絵は日々刻々と朽ちている。名画は国境を越えて運搬され、ライトを浴び、時には研究と称してX線や赤外線にさらされるが、手厚く修復も施され延命している。その修復の歴史がいつから始まったのか、その記録は見つけられなかったが、おそらく後世に残しておきたいと思う絵画が生まれた時、すでに修復という概念は誕生していたのだろう。それは絵画の誕生とそれほど離れた時代ではないと思う。日本はイタリアやフランスなど油彩画(油絵)修復の進んだ国々と比較しても技術は高く、世界的に高い評価を受けている。海外の作品所蔵者(館)は、日本への展覧会出品の貸出しに、修復を条件とすることもあると聞いた。「名画の歴史は修復の履歴」といわれるように、数百年永々と美の修復は続いてきた。このオリジナル絵画作品を修復・保存する技術や経験から、デジタルの複製、あるいは二次資料といわれるデジタルアーカイブ(CGアート、三次元レーザー計測のデジタルデータなどはオリジナルともいわれる)の保存について、何かヒントを得ることができそうな気がする。油彩画の分野の修復家は、現在国内に10人ほど、その一人を訪ねたいと思った。 |
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修復・保全家の
藤野いづみ |
油彩の香りが漂ってきた。無味無臭のデジタルの世界からくるとこの匂いは昔懐かしい美術部の匂いのようだ。絵の具とテレピン、ペトロールなどが混ざりあった揮発性の匂い。東京・麻布、フリーランスのレストアラー(修復家)&コンサベーター(保全家)である藤野いづみ氏(以下、藤野)の仕事場である。10年ぶりの再会であったがそれをまったく感じさせないのは、藤野の大らかな人柄のためだ。自然光が部屋の北側と西側から差し込み、裏打ちに使う大きな木枠がいくつも壁に立て掛けられた仕事場は、都心にも拘らず静かである。30年に及ぶ修復歴をもち、町医者を自称する藤野に油彩画の修復とは一体どのような仕事なのか、を聞いてみた。 |
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裏打ち用のキャンバスを張る木枠 |
美術館や画廊、個人などから持ち込まれる経年変化や事故で傷んだ油彩画の一般的な修復工程は、状態の正確な把握と状態報告書の作成、損傷部分の写真撮影、表打ち→木枠除去→裏面洗浄→裏打ち→再度張り→洗浄→絵の具の欠損箇所の充填復元→補彩→ニスかけ、そして修復報告書提出といった工程を踏む。準備する用具は、工具(ハンマー、ドライバー、ガンカッター)、洗浄用具(綿棒、脱脂綿)、補彩用具(絵の具、パレット、筆)、充填整形具(電熱スパーテル、ナイフ、メス)、ニス吹付け具(コンプレッサー、噴霧器)、木工具(電動鋸)、裏打ち用具(大型木枠、キャンバス)、溶剤、イーゼルなどである。時にはX線透過写真(材料の組織や欠陥を写す)、赤外線画像(墨線を明瞭に可視化、顔料の厚みや状態なども映像化)を入手して情報を得ることもある。キャンバスの破れ部分を繕い、充填材(大理石の粉と膠(にかわ)などを混ぜた物等)で絵の具の欠損箇所の筆跡などを復元し、絵の具の色を差す。この時の色感が大事であり、なるべく少ない種類の絵の具を混ぜて(混ぜる絵の具が多くなるほど色が濁る傾向がある)、求める色を作り出すのが基本とのことだ。パレット上で出来上がったと思った色をキャンバスの破損箇所へもっていくと色が合わないケースもある。音感と同様に色を作る混色の感覚は天性に寄るところが大きいようだ。また、修復の仕事は感性だけではなく、体力が必要と言う。5kgの鉄アレイで腕の筋肉や背筋を鍛えていると聞き、妙に美を守る修復家のイメージとたくましさはかけ離れていると一瞬思ったが、このトレーニングは大切な作品を安全に移動したり、描くときの集中力を維持させるには欠かせないことのようだ。重量のある大型サイズの作品でなくとも、余裕をもって作品を運ぶためにも、また連続の緊張した作業の安定した継続のためにも。それでも藤野の右手は腱鞘炎になっていた。根気・色感・手先の器用さに加え、体力を兼ね備えることが、修復家は大切だ。 |
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左:修復前の油彩画
右:修復部分(拡大) |
