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映像は経験だと語る港 千尋氏 |
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肩書きが悩ましい人である。朝日新聞にも執筆記事が掲載されているのでご存知の方も多いだろう。港千尋氏(以下、港氏)は、多摩美術大学
(以下、多摩美)美術学部情報デザイン学科情報芸術コース教授であるが、昨年1年間はオックスフォード大学とパリ大学で客員研究員を務めた。一般には写真家・評論家といったほうが知られているかも知れない。人間と自然の関係を問いながら、思考を誘う芸術的な風景写真を撮影している。港氏は、学生時代に好奇心から未知の世界である南米に留学し、日本では味わえない経験をした。四国ほどの広大な土地を所有する人に出会い、牛を一頭丸ごと焼いて食すパーティーに参加したりと、鋭敏に五感が反応したと言う。見たことのない形や色に感動しながら、写真を始めていた。
1996年多摩美の情報デザイン学科設立時より港氏は、情報と人間や社会との豊かな関係を作るため、メディア・ア−トや映像表現の創造と研究を中心に活動をしてきた。基本的方向は、各種プログラムを通して、情報という概念を深化し、広げてゆく実験と挑戦を行ない、情報を創造し、精選することである。情報に深い思索や体験を加えてゆくことによって、それが内面化され、身体化され、共有化され、そのプロセスがさらに新しい情報を生み出していけるよう学生と接している。
1839年は、フランスの画家L.J.M.ダゲール(1787-1851)が銀板写真(ダゲレオタイプ)を完成、イギリスのW.H.F.タルボット(1800-1875)のカロタイプ(ネガ・ポジ式の写真)の発明とともに写真が誕生した年とされている。港氏が表現に用いる写真は、現在アナログ技術とデジタル技術の境界線上に置かれている。港氏の著書には、アーカイヴ、デジタル・ドキュメンテーション、デジタル・アーカイヴといった単語が出てくるが、これは風景写真家が使う言葉としては珍しい。写真家というより、港氏を現代美術家と捉えたほうが私には収まりがいい。2002年11月12日から12月15日まで東京都現代美術館で開催された展覧会「傾く小屋──美術家たちの証言since 9.11」に出展した港氏は、脳の画像をプロジェクターで壁面へ投影する作品やラップトップのコンピュータで見せる作品などを制作した。いずれにしても、デジタルアーカイブという言葉を使用した表現者が出てきて、私はその著者に会いたくなった。アーカイブは港氏も書いているが、クリスチャン・ボルタンスキーの作品「リヨン市のアーカイヴ」など美術表現にも関わってくる現代的な素材である。港氏は資料体を素材にした、広い意味の編集を加えて生まれる作品をアーカイヴァル・アートと呼んでいる。
アーカイブの前にデジタルが付くと、作品や資料など保存する媒体が物質から電子信号へ変わり、直接目視できなくなる。物が一挙に数値化してしまうことで平坦で無機質な感じがする。また、デジタルアーカイブは当然のことながら、電気がなくては成り立たない。港氏は撮影にデジタルカメラも使うが電池を使用しないカメラを持って旅をするという。地球には電気がない場所がまだたくさんあるが、都会で便利な道具は辺境の地ではおおにして役に立たない荷物となる。デジタルアーカイブのデジタル・イメージ構築は従来からあるアナログ写真に学ぶところが多い。例えば、デジタル・イメージの制作時には、画像解像度やカラーマネジメントなど、アナログ写真をひとつの基準にしているほか、デジタル・イメージの活用にあたってもデータをポジ・ネガに置き換えてプリントアウトしたものを使用するという習慣は、いまもデジタル・イメージの表現方法に引き継がれている。アーティストによって新しく制作されるデジタル・イメージも、写真や版画などの複製芸術に習い、アートに昇華していくのだろう。
「まず、闇の暗さが違う! デジタル・イメージには、時間的始まりも終わりもない。写真に特徴的な何かが消えるような感じがする。それは瞬間と言い換えてもいい。そして、デジタル・イメージは高精細画像になるほど平板で均一な印象になるが、写真はケミカルな感光材料のバラツキによる質感や立体感を表す」とデジタル・イメージと写真の違いを語る港氏。また、「デジタルアーカイブの写真は、そのまま史料として扱えるだろうか。そのイメージがどこから来て、どのように保管されているか、イメージの“戸籍”がしっかりしていなければ、思わぬ画像処理を経ている可能性もないとは言えない。写真の基盤が物質から情報へ移行するとき、問題になるのは物質的痕跡がなくなることだ。ネガや暗室作業はなくなり、デジタル化された写真はいくらでも加工がきく。だが、アナログとデジタルは対立する技術ではない。デジタル・イメージの登場によって、われわれは映像と人間の関わりを別の照度と速度によって見る視点を得た」と問題点を指摘するとともに利点を見出す。そのうえ「デジタル・イメージの挑戦は、表面的な“見え”のレベルではなく、映像の“時間”を揺るがすような深いものとして考えなければならない」と、デジタル・イメージに強い期待が込められている。
