劇場公開日:2026/06/05
会場:TOHOシネマズ日本橋ほか[全国]
監督:オリベル・ラシェ
プロデューサー:ペドロ・アルモドバル
公式サイト:https://transformer.co.jp/m/sirat/

レイブミュージックを「どれも騒音に聞こえる」と言うルイスに、「聞くためではなく踊るための音楽だから」★1とジェイドは返す。

ここでの「踊る」という言葉には、「聞く」より踏み込んだ能動性が感じられる。ただ聞いているだけでは、この音楽のことはわからない。絶望し、どうしようもないところまで至ったルイスの身体は、音楽のなかでようやく、ゆっくりと両腕が上がり、脚に支えられた胴体も少しずつ揺れていく。

映画『シラート』のあらすじはこうだ。

ルイス(セルジ・ロペス)は、失踪した娘を探す中年男性だ。娘と歳の離れた12歳の息子エステバン(ブルーノ・ヌニェス・アルホナ)を連れている。二人は手がかりを求めてモロッコの砂漠のレイブパーティーに入り込むが、手がかりを得られずにいる。だが、レイバーのジェイド(ジェイド・オウキド)★2たちに、次のレイブの存在を知らされる。遠く離れた砂漠へ向けて走り始めるレイバーたち、二人もその後を追っていくが……。

あらすじと共に、物語の内容にまつわる言葉と同じかそれ以上に、「予測不能」「口外禁止」といった鑑賞体験の質が強調されている。カンヌ国際映画祭の4冠をはじめ世界中の映画祭で多数受賞するなか、音響やサウンドトラックについての受賞が多いことも、鑑賞体験、あるいは鑑賞するという行為が本作のポイントであることを示唆している。

巨大なサウンドシステムの構築シーンから、砂塵舞うなか大勢が踊り狂うレイブシーンへの移行、それに伴うレイブミュージックの変化。レイバーたちがいる砂漠地帯で、爆音を反響させているかのような切り立った崖の連なりが映ったショット。

冒頭の数分から、映画館で見るべき作品だという宣伝に納得させられる映像や音響が連続する。大音量、大画面で観てこそ、この映画を鑑賞するということが始められる、と思わされる。これらの映像や音響は、本作の鑑賞体験が説明される際に時折現われる「没入感」や「実際にそこにいるよう」といった言葉、つまり映画の物語の内容へと鑑賞者が入っていく実感に向かっているのだろうか? いや、鑑賞しているのは内容だけではないだろう。むしろ、物語の内容に入り込みながらも、内容も一要素に過ぎない複合物としての映画を鑑賞している、という実感に向けられているはずだ。

本稿では、数多の映像メディアに日常的に耳目を向けてしまう私たち鑑賞者が本作をいかに鑑賞しているのか、について考えてみたい★3

日々目にする映像。スマートフォンで見るSNSのライブ配信を思い出す。画面に向かって語りかける人の顔が画面を埋めている。どの映像も、こちらを向いた人の顔ばかりだ。それでなくとも、縦構図の映像においては鑑賞者が見るべき対象はあらかじめ絞られている。縦構図は、横構図から左右を断ち落としたものだと感じられる★4。映った顔はこちらを向いて、こちらに語りかけている。何を見るべきなのか悩む必要はない。だがこのことは、撮影者としての私たちもまた、実世界においてはっきりとした対象にしかカメラを向けられなくなっていることを示してもいる★5

一方、スマートフォンの登場以前、映像の画面比は主に横へと広がってきた歴史がある。アナログ放送の4:3(スタンダード)からデジタル放送での16:9への変化はもっとも身近な変化のひとつだろう。映画の画面比は、4:3からビスタ(1.66:1~1.85:1、16:9は中間値)へ、そしてシネマスコープ(2.35:1)へ広がりきる。なお、IMAXはシネマスコープに上下が加わったような状態で、より高精細だが画面比だけで言えばスタンダードに近似している。ワイド化ではないが、情報量の増加を横への拡張だけでは受け止められないということでもある。ここから先は、全方向にスクリーンのあるイマーシブな体験型施設の領域だ。

映画に戻る。大型化したシネマコンプレックスで、シネマスコープのハリウッド超大作を見ると、画面に映る情報の多さに目が追いつかないことがある。隅々まで美麗な映像は、そもそも物理的に一望の叶わないワイドさの上にある。困った私は、登場人物の目線や動き──アクションによって見るべき対象を見つける。主人公たちを見ていれば、物語に置いていかれることはないからだ。キャラクターが中心となるヒーロー映画でなくとも、動く人だけを見ていれば構わない、というのは劇映画のメジャーな文法のひとつだろう。

後編へ)


★1──セリフについては鑑賞時の記憶に基づくため、言い回しが字幕通りではないと思われる。メモを取れなかったためご容赦いただきたい。
★2──ルイスはスペインのベテラン俳優が、エステバンは長編作品初出演の俳優の少年が演じている。レイバーたちは実際のレイバーであり、役名も本名や実際のニックネームがそのまま使われている。なお、筆者の鑑賞時、ジェイドは字幕ではジャドと表記されていた。
★3──本稿は、物語の内容や題材を主題としていない。レイブカルチャーを起点とした解説や議論は、本作のパンフレットに寄稿した宇川直宏氏(DOMMUNE)による「Nouveau DICTIONNAIRE français|DOMMUNE ×『シラート』口外開始PARTY!!「SIRAT シラート」解体新書!!」に詳しい。また動画概要欄には関連する批評についての言及があり、田畑佑樹氏のテキスト「映画『シラート』に蔵されている、誰も指摘しない(できるはずもない)最大の問題について」では、ムスリム当事者の立場から本作における宗教・文化の取り扱いについて重要な指摘がなされている。
★4──電子書籍が普及した現在、スマートフォンの縦スクロールに特化したコマ割りの漫画が存在している。縦構図の実写ドラマも存在するが、縦スクロールの電子コミックほどの文法の発明がまだ起きていないように思えるがどうだろうか。
★5──「映え」は、視覚情報としての写真や映像に収束した2010年代から変化し、体験のプロセスに向いているという市場分析が散見される。ブランドのポップアップショップや、“体験型”の展覧会やツアー、イマーシブシアターなどがその一例である。しかし体験重視に変わってきたとしても、体験のパッケージが明快であること、その体験を端的に記録可能な誘導が必要であることから、はっきりとした対象にしかカメラを向けられない事態は変わらない。


鑑賞日:2026/07/23(木)