会期:2026/06/18~2026/09/21
会場:東京都写真美術館[東京都]
公式サイト:https://topmuseum.jp/exhibition/5417/

東京都写真美術館で映像作家・出光真子の個展「出光真子 おんなのさくひん──ある映像作家の自伝」が開催された。展示室に入ってすぐ左手に、幅90センチはあろうかというビクターの大きなブラウン管テレビが置かれている。そこには出光の代表作であり、テレビが置かれた空間を撮影することで映像内映像を生じさせる「マコ・スタイル」を用いた《主婦の一日》(1977)が映されている。本作には作家自らが出演し、ブラウン管テレビに大映しにされた出光の目が、主婦としてふるまう彼女を眺め続ける。大型テレビモニターの物量感もあいまって、日本のビデオアートの開拓者である出光の展覧会の始まりとして気持ちが昂る。

展示室は続いて、円形のカーテンブースで鑑賞地帯をゆるやかに区切りながら、70年代前半のフィルム作品から80年代のビデオ作品へとプロジェクターとテレビモニターを展開していく。とくに家庭をテーマにし、画面内にブラウン管テレビを配する作品群の上映にはテレビモニターが使われていた。

現代の平面的なディスプレイとの比較から、箱型のモニターにはオブジェとしてのかわいらしさを感じてしまうが、そこに出光真子の「マコ・スタイル」が映されるとき、テレビモニターは呪縛の歴史を露わにする装置となる。「マコ・スタイル」の背景には、家庭内にあるブラウン管テレビというメディア自体が「家に長時間いる」「主婦が見る」ものとされ、そのために主婦向けの番組が存在する一方で、テレビはまだひとりに1台という個人の所有物ではなく、一家に1台の「家庭の共有物」だった時代の翳りがある。そして展示の冒頭に置かれた巨大なテレビモニターは、彼女がそうしたテレビを買うことができた富裕家庭に育ったこと、また、それゆえに受けた家庭内抑圧の肥大さを物語るかのようでもある。

美術とフェニミニズムをめぐる観点から、これまで女性作家が「女性」という属性で一括りにされ、個々の取り組みについて評される機会が損なわれてきたことを踏まえれば、「富裕層」といった別の属性にスライドするだけの附属情報への言及は不毛に思える。しかし自らが育った環境を表象する出光作品においては、その出自の特殊さが作品の一部に組み込まれている。現時点の最新作《直近の過去》(2004)は、彼女の幼少期の家族写真と、それらと同時期に撮影された戦争の凄惨な記録を重ねたもので、そこでは出光家という一族自体が焦点化されている。

「おんなのさくひん──ある映像作家の自伝」展[筆者撮影]

出光真子という存在が初めて公の場に出たのは、1960年12月号の『スイングジャーナル』と思われる★1。彼女はそこでアメリカやヨーロッパのジャズクラブを回ってきた「大学三年のお嬢さん」として紹介され、翌1961年には草月アートセンターにおけるジャズイベント「草月ミュージック・イン 11」にホレス・シルヴァーに国際電話をかける人物として出演する。彼女が渡米する翌1962年は、美術愛好家で出光興産の創業者でもあった出光の父が、坂倉準三に依頼した53件におよぶガソリンスタンドの建設プロジェクトが完了する年でもある★2

美術や音楽が身近な環境で10代を過ごし、1973年に本格的に帰国するまで、渡米前から交流があったサム・フランシスと暮らしながら映像作品を手がけていく。ジュディ・シカゴらのプロジェクトを撮影した《Woman’s House》(1972)には武満徹の「ヴォーカリズムA・I」が使われるなど、美術家たちとのネットワークの中での活動が窺える。帰国後も東野芳明を通じてかわなかのぶひろと、中嶋興を通じてマイケル・ゴールドバーグと出会うなど★3、ビデオ・コミュニティが持つ協働の精神も後押しし、和田守弘や道下匡子など、多くの協力者に恵まれていく。