一方、デジタルの表現だけでなく記憶に触れる発言もある。「アーカイブという集団的記憶が急速に変わろうとしている。パブリックなアーカイブをプライベート・アーカイブとしてメディアなどが独自のデータベースを作成、所有する動きは、集団的記憶の再編成として社会全体の記憶に関わる問題である」とメディアなど社会的影響力のある組織が、独自のデータベースを構築する動向に対し警戒する。組織が事実のデータを選択して蓄積する。あるいはデータを網羅的に蓄積し、編集する。無意識に組織が陥りやすい、真実と事実の情報伝達格差が生まれることへの忠告として受け取れる。また、その情報伝達格差により、われわれの記憶が変わってしまう事態となればこれは大問題である。メディアではないが米国の議会図書館では200億円もの予算をかけて全米の映画フィルムなどを一括収集・保存するそうだ。所有者に都合のよいように編集されたデータのみが公開されていけば、市民は一種の情報操作を受ける立場となる。すべての情報を公開しない理由として著作権や肖像権などが、勝手に使われては困る。データの信頼性はデータ所有者への信頼から生まれてくるのだから、データベースをもつ組織はこの点留意する必要があるだろう。
港氏は社会を広く見渡し、思考する習慣と行動力を備え、現代を捉えつつ未来を創造する旅人である。吟遊詩人のように各地を旅し、詩ではなく写真を撮る。映像は経験だと、常々学生に言っているというが、港氏の移動行為が記録となり、作品となっていく。『グーテンベルク42行聖書』などの貴重本や平等院などの仏像のデジタルアーカイブのイメージ取得作業においても肉体的疲労と緊張があると聞くが、写真や画像、映像の背景にある身体的行為を想像してみると、ひとつのイメージから多様な物語が生まれてくる。さらにわれわれはデジタルの観点をもったことで、アナログ技術を再認識できた。アナログとデジタルのはざまの現在、デジタル・イメージがますます増えていく前に、港氏のメッセージから大事なものを失わないよう予兆を感じとらなければならない。
■みなと ちひろ 略歴
多摩美術大学美術学部情報デザイン学科情報芸術コース教授。1960年神奈川県生まれ。1984年早稲田大学政治経済学部卒業。82年ガセイ南米基金(アルゼンチン)を受け、南米各地に滞在後、85年よりパリを拠点に写真家・評論家として活動を始める。96年より多摩美術大学美術学部助教授。2002〜2003年度は休職し、オックスフォード大学とパリ大学で客員研究員を務める。現在、東京を本拠地にメディアアートを含む芸術と人類学を主とした領域で研究、創作活動を行なっている。賞歴:1991年第1回コニカプラザ奨励賞、1996年サントリー学芸賞、1998年マルチメディア・グランプリ アート部門大賞。著書:『注視者の日記』(1995, みすず書房)、『自然 まだ見ぬ記憶へ』(2000, NTT出版)など多数。写真集:『波と耳飾り』(1994, 新潮社)、『明日、広場で──ヨーロッパ1989-1994』(1995, 新潮社)、『瞬間の山 形態創出と聖性』(2001, インスクリプト)など。個展:1987年「大西洋の眼」アシストギャラリー・東京、1993年「航海」FOCギャラリー・パリ、1999年「記憶」スロヴァキア国立現代美術館・リュブリアナ、2001年「予兆論」パストレイズ・横浜など。
■参考文献
『Saison Art Program Journal No.10』2003.3 セゾンアートプログラム
港 千尋『群衆論』ちくま学芸文庫, 2002.9 筑摩書房
港 千尋『第三の眼―デジタル時代の想像力―』2001.5 廣済堂出版
港 千尋『映像論 〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ』1998.4 日本放送出版協会
港 千尋『記憶―「創造」と「想起」の力』1996.12 講談社
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