街歩きにはいちばんいい季節だ。5月に入ってだいぶ暑くなってきたが、まだ夏の盛りほどではないので、心地よい風を頬に受けてギャラリーを回る。写真展の会場では、たくさんの人が入っていることは多くないので、ゆっくり落ち着いて作品を見ることができる。一方で、それは写真展があまり人気がないということでもあり、せっかく面白い展示なのにもったいないと思うことも多い。観客がぎっしり入って身動きがとれないような展示会場も、たまには見てみたいものだ。

2026年3月20日(金)

京都・寺町通のギャルリー宮脇での甲斐扶佐義の写真展は、もう3回目だという。今回は京都在住で国際文化研究センター所長の井上章一氏との対談の予定があったので、写真集『新版 地図のない京都』(月曜社)の出版記念を兼ねた「甲斐扶佐義写真展」(2026/3/13-3/29)に足を運んだ。会場には1972~2014年に撮影した328点を収録した写真集には掲載されていない写真も含めて、110点余りのプリントがぎっしり並んでいる。特に注目すべきなのは、甲斐が1972年から経営していて、2015年に不審火で焼失した京都・今出川の喫茶店ほんやら堂から救い出されたキャビネ判のビンテージプリントである。1970~80年代の京都の、人とモノとがせめぎ合う街の空気感がいきいきと立ち上がってくる写真群は、逆に輝きを増してきている。その中には、火で焦げた跡が残っているものもあり、時間の層が一枚一枚の写真に堆積しているようにも感じた。近作も含めて、ストレートに、等価に被写体を見つめ、シャッターを切っていく甲斐の写真家としての姿勢が、まったく変わっていないことも感慨深かった。

甲斐扶佐義[筆者撮影]

2026年3月21日(土)

中島博美の写真集『春の滝に捧ぐ』(蒼穹舎)を手に取って、一言「よかった」と思った。中島は2001年に第17回写真「ひとつぼ展」グランプリを受賞するなど、その力を高く評価されていた。だが、その後の展開は決して順調とは言えず、何度か個展を開催したが、まとまりのある仕事には結びつかなかった。ところが、今回の写真集は今までの制作活動の総決算というべき素晴らしい出来栄えで、写真家としての経歴のひとつの区切りになるものといえる。中心的なテーマのひとつは、2011年に亡くなった夫の石川太のポートレートである。病の進行とともに、切迫した感情が滲み出てくるような表情の写真が多くなってくる。それらに、北海道での生活の一齣、季節の移ろいとともにダイナミックに姿を変えていく自然、身近な友人たちなどの写真が重なり合い、一篇の叙事詩が織り上げられていく。スケールの大きさと繊細さとを併せ持つ中島の写真の世界が、ようやく開花したと言えるだろう。

中島博美『春の滝に捧ぐ』(蒼穹舎)[筆者撮影]

2026年3月26日(木)

毎年、2月~3月になると、専門学校・ビジュアルアーツ・アカデミー写真学科の卒業制作の審査や講評に呼ばれる。今年も、東京、名古屋、大阪、福岡の各校を回ってきたのだが、そのうち、東京ビジュアルアーツ・アカデミーの卒業生の作品の中で最も評価が高かったのが、中国・上海出身の留学生、聶経緯(ショウ・ケイイ)の「漢 タツノオトシゴ」と題する作品だった。その展覧会「漢(タツノオトシゴ)-聶経緯写真展」(2026/3/25-3/30)が東京・西神田のGALLERY2511で開催された。タツノオトシゴは、オスが育児嚢と呼ばれる器官で卵を育てる習性を持つ。聶はそのことを踏まえて、「男らしさ」について写真を使って考察しようとした。中学時代に髪を長く伸ばしていた彼は、先生たちに「男らしくない」と非難されていたという。フェミニズムの考え方をひっくり返して、男性が経験する違和感に着目した聶の視点はとても面白いと思う。友人たちのポートレートを中心に、彼らの身振り、服装、表情などを細やかに観察して撮影した写真の精度もとても高い。中国の留学生たちの創作意欲は、総じて日本人学生のそれを上回っていることが多い。本シリーズも、ここで終わらせることなく、さらに先まで展開してほしい。

聶経緯[筆者撮影]

2026年3月28日(土)

