さっぽろ天神山アートスタジオは、2014年に初開催された札幌国際芸術祭(SIAF)を契機に開設された。札幌市が保有していた旧・札幌天神山国際ハウスを修繕し、札幌市初の公的なアーティスト・イン・レジデンス(以下AIR)拠点として再出発した施設である。運営は札幌市からの業務委託を受け、一般社団法人AISプランニングが担っている。今回は、当施設のAIRディレクターである小田井真美氏へのインタビューをもとに、そのこれまでとこれからを考える。
小田井真美氏は、長年にわたり日本におけるAIRの発展と定着を牽引してきた。その功績が評価され、令和7年度(第76回)芸術選奨の芸術振興部門で文部科学大臣賞を受賞した★1。
筆者の勤めるモエレ沼公園でも、市外からアーティストを招へいする際にさっぽろ天神山アートスタジオに何度も協力いただいてきた。札幌で文化活動を行なう者にとって、当スタジオはどのような存在なのか。そこにアーティストが滞在することは、札幌という街に何をもたらしてきたのだろうか。
さっぽろ天神山アートスタジオ外観[筆者撮影]
公園の中のAIR
さっぽろ天神山アートスタジオは、札幌市豊平区平岸の住宅街に囲まれた天神山緑地に位置する。標高は約85m。山というよりは、丘に近いだろうか。緑豊かな坂道を上る道中、木々の合間から札幌市街を眺めることができる。高台に開けた公園の一角に、3階建てのアートスタジオが建つ。
1階は市民が自由に利用できるスペースとなっており、札幌にまつわる図書やアーティストから寄贈されたカタログなどを手に取れる図書コーナー、ギャラリー、アーティストのグッズを販売するショップ「バトキカイ」、茶室、管理事務所などがある。また、滞在アーティストに限らず、誰でも借りることのできる交流スタジオも設けられている。2階には滞在スタジオが13室。大きな窓から夏の日差しが差し込み、館内は明るい。
公園の屋外には卓球台も設置され、家族が楽しんでいる姿も見られた。建物全体に、ゆったりとしたリラックスした雰囲気が漂っている。筆者が訪れた際には、館内でふたつの展覧会が開催されていた。
ここには、「アーティストのための施設」という言葉だけでは捉えきれない、市民とアーティストが不意に出会う豊かな環境がある。
さっぽろ天神山アートスタジオ内観[筆者撮影]
滞在アーティストと市民が対話する場面も[筆者撮影]
「選ばれる」のではなく、自分から訪れるAIR
滞在アーティストの一覧が管理事務所の前にずらりと貼られており圧巻[筆者撮影]
まず驚くのは、これまで迎えたアーティストの数だ。2023年度の活動記録によれば、2014年度から2023年度までの10年間に滞在した国内外のアーティストやアート関係者は、のべ46カ国、2,866人にのぼる★2。
当スタジオがどのようにそのネットワークを広げ、アーティストに知られるようになったのかと尋ねると、小田井氏は「ひとつはAIRの情報を扱うネットワークに登録すること。もうひとつはアーティストの口コミ。我々にできることはこのふたつしかないけど、これがとてもうまくいった」と話す。
ネットワークづくりは初年度から意識して行なっていたが、2年目の滞在者はいきなり300人を超え、3年目も右肩上がりに増加した。早い段階から、その仕組みが機能しているという手応えを感じたという。
施設の利用は、基本的に先着順である。アーティスト自身が滞在費や活動費を用意し、自分のタイミングで24時間から最長90日まで滞在期間を選び、札幌へやって来る。対象者も美術のアーティストに限らず、演劇、ダンス、音楽など幅広い創造活動を行なう人々に開かれている。ここには「選ばれたアーティストが札幌に来る」だけではないAIRの形がある。アーティスト自身が札幌を選び、自分の目的とタイミングで滞在する。その数の多さが、この場所に独自性を与えている。
ここで出会ったアーティスト同士が滞在期間中に親交を深め、その後もやり取りを続け、別の場所でプロジェクトを実施することもある。また、同じアーティストが繰り返し訪れることも増えているという。一度の滞在だけでは生まれにくい地域との深い接続が、時間をかけて育っていく。そうしてこそ、つながる相手・地域にも変化が起きると小田井氏は語る。
シンディ・ムーアマン、渡部睦子、イリーナ・ライファーによる北海道リサーチ。このプロジェクトでロシアとオランダ北部でのリサーチと展覧会を開催した[提供:さっぽろ天神山アートスタジオ]
創造活動のインフラとして
滞在スタジオの様子[提供:さっぽろ天神山アートスタジオ]
さっぽろ天神山アートスタジオが札幌の創造活動を支える基盤となっていることは、滞在スタジオの利用率にも表われている。2024(令和6)年度のスタジオ利用率は76.5%★3。公共施設として、これほど高い利用率を維持していることは、それだけこの場所を必要とする人が多いことの表われだろう。
滞在費が非常に低く抑えられていることも大きい。現在、滞在スタジオは1日860円から3,270円で利用でき、長期になるほど1日あたりの使用料は安くなる。
もちろん、これは単なる「安い宿泊施設」という話ではない。中長期の滞在制作を可能にするために、札幌市がアーティストや創造活動に対して提供している、ひとつの公共的な支援と考えることができる。