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修復後の油彩画
木田金次郎《新雪の羊蹄山》1941年,油彩・キャンバス,37.9×45.5cm, 木田金次郎美術館蔵 |
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油彩画の歴史を辿れば、すでに8世紀には油と樹脂を混ぜたワニスや乾性油を使用した考古学的な見地の例も残されているようだが、油彩画は15世紀初頭、オランダのファン・エイク兄弟が初めて作り出した画法と一般的には知られている。修復家はオリジナル作品を間近に見られる特権を有し、作品を直接手に持って修復することが許されている。藤野は、バルビゾン派や印象派などの作品を修復してきた。平均すると1年間に30作品、30年間で約900作品を修復してきている。藤野が修復家になったのはごく自然な成り行きだったようだ。藤野の父が画家を支援していたために自宅には身近に絵があった。画家になるつもりはなかったが、絵が好きで手先を動かすのは好きだったと言う。大学時代、北海道立美術館(現・北海道立三岸好太郎美術館)での学芸員実習により、保存・修復の仕事を知ったのが、修復家の道の始まりである。師匠である元国立西洋美術館事業課主任研究官の黒江光彦氏に、補修材と原画の素材が化学変化や物理変化を起こさないよう、適切に修復を施す方法などを学び、さらにフランスへ1年間留学し、ドナルト・マレシャル氏のもとで修業、1976年に独立、現在に至る。鑑賞する作品としては、北方ルネサンスの静謐な作品や、光とウルトラマリンブルーのフェルメール作品は魅力的で、オランダの小ぢんまりとしたマウリッツハイス美術館が好きとのこと。修復対象の作品については、絵の傷に集中し、傷は覚えていても絵全体を覚えていないことがある、「外科医と同じかもしれない」と笑う。 |
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100%の復元はできない、と藤野。「修復は恒久だが、永久ではないので、次の修復家が修復しやすいように心がける」とも語る。オーバーリタッチやオーバーペインティングにならないように元の姿、形に戻す。この元の絵の状態を確認するために藤野は資料に頼るのではなく、作品そのものから読み取ることが多いそうだが、これは鍛えた審美眼と経験のなせる技だろう。個人差のある修復の技術、どこまで手を入れるかなどの修復論議は今も尽きない。しかし、油彩画は刻々と確実に消滅に向かって変化する生き物でもある。修復を否定するより、技術の制約、時代の制約を乗り越えて、残すべき美術作品を未来に伝える努力を継続していかなければならない。1505年頃に制作されたモナ・リザは、どれほど修復が施されてきたのだろうか。修復の履歴は一般には公開されないが、ポプラ材の板絵であるこの世界一名高い油彩画が、ルーヴル美術館歴代の修復家の手によって500年を生きている。現在もその美を鑑賞することができるのは、絵を支えてきた修復家の仕事があってのことである。美を創造したアーティストと美を守る修復・保存家がいて、作品は残っている。そこにITが加わり何が貢献できるのだろう。 |
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写真、映画、CG、メディアアート、ミクストメディア、インスタレーションなどの美術分野に専門の修復・保存家はほんのわずか。20世紀に生まれたこれらのアートは、もともとアーティストが作品を残さない、あるいは作品が朽ちていくプロセスをコンセプトにしている作品があるなど、後世へ伝えるのが困難だ。デジタルアーカイブがこれらの作品の二次資料としてアートの断片をどこまで、どのように伝えていけるのか、伝統的な修復技術と関連をとり、相互に補完しながら未来のビジョンを示さなければならないだろう。1枚の絵葉書から60年ほど前の天井画がCGで再現された長野県・戸隠神社を思い出す(日立製作所[ミュージアムIT情報2005年4月号15日号参照])。デジタル技術では現物そのものは保存できないが、現物のイメージや数値化されたデータを保存する環境整備は進んできている。将来、作品の色・形態・素材のデジタル計測化が進展すれば、その技術にともなったレプリカなどの完全再現技術も期待できる。その時、計測の記録として気を付けなければならないのは、現物の油彩画に見られるように作品と共にデジタルデータも少しずつ変化しているという意識を持つことだろう。いつ・どこで・どのようにデジタルアーカイブしたかを、メタデータとして記録しておくことが検索性・真正性の点からも大事だ。また油彩画は平面でも凹凸のある三次元である。修復前と修復後では同じ作品に見えても、そのデータには大きな差が生じ、デジタルでは同じ絵と認識されない。 |
