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掲載/歌田明弘|掲載/影山幸一
デジタルアーカイブという言葉を生んだ「月尾嘉男」
影山幸一
月尾嘉男
文武両道を目指すカヌーイストの月尾嘉男氏
 東京大学名誉教授でカヌーイスト。デジタルアーカイブという言葉を国内で初めて提示した月尾嘉男教授(以下、月尾氏)は、中学生時代レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れていた。文理融合の頭脳とその表現者であったダ・ヴィンチであったが、月尾氏が選択した目標は、文武両道である。身体のことに意識があり、小学校からスキーを始め、中学・高校ではバレーボールや、駅伝の学校代表に選ばれていた。精神と肉体の両方が大事という気持ちがあったと言う。今年62歳になる現在も毎年85Kmのクロスカントリースキーレースに出場、また山伏として山で修行をしている。この1月にはアルゼンチンの南端、ホーン岬をシーカヤックで巡る本格的な冒険に出るなど、ますます行動のスケールが大きくなる。
 大学時代は東京大学工学部で建築設計を学び、大学院では建築設計や都市計画よりコンピュータを使うことに関心が移っていった。建築家・丹下健三先生が大阪万博(1970年)の会場設計をしていた関係で、会場の中を人がどのように動くのかコンピュータでシミュレーションし、同じくイタリアのボローニャの都市計画では、交通や市街地の発展などをシミュレーションして予測していた。建築設計を丹下健三に、コンピュータ(システム工学)を石井威望(たけもち)に学んだ。この二人が恩師と言う。広い範囲のことに関心を持とうといろんな分野の本を雑多に読書していた。Uomo Universale(万能な人)を目指す人である。

 東京・数寄屋橋交叉点の近くにある月尾氏の事務所を、華やぐ年の瀬にデジタルアーカイブの原点を探るべく訪ねた。初めて向かい合ったのだが、鍛えられた太ももの筋肉が太く印象的だった。危険な冒険へ旅立つ準備が着々と進められている様子で、スーツにG-SHOCKと思われるタフな腕時計とワーキングシューズがそれを物語っていた。壁にはシーカヤックを漕ぐ月尾氏の写真が飾られている。
 デジタルアーカイブとはどのように誕生してきたのだろうか。またどのような意味を持ち、目的は何だったのか。デジタルアーカイブが誕生した10年ほど前の状況を尋ねた。
 1990年代中頃アレキサンドリア図書館(紀元前1世紀Alexander大王により、ナイル河口に建設された都市の世界最大の図書館)の再生計画という国際コンペがあり、文書を保存することが社会の関心となっていた。また、ワンビシアーカイブズという会社が役所や企業の文書を郊外の巨大な倉庫に保管するアーカイブのビジネスを始めた。歴史的な資料や作品を見直し、電子的に作られた情報をどうしたら保存できるのかなどの社会的なムードがあったと言う。
 1993年には、米国が全米情報基盤整備(NII: National Information Infrastructure)を開始した。その後、インターネットの普及と共に国際間の協調が主題として浮上してくるようになった。特に、1995年ブリュッセルで開かれたG7(先進国首脳会議)では世界的な情報基盤整備に関する調整が必要とされ、来るべき高度情報化社会の重要性を確認し、「G7電子博物館・美術館構想」が欧州共同体により計画された。このとき作成した「ブリュッセル報告書(基本構想)」として知られる「世界の文化遺産への開かれたマルチメディア・アクセスに向けて:博物館と美術館 」には、デジタルアーカイブという概念が見られる。
 