とくに彼女の傑作として、岸本清子とマイケル・ゴールドバーグとともに作り上げた《アニムス・パート2》(1982)を挙げたい★4。この作品には当時42〜43歳だった出光と岸本、それぞれの人生と精神がカメラに向かって開かれ、生きることと表現することが重なり合う様子、それが自然なことだとする彼女たちの佇まいが捉えられている。

本作は出光自宅のリビングルームで、自らを「地獄の使者」と称する岸本がパフォーマンスを行なう様子を1カットで撮影した映像からなる。美術家であり政治活動も行なった岸本は、権力や資本を頂点とするピラミッド型の社会構造を批判し、それを反転させた逆ピラミッド型の社会を志向する。「地獄の使者」は地へと向かう逆ピラミッドの頂点に立ち、他者のあらゆる地獄を引き受ける者で、岸本は自らがその役を担うと宣言した。彼女の思想は15分ほどの演目となり、その披露に挑む前口上から映像は始まる。

大きな窓と、その奥に広がる緑。調度品の様子など、画面に映る部屋は明らかに出光の自宅である。そのリビングの絨毯にヒールで上がり、タバコを吸い、マグカップで水分を摂取し、衣装に着替えと、どのような場であれ、自然体でふるまう岸本が捉えられている。カメラは固定だが、ときおりズームインとアウトが起こり、目の前の人物を注視するカメラマンの存在が露わになる。そしてパフォーマンスの記録映像には、出光が岸本に見出した男性性の具現化であるタイツ姿の人物の表情や身体が重ねられる。本作は出光と岸本のドキュメンタリーとしての要素に加えて、パフォーマー、カメラマン、ディレクターといった参加者との協働性が感じられるのが強い魅力である。

「おんなのさくひん──ある映像作家の自伝」展[筆者撮影]

会場にはまた、コミュニティスペース「ホーキ星」と女性解放運動に関わった4名と制作したインスタレーション《女たち》(1977)の一部も展覧されていた★5。本作は4名のメンバーそれぞれがビデオカメラで撮影した映像と、彼女たちの撮影風景を出光が撮った映像をまとめたもの、それらの映像を全員で鑑賞しているところを撮影した6点の映像からなる。こうした構造や《主婦の一日》、《アニムス・パート2》にもあるように、出光の作品には女性の生きる姿や彼女たちが置かれた状況を率直に提示するスタイルが見られる。それはドラマ調の作品においては、フェミニストとしての理想的な姿よりも、世俗的な世界観の中で自らの弱さと対峙する女性の葛藤を描くことで現われている。

展覧会のタイトルは出光の映像作品と著書の題名から取られている。副題となった「ある映像作家の自伝」が示すように、出光の作品はある映像作家という匿名性や普遍性に、自伝という個人的な経験が合わさることで強度を放つ。ビデオカメラ黎明期の映像作家の視点と、切り分けることのできない作家と作品の関係性が照射される展覧会だった。

鑑賞日:2026/07/07(火)

★1──1960年12月号の記事では出光直子という名前で掲載されているが、1961年12月号にはその記事の同一人物として出光真子が紹介されている。(国立国会図書館デジタルコレクション、URL=https://dl.ndl.go.jp/pid/2299974/1/20
★2──出光興産給油所(URL=https://www.sakakura.co.jp/works/transportation/347/
★3──「出光真子 オーラル・ヒストリー 第2回」(日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、URL=https://oralarthistory.org/archives/interviews/idemitsu_mako_02/
★4──ウェブでは、アニムスを演じた俳優の名前を見つけられなかった。
★5──本展では6画面中2画面の上映だったが、2026年夏にフィラデルフィアで開催された展覧会では、4画面が上映されたようだ。(Gallery E、URL=https://www.collabjapan.org/documentation-community-of-images-japanese-moving-image-artists-in-the-us-1960s1970s/#GalleryE