会期:2026/04/17〜2026/04/21
会場:新宿眼科画廊 スペース地下[東京都]
作・演出:松森モヘー
公式サイト:https://maad-demons.com/works/しみ/

中野坂上デーモンズ「労働三部作」の完結編『しみ』(作・演出:松森モヘー)が上演された。「虚無を磨く、うろんな清掃劇」を称するこの作品は、清掃員二人が過ごす、まさに虚無のごとき時間を描いたもの。2024年10月の『かみ』、2025年12月の『さる』に続き、この『しみ』もまた、いわゆる労働というよりはむしろ、芸術(=演劇)に携わることと金を稼ぐこと、あるいは生活=人生との間に広がる深淵を覗き込むような作品となった。

舞台は新宿のとあるビルの地下1階。清掃員の清原(松森)と山口(三森麻美)はその日の作業を大方終えたものの、1カ所だけどうしても落ちないしみがある。二人は早く次の現場に向かいたいのだが、管理人はどうにかそのしみを落としてほしいと言い、清掃会社の社長も管理人のいる11時までは作業を続けてほしいと言うため、その場を離れることができない。どうせ落ちないんだからやってるふりでいいんだと言う清原に対し、「やるならちゃんとやりたい」と作業を続ける山口。そうして二人は無駄としか思えない虚無的な時間を過ごすのだが──。

[撮影:星ヒナコ]

[撮影:星ヒナコ]

サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』を思わせるシチュエーションだが、ゴドーがいつ来るかわからない、あるいは永遠に来ないように思われるのに対し、二人の虚無には70分間という明確な区切りがあらかじめ定められている。二人がどう振る舞おうが終わりが訪れることは決まっていて、だからこそ清原は真面目にやる必要はないと言い、それでも山口は真面目に取り組もうとする。例えばこれを、死という終わりが決まっている人生とその生き方の隠喩として捉えることもできるだろう。どうやら二人はほかの現場でも、ほとんど無意味と思われる作業に従事することが多いらしい。ときに無意味にも思える人生を、人はどのように生きることができるだろうか。あまりに大きく、また抽象的なこの問いはしかし、やがて観客の目の前にその身を晒す生身の人間が抱える生々しいものとして観客に突きつけられることになる。

二人の過ごす虚無の時間はもちろん演劇として上演されているものなのだが、劇中にはしばしば、そのことを改めて指摘するような、言わば「メタ演劇ギャグ」が挟み込まれる。管理人が帰るまであと70分あると聞いて思わず「一本芝居出来んじゃん」と口走る山口(もちろん本作の上演時間は70分だ)。それに対して「いや考え方やば。それ演劇の人の考え方やん」と応じる清原がすぐさま「あ、演劇の人か」と自身に突っ込みを入れるように、二人はそもそもかつての演劇仲間だ。山口はいまも演劇を続けているが、清原は演劇をやめ、借金を返すための労働に明け暮れている。清原が演劇にかけた時間は借金へと変わり、返済のための虚無的な労働が演劇として上演されているというわけだ。

[撮影:星ヒナコ]

やがて二人は、かつて「ここ」からすぐ近くにあった新宿ゴールデン街劇場での旗揚げ公演で起きたある事件を思い出す。清原が、仕込んであった血糊をまったく関係のないシーンで誤って炸裂させ、舞台にしみをつけてしまったのだ。あのときも二人は、終電までに帰るために必死でそのしみを擦っていた。そういえば、あのしみは最終的に取ることができたのだっただろうか。いや、もしかして自分たちは、いまもまだあの劇場でしみを擦り続けているのでは……?

いや増す「どこにも行けなさ」は現実とも重なり合う。というのも、新宿ゴールデン街劇場はまさに、松森が作・演出・出演を担い、三森が出演した中野坂上デーモンズの憂鬱(※当時の劇団名)の旗揚げ公演『深海の庭。』を上演した劇場でもあるからだ。たとえそれを知らずとも、『しみ』が上演されているのが新宿のビルの地下1階にある「新宿眼科画廊 スペース地下」だということを考えれば、舞台の上の「どこにも行けなさ」が目の前の俳優たちの抱えるそれとも重なり合うことは明らかだろう。

[撮影:星ヒナコ]

[撮影:星ヒナコ]

清原がどんなしみでも消せる「専門家」の存在を口にする一方、山口は「専門家」は自分たちの演劇が存在していることに気づいてもいなかったと言う。だから消されることもなかったのだと。いつ来るのか、そもそも来るのか来ないのかもわからない「専門家」に見出され、あるいは「消される」そのときを待ちながら、同時にいつか確実に訪れる「終わり」をも待つ日々。しかし本当に怖いのは、もうとっくに終わっているのにそれに気づかないことなのかもしれない。あるいはそうと知りながら、見て見ぬふりをすることもあるだろう。それとも、終わっていると知らずにいられることこそが究極の幸せだろうか。終わる間際で山口は、あのときの「血糊」は本物の血だったと言い出す。ならばやはり、清原はすでにそこで終わっていたのかもしれない。

いずれにせよ、永遠に演劇をやっていられるなどということはない。しかしそれでも、たとえそれが錯覚であったとしても、「終わり」が来るのがまだ先の未来であるかぎり、演劇を「擦り」続けざるを得ない業を背負った人々がいる。自分たちが演劇にしがみついているしみなのか、それとも演劇こそが自分たちから落とすことのできないしみなのか。「労働三部作」はひとまずここで終わる。中野坂上デーモンズの演劇は終わらない。

[撮影:星ヒナコ]

観賞日:2026/04/17(金)