
会期:2026/05/01~2026/06/28
会場:市原湖畔美術館[千葉県]
公式サイト:https://lsm-ichihara.jp/exhibition/kotatakeuchi_kurayami/
千葉県・市原湖畔美術館で「暗闇をくぐってみたら Part1」として竹内公太の個展「のののののまつり」が開催された。2026年秋まで改修が続く施設の入り口を暗幕が覆い、その奥の通常よりも限られたスペースに作品が展開する企画展である。タイトルに含まれる「のの」「の」は、太陽や月、仏などの尊いものを表わす幼児語の「ののさま」や「野」にちなむといい、自然や畏怖すべき存在に関わる展示であることが示唆されている。
竹内は本展へ参加するにあたり、市原市で4ヶ月におよぶフィールドワークを行ない、その際に撮影した石像や石碑、風景をもとに映像インスタレーションを制作している。東日本大震災をきっかけに福島県に移住した彼は、これまでも場所との関わりを基礎とする制作を行なってきた。本展でもその姿勢を引き継ぐとともに、赤く光る誘導棒や石碑といった前作までに扱ってきたモチーフを採用し、市原の自然や歴史と向き合う作品を展開している。
[筆者撮影]
最初の一室《三面世界へ》は空間全体がひとつの作品となっている。半分の壁面に6つの縦型の映像フレームが並び、そのすべてに三面馬頭観音が肖像画のように映されている。フレーム数やフレームレートの変更によってか、いずれもが微動し続け、アニメーションの語源となったアニミズムの印象を喚起させる。もう半分の壁には三面馬頭の視点を示すかのように、3つのプロジェクターによって屋外の風景が映されている。空、野焼きの火、月、鳥のはばたきなど、市原の風景を馬頭観音の視点から眺めるような構成である。
本展で扱われた石像や天体の撮影場所は、会場で配布されたリーフレットに記載されている。それによると市内を縦断する養老川をたどるように天空や馬頭観音が捉えられ、農耕や運搬を支えた馬との生活と、水との関わりが潜像するかのようだ。
[筆者撮影]
次のスペースには写真作品と、階段と宙空を挟むために近くまで行くことができない場所にプロジェクションされた夜空の映像がある。《十九+1夜》と題されたその映像は、新月から19日目の夜に女性たちが集う民間信仰の月待講「19夜」に注目したもので、その翌夜にあたる「20夜」に撮影され、次の集まりを待つ月の様子を示すという。
月待講や子安講は、安産や子育てについて祈念する女性たちの集会場として機能していたが近年では希少なものとなっている★1。ここでも映像の速度が変更され、月はせわしなく現われては去り、しばらくするとまた姿を現わす。その動きはどことなくユーモラスで、人とは異なる天体の時間感覚を表わし、会合が行なわれる時節を窺うようにして月は何度も展示室をめぐる。
[筆者撮影]
階段を降りた先が最後のスペースとなり、そこには20体の板貼りされた子安像の写真が座椅子に固定され、ほぼ等間隔に床置きされていた。子育てに関わる集いである子安講が石像たちによって形づくられ、そのうちの数体は映像モニターを眺めるかのように配置されている。映像には石碑が映り、それらは市内にある忠魂碑だという。石碑は時折クローズアップされ、「Loyal」「Age」といった英語字幕によっても漢字の意味を際立たせている。

[筆者撮影]
忠魂碑は日露戦争後に在郷軍人会を主体として建てられ、戦争で亡くなった人を悼むと同時に国家への忠誠を顕彰する性格を持つ。そのため敗戦後は新たに作られず、戦争犠牲者を悼む石碑を新設する場合には平和祈念碑などの呼称が使われた。戦意を称揚する遺物として破壊されることもあったようだが、第二次世界大戦の戦死者の名前を追記し、そのまま現在残るものも多い。建立時から現在に至るまでに石碑の意味合いが変容し、死者を生じさせる戦意高揚と死者を悼む哀悼という複層的な性質をはらむ。
本作《テレビのある集会所》のすぐ手前には、別の石碑を写した1枚の写真《国民精神総動員記念碑》が展示されている。「国民精神総動員」は日中戦争が始まってすぐに掲げられた国家政策で、国家への忠誠を証として示すことを促し、市原市では1938年に建立された。《テレビのある集会所》は、国策とともに顕現した1900年代に建てられた戦争に関わる石碑を、それよりもさらに古く建てられた子安像の共同体が囲み、眺める構成となっている。
本展は市原市に根づく民間信仰や子育てのコミュニティに注目し、馬頭観音像、子安像、忠魂碑といった石を介した歴史の継承に焦点を当てている。とくに国が軍事への傾斜を強める現在において、子の成育を祈念する子安像が子を喪失した記録でもある忠魂碑を見つめる様子は、地続きの歴史における出来事を過去から見返す視座であり、鑑賞者はその構造を自身が立つ現在地から望むことになる。
[筆者撮影]
歴史を伝えるメディアとして石を扱う竹内の視点は、東日本大震災での出来事──1933年の昭和三陸津波において設置された「津波記念石」が、70年代の道路工事で埋められたのち、2011年の震災で姿を現わす──を経て、より強く作品に表われるようになった★2。石像や石碑は丈夫なようで、それを保つための労力がなければ、自然に同化して姿を消す。現在、市原市では石造物や忠魂碑が人の手によって保たれているものの、身近ではなくなった子安講を石像が代替する様子は、その営みが永続的ではないことを思い出させる。
入り口と出口が同じ本展は会場をめぐったあと、最後は再び第一室の《三面世界へ》を経て美術館の外へと向かう。竹内は企画展のテーマである「暗闇をくぐってみたら」を反転的に捉え、作品群を暗幕の先の異世界として提示するのでなく、暗闇に包まれた馬頭観音の自然観をくぐったのちに、現実世界へ進み出る構造に注目する。土地や自然とともに形成されてきた人と石像との関わりを介して、現代社会へと視点を戻すことが促される展覧会だった。
鑑賞日:2026/05/19(火)
★1──会期中に開催されたトークイベントで登壇者の丸氏と会場参加者が、子安講が減少に向かう状況について述べている。
「大放談‼『市原にアナザーワールドはあるのか?』」レポート
URL=https://lsm-ichihara.jp/blog/event2_kota_takeuchi/
★2──「データが石になるとき」竹内公太『活動記録誌 “TkKt”』(トーキョーアーツアンドスペース、2023、74頁)
URL=https://tokyocontemporaryartaward.jp/en/publication/2021-2023/takeuchi.pdf