 そのような状況の中で、デジタルアーカイブが生まれたのは、1990年代半ばデジタルアーカイブ推進協議会(JDAA)設立前の2、3人の会合の中で「かつての図書館などの電子版」という意味から月尾氏が「デジタルアーカイブ」を提示したことによる。月尾氏は商標登録を提案したが、広く社会に使ってもらおうという案に落ち着いたようだ。JDAAの副会長となった月尾氏の言葉は、広報誌「デジタルアーカイブ」で初めて公表された。その概念は、「有形・無形の文化資産をデジタル情報の形で記録し、その情報をデータベース化して保管し、随時閲覧・鑑賞、情報ネットワークを利用して情報発信」というデジタルアーカイブ構想にまとめられた。
 当初、デジタルアーカイブ推進の対象としていたのは、美術館・博物館と地方公共団体であった。ビジネス的戦略もあって、新しい産業、事業を起こす目的があったが、文化情報の基盤整備、社会資本の構築に貢献する前提で、情報共有化を想定していた。この時点では、デジタル資料のアーカイブは考えていなかったと言う。
 アーカイブ、アーカイヴ、アーカイブス、アーカイヴス、アーカイブズ、アーカイヴズと英語のarchivesの日本語表記は複数ある。意味は、保管所あるいは公文書と辞書にある。社会として蓄積、保存していかなければいけない資料や史料、作品や情報を保存していくというのがアーカイブの仕事であるが、そこにデジタルという言葉が付いたことの意味は、アーカイブを超えることを含む。新たに創作された「デジタルアーカイブ」という言葉は21世紀に育てられる。
 デジタル化された資料は、デジタル情報となり伝播力が飛躍的に拡大すると同時に検索能力に優れた効果を発揮する。この2点が持続的保存よりも実際に社会を変えていると言う。ただ、これはインターネットの機能を指すことでもあり、デジタルアーカイブそのものではない。月尾氏はデジタルアーカイブの閲覧・鑑賞にはインターネットを活用することが最良だと発言しているが、この部分を強調しているとみるべきだろう。人々の生活水準を向上させ、新規の経済活動を活発にしながら、人類が蓄積してきた資産を後世に継承していく活動を担って「デジタルアーカイブ」は誕生した。

 1994年7月、米国学識社会評議会(American Council of Learned Societies)とネットワーク情報連合(CNI: Coalition for Networked Information)、J.Paul Getty Trustの芸術史情報プログラム(AHIP: Art History Information Program)が開催した文化的社会資本の整備に関する会合「情報ハイウェイにおける人文科学と芸術 」が開かれ、すべてのアメリカ人に提供する芸術や人文科学、社会科学に関するデジタル情報化の方法が検討された。
 月尾氏は、例えばPCの検索にルノワールの絵と入力すれば、世界中からルノワールの絵が集められ、ルノワールの描いた絵だけが一覧に見られる環境を強化するなど、この「情報ハイウェイにおける人文科学と芸術」はデジタルアーカイブを活用するための参考になると言う。あいまい検索や画像検索などの技術開発が進めば、さらにデジタルアーカイブは使われる範囲が広がると話す。
 インターネットのWebページはおよそ30億ページ(60テラバイト)、Webサイトは何千万サイトあるといわれ、アクセスが不自由なイントラネットやデータベースでは、5,500億ページ(7,500テラバイト)の容量になるという報告がある。これは75億冊分の文章量に相当するらしいが、そのうちの95%が公に情報入手できるというのだから驚く。情報の宝庫、創造の源泉である。
 そして、情報は現在も増加を続けているが、問題点は情報がデジタルのため次々に消えていく状況にあることだ。検索サービスを行なっているGoogle がかなり保存してはいるものの、消えていく情報をいかに保存するかは世界的に問われている、と情報技術の未完成を具体的に月尾氏は指摘する。現在、インターネットの世界では、メタデータや記述方式の標準化の整備に向けた議論が行なわれているが、他方、情報多様性(infodiversity)という考え方が現われ、生物多様性が生態系のさまざまな展開を生み出していることから、文化財などの情報多様性を善しとし、問題としてではなく課題と見て肯定的に捉える新しい動きが出てきた。自然の生態系に多くを学んできた我々は、サイバー空間においてもその指向性は変わらず、自然から学び本質的には多様化の中で統合を見出していくような気がする。
 月尾氏は、デジタルアーカイブの必要性について述べている。「人間の特徴ある精神活動というのは、過去の蓄積の上に一つ一つ積み重ねて形成されていることから、過去の蓄積を失うよりは参照できるので、積み上げて行くこと(デジタルアーカイブ)は重要だと思う。ただ、文明の分岐点である現代、人類は従来通りの拡大的発展に向かうのか、縮小に向かうのか、これから人類が選択していかなければならない」。