モエレ沼公園でも、札幌市外からアーティストを招へいする際に、さっぽろ天神山アートスタジオを何度も利用させてもらってきた。需要の高まりが著しい札幌市内の一般宿泊施設には予約すらできない状況でも、天神山ならアーティストが一定期間滞在し、制作やリサーチを行なうことができる。当施設がなければ実現できなかったプロジェクトは、ほかの文化施設や団体にも少なくないだろう。
この13年余りの活動を考えると、さっぽろ天神山アートスタジオは、札幌の創造活動を支える文化的なインフラのひとつになっていると言えるだろう。

潘 逸舟展覧会「go to home」に際して実施されたモエレ沼公園でのワークショップの様子[提供:さっぽろ天神山アートスタジオ]
アーティストと市民が出会う場所

「Art & Breakfast Day」は、アーティストの三田村光土里が提唱している「朝食という日常的で親密な行為を通して、アートと人々の距離を近づけること」を目的とする、誰でも開催することができるオープンコンセプトのプロジェクト[提供:さっぽろ天神山アートスタジオ]
スタジオではここ数年、これまでよりも一層、アーティストと市民の交流事業にも力を入れていると言う。2015年から開いている誰でも参加できる持ち寄りの朝食会「Art & Breakfast Day」に加え、2025年からはオープンスタジオも定期的に実施している。月に一度、第4日曜日を基本に開催され、滞在スタジオでも交流スタジオでも、アーティストが自由に活動を公開することができる。参加するアーティストたちは、それぞれのプランを持ち寄る。その結果、1日では収まりきらないほどのボリュームになっているという。
AIRの面白さは、完成した作品が存在しない段階から、アーティストが地域や社会と関わることにある。美術館や劇場では、多くの場合、観客は作品を見るという目的を持って会場を訪れる。これに対してAIRでは、作品と観客が出会うのではなく、アーティストと地域の人が、人と人として出会う。そのことから、新しい関係や行動が生まれる。この予期せぬ出会いこそが、AIRの大きな魅力であり、当スタジオが生み出してきた大きな価値のひとつだろう。
一方で、札幌市は人口190万人を超える比較的発展した都市でもある。大きな社会問題や地域課題が目に見える形で存在する地域と比べると、問題解決型のプロジェクトや地域おこしを目的としたプロジェクトは成立しがたい。アーティストとの出会いで個人が享受する感動や価値が、どのように街に影響を与えたのか、その判断は人口が大きくなればなるほど難しい。
そうしたなかで、アーティストの活動をどのように評価し、記録として残していくのか。これは今後の課題だという。
松井紫朗による「手に取る宇宙 喫茶去ワークショップ」はさっぽろ天神山アートスタジオ1Fの茶室で行なわれた。一般の参加者や滞在アーティストたちが次々茶室を訪れ、松井氏がふるまうお茶と話を楽しんでいった[提供:「手に取る宇宙」実行委員会]
さっぽろ天神山アートスタジオのこれから
札幌市では現在、さっぽろ天神山アートスタジオの今後について、有識者や地域の代表らによる検討会を実施し、費用や札幌市の財政状況も踏まえながら、そのあり方を検討しているという★4。
小田井氏が指摘するのは、施設の仕組みだけではなく、それを支える「人」の問題でもある。スタッフは全員で8名。それぞれが別の仕事を持っている。契約は単年度となることも多く、労働環境としては厳しい。AIR事業の重要性や面白さに魅せられていても、このままでは継続することは難しい。マネジメントを志す人が、文化芸術の仕事としてしっかり働ける環境が必要だと話す。現在、他地域のAIR施設のリサーチも行ないながら、未来の札幌のAIRについて考えているという。
札幌市の施設であるという公共性を持ちながら、いかにアーティストたちを支援し、地域とつなぎ、創造活動として社会に開いていくか。アーティストという血脈を、どう札幌という街に流し続けていくか。
さっぽろ天神山アートスタジオがこの13年にわたって培ってきたのは、アーティスト同士の出会い、アーティストと市民との交流、この地域ならではのプロジェクト、そして、それらを受け入れてきた街との関係性である。こうした目に見えにくいものを、これからどのように次の世代へ手渡していくのか。さっぽろ天神山アートスタジオのこれまでの軌跡が、未来へとつながっていくことを願いたい。
ハ・トゥフオンによる「お花見ランチタイムリーディング」の様子[提供:さっぽろ天神山アートスタジオ]
★1──「文化庁芸術選奨 令和7年度受賞者紹介」 (URL=https://www.sensho.go.jp/awards/r07.html)
★2──『さっぽろ天神山アートスタジオ2023年度事業・活動記録集』(札幌市、2024)
★3──『令和6年度事業評価調書』(さっぽろ天神山アートスタジオ)
★4──「アーティスト滞在支援に光」(北海道新聞、2026.4.11)
参考資料
・さっぽろ天神山アートスタジオ
https://tenjinyamastudio.jp