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伝統的な修復は本物を強化する。デジタルアーカイブも世界に唯一の貴重な本物に、直接手で触れる機会を少なくすることで本物を強化し、広めていく。保存し、未来に残すという目的は同じだ。本物だけでなく、デジタルアーカイブの画像も修復が必要となってくるだろうか。誰がどのように劣化したデジタル画像の処理を行なうのか、信頼のおけるデジタル画像修復者の養成も考えておかなければならない。デジタル・アーキビストの領域とは異なる新たな職能、デジタル・レストアラーなる専門家。美術館・博物館内に修復・保存の専門家が職員として配置されている施設はまだ少ないが、10月に開館したばかりの九州国立博物館には当初より博物館科学課保存修復室が設置されており、デジタルアーカイブの取組みも気になるところだ。 |
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藤野はメール歴10年と、デジタル技術との関わりは長く、最近の仕事の依頼はほとんどメールとなった。現在、富士通のデスクトップとラップトップのパソコン、富士フイルムのデジタルカメラFinePix4500を使い仕事の効率化を図っている。送信されてきた画像を見て見積りの判断をし、修復報告書に写真を添付するなど、デジタルが仕事場に入り、カラーで、しかも鮮明に作品を見ることができる。Faxの時代にはなかったことだ。修復する絵の画像データに画像処理をして、修復完成図のシミュレーションをするなど、精度と効率化をさらに進めることも考えている。油彩画修復の周期はおよそ30年から50年である。作家自身が正確な画材の知識をもって描くことが作品の命を延ばす要因となり、保存のための展示には気温25度・湿度45%前後の環境が最適であるそうだ。しかし、作品は定期的に状態をチェックすればよいというのではなく、毎日意識して見続けていることで、わずかな変化でも気がつくと言う。今後も誠実に淡々と仕事をしていきたいと、凛とした姿勢で語った。 |
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(画像提供:藤野いづみ、木田金次郎美術館) |
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■ふじの いづみ
1948年京都府生まれ札幌育ち。油彩画修復・美術品保全家。公立私立美術館、画廊、個人所蔵作品の油彩画の修復及びコレクションの美術保全の指導、展覧会の企画、点検保全アドバイザー。経歴:1971年跡見学園女子大学美学美術史学科卒業、学芸員の資格取得。同年4月より黒江光彦氏のもとで油彩画の修復・美術品の保全方法を修業。1974-75年フランス文化省認定絵画修復家ジャック・ドナルト・マレシャル氏のもとで修業。1976年独立。1992年
財団法人小山敬三美術振興財団より油絵修復技術調査研究費を授与。その他、カルチャーセンター講師、修復・保全に関する講演。仙台・宮城学院女子大学で学芸員資格取得のための博物館実習で講義。新聞社等の主催展覧会における作品の点検・修復・保全アドバイザーなど。
■参考文献
Ray Smith著,佐伯雄一訳『油絵 用具と基礎知識』1998.2, 美術出版社
瀬木慎一『名画修復 保存・復元が明かす絵画の本質』1995.5, 講談社
黒江光彦『美を守る──絵直し稼業』1975.9, 玉川大学出版部 |
2005年11月 |
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[ かげやま こういち ] |
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