岡本太郎記念館の館長、平野暁臣氏が、同館で開催された佐内正史「雷写」展(2026/3/14-7/12)に寄せたテキストで「この人の写真はどこか太郎と同じ匂いがする」と書いている。実際に展示を見て、「その通り」と思った。氏によれば、「写真が『文脈』や『物語』から自由であり、それゆえに“お仕事”の匂いがしない」とのことだが、そう言われれば確かにその通りだ。自由に、のびやかに、獣が獲物に飛びつくみたいに対象物の懐に飛び込んで、思うままに作品化していく──その手つきが佐内と岡本太郎とでは共通しているのだ。その相性の良さが、展示作品にもよく表われていた。2025年から岡本太郎記念館に通って太郎の絵を撮影した写真シリーズ「雷写」を中心に、全国各地にある太郎作のオブジェ、モニュメント、壁画を巡ってカメラに収めた「旅太郎」の写真群が加わる。エネルギー全開の出品作が、ストレートに心に突き刺さってきた。展覧会に合わせて刊行された、350ページという同名の写真集のテンションも異様なほどに高い。

佐内正史「雷写」展[筆者撮影]

2026年3月30日(月)

野村恵子は1990年代から母方のルーツである沖縄を撮影し始めた。その仕事は、2020年に活動の拠点を東京から沖縄に移したことで、ひとつの区切りを迎えることになった。今回のキヤノンギャラリーSでの個展「龍宮」(2026/3/26-5/11)には、デビュー写真集『DEEP SOUTH』(リトルモア、1999)に収められた写真から近作まで、沖縄の人、モノ、景色にカメラを向けた写真群、約90点が展示されていた(キュレーションはPOETIC SCAPEの柿島貴志)。青と赤が基調色と言えるだろう。青は海(特に海中)と空の色、赤は血と夕焼けの色である。それだけではなく、生と死、光と闇、聖と俗などの強烈なコントラストが、野村の写真を覆い尽くしている。それらの要素は対立しているだけではなく、時に共存し、融合している。沖縄の懐に飛び込み、そのエッセンスを全身で受け止め、育て上げることで、繊細さとスケール感を併せ持つ写真の世界が形をとりつつあるようだ。

野村恵子[筆者撮影]

2026年4月2日(木)

うつゆみこから届いたDMに「自分史上いちばん自由度の高い展示」と書いてあったが、確かにそうかもしれない。大江戸線・新御徒町の駅に近い229 GALLERYは、カフェとヘアサロンを併設している。その地下スペースに、写真とオブジェが所狭しと並び、プラスチックの簾が天井から垂れ下がり、イルミネーションがキラキラ輝いていた。「吉池と制作と生活と」展(2026/3/28-4/12)の出品作は、例によって、可愛らしさとグロテスクさが共存しているコラージュ作品が中心だが、そのエネルギーの放射量がただ事ではない。作品を見ながら気づいたのが、展覧会のタイトルが示すように、うつの仕事は現実離れした仮想の世界に遊んでいるようで、思いの外、実生活とのつながりが強いのではないだろうか。リアルなアンリアルというべき世界観が、ますます強固に確立されつつあるようだ。会場から近いスーパー吉池で買い物をしたときのレシートが、オブジェの中に紛れ込ませてあったのが目を引いた。

うつゆみこ「吉池と制作と生活と」展[筆者撮影]

2026年4月3日(金)

金村修が2008年に中国・北京の郊外を撮影したのは、ツァイト・フォトサロンのオーナー、石原悦郎の依頼によるものだったという。石原はこの頃、中国の現代絵画に強い関心を抱き収集・購入のために何度も北京に足を運んでいた。オリンピックに向けて盛り上がっていた北京を撮影してもらうことで、金村の写真に、新たなベクトルが生まれることを期待したのではないだろうか。ところが、金村が持ち帰った写真は、石原にとってはやや期待外れだったようで、そのまま展示もされず「お蔵入り」になってしまった。今回の個展「SKELTON GOATS DUST STORMS」(MEM、2026/3/21-4/12)を見ると、石原はおそらく、北京郊外の「荒涼とした」風景を撮影した金村の写真を「売れない」と踏んだのだろう。確かに「殺風景」としか言いようのない、空き地にゴミが積み上がり、モノと人と建物とがそのままほっぽり出されているような陰々滅々たる風景の写真が、購買意欲をそそるとは思えない。だが逆に、そのただ事ではない暗さに切実なリアリティがある。普段の、突き放したような、クールで構築的な都市風景と比較して、このシリーズは金村の「心象風景」としか思えないところがあるのだ。見ていて、森山大道が1970年代に発表した、やはり暗い写真の極致というべき「桜花」シリーズを思い出した。

金村修「SKELETON GOATS DUST STORMS」展[筆者撮影]

