌蹴る光線」による特集企画にて、1997年生まれのスペインの監督クリスティアン・アビレス(Christian Avilés)の初監督映画『輝ける傷(スペインでの休暇をめぐるかなり鮮明な白昼夢)』(英題:La herida luminosa – Daydreaming So Vividly About Our Spanish Holidays)が上映された。本短編は、スペインのマヨルカ島をはじめとするバレアレス諸島のリゾート地で多発したバルコニングという社会現象を描いている。主に酩酊した観光客がホテルのバルコニーから飛び降りる自傷現象を指し、イギリス出身の若者を中心に事件数が増え死亡事件も相次いだという★1。一般的な報道では規律のない若者の愚行、オーバーツーリズムの弊害として事件が消費されるが、アビレスは若者たちが抱える実存的な憂鬱と「失われた太陽」を求めて投身する魔術的・儀式的な心象風景をそこに見出している。

映像は薄暗いイギリスの部屋で話す親子の会話から始まり、善意で手渡されたマヨルカ島のリゾートチケットを片手に太陽が降り注ぐ楽園へと移行する。リゾートプールの水面の反射や鮮やかな光彩、湿度の対比といった即物的なモンタージュは詩のような言葉による推進力と相まって現実と魔法の境界を融解させていく。光の明暗や環境のぬくもりはネオンライトや青い太陽が持つ幻想的な力へと変化し、ゆっくりと精神的な世界へと招きながら若者たちを投身という行為へと誘う。一方で彼らが宙を舞う危うい瞬間を目撃しようと地上の群衆がスマートフォンによる視点を通してただ記録し、オンラインへと共有する報道的なリアリティも同時に記述されている。

若者の投身を扱う作品として想起されるのは、再開発によって変容する都市風景と不条理演劇を接続した三野新の『うまく落ちる練習』(2018)である。三野が「劣化した都市の風景」★2のなかで個人が生き延びるためのシステム化された投身を描いたように、本作のバルコニングもまた合理的な空間に対する抵抗の身振りとして機能している。さらに本作の若者たちは太陽そのものへと一体化しようとする終末的な命の賞賛として、その意味が鮮やかに反転されているのだ。

アビレスの作品に通底しているのは、マックス・ヴェーバーが規定し、テオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』で批判した、脱魔術化された近代社会に対する根源的な抗いである。アドルノらは同書において、計算や合理性によって支配しようとする近代社会が人間を統治的な記号へと還元させ、その抑圧された状況の反動として再び非合理的(ヌミノーゼ)で野蛮な神話へと退化していく過程を暴き出した。合理性と資本論理によって統治され、精神性が剥奪された冷徹で俗なる日常の周縁から逃れ、失われた聖なるものとしての太陽へと向かう事象としての投身。社会における喪失と合理性の果てに行き場を失った若者たちが自らの身体を空中に投じる野蛮さを伴う行為は、その代償と引き換えに世界を強制的に再魔術化しようとする実践として描写される。これはまさに啓蒙社会の抑圧の果てに生への渇望を裏返し、無意識の神話的儀式へと至る、「輝ける傷」にほかならない。


★1──オーバーツーリズムと治安の観点から、バレアレス政府は2020年に包括的規制「観光客の逸脱行為抑制法(Law of Excesses)」を施行。この法律はマガルフやイビサ島等での過度飲酒を禁止し、バーの営業改善や組織化されたアルコールツーリズムを全面禁止している。
★2──原作の概要文より引用。
https://www-stage.aac.pref.aichi.jp/event/item/umakuochirurenshu.pdf


鑑賞日:2026/04/19(日)