 137億年前に宇宙が誕生したという。2003年2月11日、NASA(National Aeronautics and Space Administration)が発表したその宇宙は、直径300億光年と推定されているが、当然まだ確めた人はいない。その中に浮かぶ地球は誕生後46億年、人類は約450万年、人間は1、2万年しか経過しておらず、個人の肉体は数十年しか保持できない。
 月尾氏は「この薄幸な肉体に悠久な精神が内在しているという矛盾が古来の宗教や哲学の源泉であるが、最近になって、個人の肉体どころか、集団としての人類さえ終焉に直面しそうな状況が出現してきた。その原因は資源問題でもあるし、環境問題でもあるし、精神問題でもあるが、これまで人類が目指してきた方向の先には巨大な断崖絶壁があり、そのまま直進していけば、レミングが集団自殺するような状況になりかねないのである」といい、生活水準を向上させながらも資源消費を減少させられると期待する情報通信技術に関心を寄せる。
 全国各地に保全されてきた百年単位、場合によっては千年単位の資産を認識し、物質と精神の地層を一層ずつ明らかにしていき、それらを世界のために提供して巨大な方向転換に貢献するという視点と支点を確保することにより、偏狭な国粋主義ではない日本の役割を見出せるはずと、愛国心をも覗かせる。
 渡辺京二著の『逝きし世の面影』(葦書房)は小泉首相にも贈呈した、月尾氏のいまお気に入りの一冊だと言う。江戸の末期から明治の初期にかけて、日本にきた外国人が当時の日本をいかに見ていたかを実証的に集めたこの本には、日本は「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ」(英国の詩人Edwin Arnold[1832-1904])と賞賛されつつも、西洋の文明を導入することで滅びていくのは悲しいと、書かれている。
 日本のデジタルアーカイブは世界的にも波及し、その概念を拡張する時期に至ってきている。国内にある世界有数の電気、情報通信機器メーカーの製品や技術を発信するように、デジタルアーカイブの成果物であるコンテンツが広く活用され、美と知の世界が平和に貢献することができるのではないか。博学多才にしてホーン岬に挑む月尾氏のように、自由に広く深く、荒波を越えてデジタルアーカイブも進化していく。



■つきお よしお 略歴
カヌーイスト。1942年4月26日愛知県生まれ。1965年東京大学工学部卒業。名古屋大学工学部教授、東京大学工学部教授、同大大学院工学系研究科教授、同大大学院新領域創成科学研究科教授、総務省総務審議官、総務省顧問を経て2003年6月より東京大学名誉教授。工学博士。研究:CG、人工知能、仮想現実、メディア政策など。著書:『装置としての都市 SD選書(171)』(1981.1, 鹿島出版会)、『贅沢の創造──21世紀・技術は芸術を目指す』(1993.4, PHP研究所)、『ITのカラクリ──東大で月尾教授に聞く!』(田原総一朗共著, 2000.11, アスキー)、『変革するは我にあり──独立分権宣言!』(2001.11, 日本実業出版社)、『日本が挑む五つのフロンティア──ナノ、エコ、ゲノム、インナー、サイバー新領域技術の驚愕』(2002.3, 光文社)、『日本 百年の転換戦略』(百年の転換戦略研究会共著, 2003.2, 講談社)など多数。

■参考文献
渡辺京二『逝きし世の面影──日本近代素描I』(1998.9. 葦書房)
武邑光裕『記憶のゆくたて──デジタル・アーカイヴの文化経済』(2003.2. 東京大学出版会)
月尾嘉男『縮小文明の展望──千年の彼方を目指して』(2003.6. 東京大学出版会)
鯨井秀伸『情報多様性と文化資料のメタデータ』(2003.12. 慶應義塾大学アートセンター/ADR研究会 公開シンポジウム:デジタル・アート・アーカイヴへの展開──資料記述をめぐって 配布資料)
[ かげやま こういち ]
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