東京都写真美術館で開催された「W.ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」(2026/3/17-6/7)では、これまであまり取り上げられなかった写真群にスポットを当てている。ユージン・スミスは1950年代から20年余り、ニューヨーク6番街の「ロフト」に居を構えていた。『ライフ』誌のスタッフカメラマンを辞し、ジャズミュージシャンや他のアーティストたちと交友しつつ、自らの写真のあり方をもう一度模索しようとしていたこの時期の写真には、闇の中を手探りで進むような、彼のもがきが伝わってくるものが多い。今回の展示の中心になっているのは、1971年にニューヨークのジューイッシュ・ミュージアムで開催された「Let Truth Be the Prejudice」展を再現したパートである。600点に及ぶという出品作をすべて網羅することはむろん難しいが、東京都写真美術館にはこの時期のプリントがかなり多く収蔵されているので、展覧会の熱気と充実した内容がよく伝わる構成になっていた。「真実を偏見にせよ」という展覧会のタイトルに、写真によってしか得ることができない「真実」を生涯にわたって求め続けた彼の思いが宿っている。スミスの呻き声が、あえて黒々とプリントした写真から聞こえてくるようにも感じた。

「W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」展[筆者撮影]

2026年4月11日(土)

木原千裕の個展「不思議」(ふげん社、2026/4/4-4/26)は、同性の恋人との出会いと別れ、その葛藤を抱えてのチベットの聖地、カイラース山への旅、そしてその前後の日本での日常の場面の3つのパートから成る。恋人が仏教の寺院に生まれ育ったことで、「性別、性的指向、宗教のしがらみ」による軋轢が木原に降りかかり、カイラース山への旅も、宗教と信仰の意味をもう一度考え直そうという動機に支えられていた。その結果として、木原は仏教の「縁起思想」と出会うことになる。すべては偶然に生起しつつ、つながり合っているというその考え方が、「不思議」な写真群に取り入れられていった。壁に並ぶ大小の写真は、一見とりとめなく、断片的に撒き散らされているように見える。だが、その配置は厳密に考え抜かれており、それらが結びつくことで、まさに偶然性と必然性とが絡み合う「不思議」な視覚世界が編み上げられていた。なお、展覧会に先立って、2025年11月に写真集『不思議』(ふげん社)が刊行されている。木原の意図が、尾中俊介による端正かつ緻密なブックデザインによってとてもよく伝わってきた。

木原千裕[筆者撮影]

2026年4月16日(木)

鈴木のぞみは、写真による像のあらわれ方にずっと関心を持ち続けてきた。たとえば解体された家の窓に感光乳剤を塗布し、ピンホールカメラによって画像を写しとる。そのことによって、写真がわれわれにどのような視覚的経験をもたらし、それをどう受け止めてきたのかが、あらためて検証される。今回のPOETIC SCAPEでの個展「Slow Glas──Afterglow: Transmission, Reflection, Refraction」(2026/3/21-4/26)では、19世紀以降の光学機器、例えば片眼鏡、ステレオスコープ、虫眼鏡、拡大鏡などのガラス面に、像を浮かび上がらせて展示するユニークなインスタレーションを試みていた。光学機器そのものの形状や機能の面白さもあり、「見せ方」はうまくいっていたが、そこになぜこの画像が定着されているのかという動機づけがやや弱いように思った。テーマ設定をもう少ししっかりと考えていくべきではないだろうか。なお、同時期に東京・東神田のKOSHA KOSHA AKIHABARAでも、鈴木の個展「Words of Ligh──Practices of Translation」(2026/3/27-5/9)が開催された。こちらは写真プリントが中心の展示である。

鈴木のぞみ「Slow Glas──Afterglow: Transmission, Reflection, Refraction」展[筆者撮影]

2026年4月18日(土)

2000年代以降のドキュメンタリー写真を考える時に、「事後」をどう撮るのかというのはとても大事なポイントなのではないかと思う。以前は、特にフォトジャーナリズムの文脈で写真を発表する場合は、撮影対象となる出来事を、いかに早くキャッチし、伝えていくことが優先されていた。ところが、TVあるいはインターネットメディアの登場と広がりによって、速報性において写真は不利になることが多くなった。逆に出来事や事件が発生し、過ぎ去った後の時空間を丁寧にフォローしていくことこそ、写真家たちに求められているともいえる。「奇病」が正式に認定されてから70年になるという水俣病も、ともすれば過去の出来事として忘れ去られがちだ。岡庭璃子が、今回開催した個展「凪(なぎ)のめぐ──Where the Tide Pauses」(see you gallery)で発表した写真は、2022年以降に撮影されている。患者と支援者が共生する水俣病センター相思社、紙漉きや機織りを営むはぐれ雲工房、ルーテル水俣教会など、ゆかりの場所を訪ね、水俣病に関わり続けている人々を、丁寧に撮影した写真が並ぶ。むしろ不知火海のあたりを巡りつつ撮影した風景やスナップ写真に、水俣との距離感を性急に埋めることなくシャッターを切っていく岡庭の息遣いが、よく表われているように思えた。

