会期:2026/05/02~2026/07/26
会場:世田谷美術館[東京都]
公式サイト:https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00125

世田谷美術館で、画家や写真家が捉えた武蔵野に注目するコレクション展「武蔵野・再考──写真家たちの武蔵野と向井潤吉の写真」が開催された。本展は世田谷区を含む広大な土地である武蔵野を主題に、画家の向井潤吉と写真家4名──島田謹介、師岡宏次、田沼武能、金村修──による視点を介した風景を紹介する。

展示室はウェブでも公開されている武蔵野の年表に始まり★1、1901年に出版された国木田独歩の『武蔵野』から金村修による2010年代の写真まで、およそ100年にわたる土地の変遷を伝える。とくに前半は向井潤吉と写真との関わりを示し、同一の場所に対する絵画と写真における視点の差異を浮かび上がらせるようで興味深い。

1901年に京都で生まれた向井は、1927年に渡仏して画学生として過ごし、3年後に帰国する。1933年に世田谷へ移住し、戦中は従軍画家、軍需生産美術推進隊として戦争画や炭鉱の状況を描いている。戦後は新しい時代をになう美術団体を求めて行動美術協会を結成し、のちに「民家の向井」と呼ばれるようになるほど草屋根のある家屋を描き続けた。国内を広く旅しながら、とくに武蔵野を含む本州内陸部の民家を描いてきた向井だが、彼はその旅においてカメラでも民家を捉え、90冊を超える写真アルバムを作っていたことが没後に知られるようになった。

会場には武蔵野を描いた向井の絵画と、その制作時に撮影された写真が2点1組となって4組展示されていた。両者はフレーミングや対象の位置関係がきわめて近しい一方で、その比較から枝葉や屋根の様相を彼がどのようにまとめあげていったのか、絵画における取り組みを観察できる。描かれた民家は、写真に写るものよりも横軸が圧縮されて、やや丸みを帯びた愛らしい形をしている★2

また本展では向井が残した写真がさまざまなフォーマットで紹介され、大判プリント、アルバム内の写真、カラースライド、コンタクトシート、ネガといった複数の形態を通じて、彼が捉えた民家を見ることができた。そこに写る風景は、彼の絵画を思わせる構図で半ば均一的に撮影されている。向井の展覧会を多く手がける学芸員・橋本善八氏が指摘するように★3、民家の細部を写すような写真はほとんど見当たらない。

出品されていた『アサヒカメラ』1972年3月号における写真家・林忠彦との対談によると、向井の制作スタイルはまず民家のある風景を求めて土地をめぐり、描く前に写真を撮ることで構図を確かめ、それからイーゼルの位置を決めるという流れだったようだ★4。彼にとって写真は、写実的な像としてゴールに位置付けられるものではなく、むしろ絵画が立ち上がる基盤となる下絵のようなものだったと思われる。対談では構図の決定をカメラフレームに例える林に同意し、構図は自然を前に「どこで区切るかだけですから」と述べる。油画のキャンバスと彼が使用していた35mmフィルムの比率は異なるが、カメラのファインダーをデッサンスケールのように扱っていたことが窺える。

さらにこの対談で興味深いのは、向井が写真を見て風景を描くという取り組みを否定し、そうした制作スタイルに対してほとんど軽蔑するような物言いをしていることだ★5。雲で隠れてしまった山を描くために、1年越しに同じ場所を訪れて絵を完成させようとした体験についても述べ、ドキュメントとしての写真とは異なる加工への態度や鷹揚な時間感覚に基づいて制作していたことがわかる。向井の絵画制作における写真は、あくまでも写真を撮るという行為自体に価値を置き、それを自らの制作プロセスに組み込むものだったといえる。

こうした向井の民家をめぐる絵画や写真とは別に、会場には彼が残したネガから金村修が選出した写真群も展覧されていた。60年代の白黒写真と、60〜80年代のカラー写真が向き合って並び、仕事を離れた彼の視点、家族や飼い犬、路上の風景などを捉える様子がその人となりを広く伝えている。

展示室の後半では武蔵野を撮影した写真家として島田、師岡、田沼、金村の写真が展開する。金村を除く3名はいずれも武蔵野を題材とする写真集を出版しており、その取り組みについても紹介されている。島田の50年代、師岡の70年代、田沼の90年代と、撮影された年代が進むにつれて、広大な雑木林だった土地に田畑や農村が写り始め、そこで暮らす人々の生活も見えてくるようになる。そして金村による2010年代の写真には朽ちた車や荒廃した建物が捉えられ、人の気配が薄れていく様子が窺える。

武蔵野という場所の範囲は明確に定まっておらず、荒川、多摩川、入間川が囲む地域一帯を指す。世田谷から埼玉県の所沢までを含む広大な風景と、その土地における人々の営みを見つめる画家の取り組み、そして写真家たちの視座を伝える展覧会だった。

鑑賞日:2026/06/24(水)

★1──「武蔵野・再考」関連年表
URL=https://www.setagayaartmuseum.or.jp/assets/document/Musashino_Chronology.pdf
★2──ポール・セザンヌが《フォンテーヌブローの雪解け》を描く際に写真を使った事例について、芸術理論家の平倉圭が分析している。不思議とそこでも「写真を横方向に九三パーセントほどに縮めている」といった横方向への圧縮が指摘されている。
『かたちは思考する』(東京大学出版会、2019、38頁)
★3──「アルバムを通観して気付くことは、向井潤吉が民家のディテールを追い求めるような撮影を行っていなかったという点である。(中略)民家の中に入り込み、内部を撮影した写真を見出すことはできない。」
橋本善八「向井潤吉の絵画と写真」『向井潤吉の絵画と写真~絵画が語る風景、レンズが見た風景』(世田谷美術館、神戸市立小磯記念美術館、2002)
★4──「わたしはね、前もって随分写してまわっておくんですよ。エレクトロ35でね。それが、のちに場所を決めるのに役立つんです。」
『アサヒカメラ』(朝日新聞出版、1972年3月)
★5──一方で対談の前半では1961年に自宅で起こった火災について触れ、資料が燃えたために依頼仕事が描けなくなったと述べている。このことから、写真を見て描く抵抗感はとりわけ風景や民家、自らの絵画を描く際におけるものと思われる。