ハマトリニュース02/桃谷恵理子|
キム・スージャ
桃谷恵理子 インタビュー
「お金がない、場所がないから自宅アパートで展覧会を」
聞き手:村田真
自宅を会場として展覧会を開き、キュレーションを行なう桃谷恵理子。95年からはじめたその活動は、10年にもおよぶ。プライヴェートな場所に他者を受け入れるというこの一風変わった展覧会を、いかに運営してきたのか、ハマトリでも同様の試みを行なうため、引っ越しを終えたばかりの彼女のマンションを訪ねた。
上:ニック・ジー《ブレイクオフ》(1996)
中:北原愛《トランジットの場所〜群集
(シェ・エリコ・モモタニ・バージョン)》
(2001)
下:カルメラ・ウランガ
《ヘッド・ラインズ》(2002)
photo(c)Eriko Momotani
──フランスに行かれたのはいつですか?
桃谷:1990年だからちょうど15年前ですね。もともと写真の勉強をしたくて行ったんですが、フランス語が中途半端で授業についていけなくて、語学学校に通ったりデッサンの学校に行ったり、とにかく毎年ヴィザを更新するためどっかの学校に行ってなくちゃいけなかった。そうこうするうちにキュレーターの仕事に興味をもちはじめて、たまたまパリ第1大学に少人数制の学部ができたんで、1993年に入ったんです。
──自分のアパートで展覧会をはじめられたきっかけはなんですか?
桃谷:大学に入ってからロンドンに遊びに行って、『タイムアウト』誌を見たら、「ミュージアム」「ギャラリー」のほかに「オルタナティヴ・スペース」ってのがあって、なんやろこれって。展覧会の説明にも「サイトスペシフィック・ワーク」てのが何度も出てくるんで、これなんやろなあって。そういう展覧会を見れるだけ見て、ああこういう美術館やギャラリー以外の場所で展覧会してる人がいるんやってわかった。なんでこういう展覧会がたくさんあるのってロンドンの友人に聞いたら、まずお金がない、若いアーティストにとっては場所もない、って聞いて、一緒やん(笑)。
で、ひとつはそういうお金がないとか場所がないとかマイナスの面をプラスにしようという意志、ふたつめは、作品とそれが置かれる場所について考えるということで、あ、これかもしれんなと。場所のもってる特殊性と、アーティストのもってる興味と、その両方が交差するところに作品を成立させていくというのがおもしろいなあと思ったんです。
──そのころ写真は?
桃谷:写真はもうとっくに……(笑)。まあ写真は好きで、いまでも記録として撮ってますけど。
──アパートでの展覧会は95年にはじめたんですね?
桃谷:そうです。それまで友人の娘と部屋をシェアしてたんですが、その娘に彼氏ができてシェアをやめたいと。もうひとつは、ドイツ人の友人から「そろそろなにかしないの?」とプレッシャーかけられて。それで新しいアパートに移って、それもなるべく美術に関係のある場所ということで、ポンピドゥ・センターの近くに借りたんです。
──展覧会はどのくらい開くんですか?
桃谷:最初は火曜から土曜までの午後4時から8時までにしてたんですよ。でもだんだん展覧会のコンセプトによってアポイント制にしたり、そうでなかったり。期間も最初は1週間程度だったんですが、次の年には2週間、最終的には1カ月ちょっとくらいと延びてます。
──アーティストの人選は自分でやるんですか? 私にもやらせてくださいっていう持ち込みもあるんですか?
桃谷:アパートはプライヴェートなスペース。そういう自分のテリトリーに他人を受け入れるというのはエネルギーを要するので、最低限の信頼関係が築かれてないとできません。だから「自分もやりたいんです」っていってきたら、そのいってくる感じで、あーこの人はわかってへんなあとか、デリケートなとこわかってよって思うこともある。まずアーティストという他人を受け入れ、次に観客という他人を受け入れる。ほんで家をいつもヨソ行きの状態にしとかなあかんし、そういうしんどさを想像してわかってくれる人と、わからない人といる。
──壁に掛ける絵とかはやらない?
桃谷:それはありえない。サイトスペシフィックなものしかやりません。以前ラジオのインタヴューを受けて、それを聞いた画家の人が電話かけてきて、「そちらで絵を展示したいんです」っていってきた。だからそういう場所じゃないっていってるのに、なんでこの人たちはわからんのやろって(笑)。
──運営資金はどうしてます?
桃谷:最初は自腹、といっても親のお金ですけど。途中からパリ市の補助金を展覧会ごとにもらえるようになりました。場所にじゃなくて、1回1回アーティストのプロジェクト単位で出るんです。それで全部たりるかっていうとそんなことないですけど。今回のトリエンナーレだって、ここの家賃が想像以上に高かったんでキビシイです。
──では、あらためてトリエンナーレに選ばれた感想は?
桃谷:10年以上外国で生活していると、日本がなんだか外国みたいになって、日本にいたときはぜんぜん気にならなかったものが目に入ってくるようになった。そういうものをもっと見たいとか、もっと田舎を旅行したいという欲求が出てきて、そんな時期にタイミングよく声かけられたんで渡りに船です。だから磯崎新さんがそのままディレクターやったらなかった話ですね(笑)。
──ディレクターの川俣正さんとは以前からお知り合いですか?
桃谷:川俣さんと最初にお会いしたのは5年くらい前で、川俣さんをビデオで追いかけているジル・クデールがうちの展覧会に連れてきてくれたんです。それから1年か1年半にいちどくらいご飯を一緒に食べるみたいなおつきあいです。
──トリエンナーレでの計画は?
桃谷:2カ月半の会期で3つ展覧会をやります。ほんまは3つはしんどいんです。でもふたつだと直線しかできないけど、3つだと立体的で、それなりの理念とか世界観とかを表現できるし、3つの個性もはっきりしてくるんです。ただし予算は私がまとめてボンともらって、そのなかでやりくりしなければいけないので、かなりしんどい。
(7月28日、横浜・賃貸マンションにて)
桃谷恵理子(ももたに・えりこ)
1964年、大阪生まれ。同志社大学経済学部卒業。写真を学ぶため90年に渡仏し、95年から自宅アパートで展覧会を開く「ミクロ・エクスポジション・シェ・エリコ・モモタニ」をはじめる。
http://microeriko.homestay.p3.org/
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