岡庭璃子[筆者撮影]

2026年4月23日(水)

昨年12月に写真集『Boundary 中心』(青幻舎)を刊行、キヤノンギャラリー銀座で個展を開催するなど、この所の竹沢うるまの活動には弾みがついているようだ。『Boundary 中心』のブックデザイナーでもあったおおうちおさむがディレクションしているギャラリー、art cruise gallery by Baycrew’s(虎ノ門ヒルズステーションタワー3F)での個展「Boundaries」(2026/4/23-6/21)も力のこもった良い展示だった。50点余りの出品作は、南米、アジア、アフリカ、太平洋の島嶼など世界各地でバラバラに撮影されているのだが、そこには一貫した視点を感じる。旅の時空間をコントロールしようとせずに、あえて「車窓」であることに徹してシャッターを切っていく。にもかかわらず、そこにはこれを見た、これを伝えたいという強い意志を感じとることができるのだ。おおうちおさむによる素晴らしい出来栄えの会場構成は、毎回色を変えるというL字型のユニットを使って、ギャラリーの壁面と可動壁に大小の写真を配置していくもの。壁面の色が変わると、写真の見え方も変わってくる。そのあたりが、とてもよく考えられていた。

竹沢うるま[筆者撮影

2026年4月26日(日)

柴田早理の「COSMO PLASTICS」(東條會舘写真研究所、2026/4/4-6/7)は、ユニークなコンセプトの作品展だ。柴田は各地で海を漂ったり、地中に埋もれたりして摩滅、変形したプラスチックのかけらを拾い集めて撮影した。それらは元々、自然物の石油から生成した人工物だが、打ち棄てられて時を経るうちに再び自然物に還っていくように見える。柴田はそのプロセスを「1. 混沌より生まれる変容体」「2. 地中に眠る変容体」「3. 立ち現れる変容体」「4. 時を漂う変容体(静止画像+動画)」の4部構成で展示している。撮影の対象となったプラスチック片の実物を見せる部屋(「COSMO PLASTICS LABORATORY」)もあり、各パートのインスタレーションがよく練り上げられていた。たしかに宇宙空間で輝きを発しているようなプラスチックのたたずまいは魅力的だが、見せ方のバリエーションの工夫がもう少し欲しい。スポットライトとクローズアップによる細部の強調以外の視覚的な効果も模索すべきだろう。

柴田早理「COSMO PLASTICS」展[筆者撮影]

2026年5月2日(土)

大杉隼平は、徳島城主だった蜂須賀家の19代当主にあたる蜂須賀正子(アメリカ在住)と偶然の機会から知り合い、徳島の風土と文化をテーマにした写真を撮影し始めた。今年は初代の蜂須賀正勝(小六)の生誕500周年にあたるということで、その成果をまとめて発表したのが「蜂須賀正勝生誕500年特別展示」(TOKYO DAIKANYAMA GARAGE、2026/4/29-5/6)である。徳島の風景、祭事などを細やかに撮影した写真はクオリティが高く、歴史の厚みが伝わってきた。特筆すべきは、徳島在住の職人たちと共同製作したという会場のインスタレーションである。木地師が額縁を製作し、金物師がテーブルを仕上げる。左官職人が壁にレリーフを展示し、酒、味噌、醤油なども販売されていて、写真とともに、歴史を生活レベルで実感することができた。なお、本展は本年10月に地元の徳島城博物館に巡回する予定という。

大杉隼平[筆者撮影]

2026年5月3日(日)

佐藤花連が「キヤノン 写真新世紀」でグランプリを受賞したのは2010年だから、それから15年以上経っている。これまで何度か個展など写真発表を続けてきたのだが、思いが形にならないもどかしさを感じることが多かった。今回の東京・学芸大学のBOOK AND SONSでの「Membrane & Membrane Publication Exhibition」(2026/4/30-5/19)を見て、方法論と実践とがようやくシンクロしてきたという印象を受けた。展覧会のタイトルが示すように、本展は佐藤の最初の本格的な写真集『Membrane』(赤々舎)の刊行に合わせたものだ。「Membrane」というのは「膜や膜状の構造」という意味で、「静かな共鳴を起点に、そこに現われるものを知るために、私は見ることを繰り返す」と、佐藤は写真集の中で記している。写っている被写体の幅はかなり広く、風景、さまざまな事物の断片だけでなく、印刷物や写真のプリント、コラージュ作品の一部まである。それらが何度も繰り返して見返され、複写に複写を重ねて、最終的なイメージが姿を現わす。以前に比べると、彼女が「静かな共鳴」を覚えている対象物の選択とそれらを変容させていくプロセスに必然性と切実性が強まっているように感じた。

佐藤花連[筆者撮影]

2026年5月4日(月)

勝本みつるの本格的な新作展としては2010年以来というから、16年ぶりということになる。出版社のエクリから展示に合わせて刊行された前作の作品集も『study in green 緑色の研究』(月兎社、2008)なので、だいぶ時が経っている。それでも「みどりのみち ひかりのはな」展(YAECA HOME STORE、2026/5/1-5/14)で、勝本のコラージュ、アッサンブラージュ作品を久しぶりに見て、その精度の高さがキープされているだけでなく、むしろより洗練の度を増しつつ、独特の世界観が育ちつつあることに驚かされた。彼女のコラージュ作品のベースには、写真図版が使われていることが多い。ロシア、ハンガリー、ドイツなどヨーロッパ諸国の1920~40年代の雑誌、ポストカードなどが素材となり、そこに古い植物図鑑から切り抜かれた花や草木の写真が貼り付けられている。印刷物の古風でざらついた質感に触発されるようにして、モーリス・ドリュオンの『みどりのゆび』が発想の元になったという物語が織りあげられていく。一見瀟酒しょうしゃで穏やかに思える図柄なのだが、勝本の仕事には微かな毒が潜んでいるようだ。コラージュのそこかしこに、小さな男の子や女の子の姿がはめ込まれている。だが、彼ら彼女らがどこか魔物めいて見えてくるのだ。ありがちな風景やインテリアが、世界を密かに転倒させる舞台装置として働いているようにも思えてくる。

勝本みつる「みどりのみち ひかりのはな」展[筆者撮影]

2026年5月13日(水)

世田谷美術館に向かう途中の砧公園は、ちょうど今、緑が目に眩しい季節を迎えつつある。この辺りは、ケヤキなどの大きな樹木も多く、武蔵野の面影を色濃く残している。世田谷美術館ではちょうどコレクション展として「武蔵野・再考─写真家たちの武蔵野と向井潤吉の写真」展(2026/5/2-7/26)が開催されていて、まさに外の風景と地続きのような写真が並んでいた。洋画家の向井潤吉が撮影した写真に加えて、師岡宏次『想い出の武蔵野』(1976)、田沼武能『武蔵野讃歌』(2006)、島田謹介『武蔵野』(1956)といった写真集の収録作が並ぶ。その中では、被写体に丁寧に接した島田の風景写真が印象深かった。特筆すべきは、金村修が、向井の残した黒白とカラーのネガからスキャンしてプリントした写真群、さらに、これまで彼が撮りためてきた武蔵野のスナップ写真、のべ84点による「Musashino Grizzly」シリーズが出品されていることである。ノスタルジックに過去を引きずった武蔵野に目を向けた他の出品作家と違って、金村の写真には、より生々しく、感情を引き裂くような現在形の武蔵野が写り込んでいる。各作家の写真の響きあいとコントラストが、展示構成にとてもうまく活かされていた。

「武蔵野・再考─写真家たちの武蔵野と向井潤吉の写真」展[筆者撮影]

2026年5月16日(土)

まさに「The 鉄道写真」というべき写真群を見ることができた。広田尚敬は1935年生まれ、2015年に90歳を迎えたが、いまだ現役の鉄道写真家として活動を続けている。今回の東京・品川のキヤノンギャラリーSでの個展「鉄道写真」(2026/5/14-6/22)には、1950年に初めて「ベビーパール」で電車を撮影し始めてからの代表作が、大判プリントに引き伸ばされて並んでいた。その壮観としか言いようのない展示を見ると、広田がまさに鉄道のすべてを視野に収めて写真を撮り続けてきたことがよくわかる。動くマシーンとしてのメカニズムに目を向けたものもあれば、原野を疾走するSLをあたかも動物の生態写真のように捉えたものもある。駅員や機関士など鉄道に関わる人々、乗客などの人間模様、鉄道を取り巻く環境、風景、季節の変化等々、まさに多元的で総合的な視点が貫かれているのが、広田の「鉄道写真」の特質と言える。本展に合わせて、小学館から未発表作品を含む約400点を集大成した大著『鉄道写真』も刊行された。「鉄道写真の神様」という称号にふさわしいその仕事の厚みと奥行きに圧倒される。

広田尚敬「鉄道写真」展[筆者撮影]

 

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