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ミュージアムIT情報
掲載/歌田明弘|掲載/影山幸一
美術館の絵は情報なのか
──脳科学者・茂木健一郎さんとの対話

歌田明弘
ひとつの絵を2時間かけて見てみる
 脳科学者の茂木健一郎さんにインタヴューして、『脳の中の小さな神々』(柏書房、2004)という本を6月末に出した。
 茂木さんは、日本語で「質感」などと訳されている「クオリア」の認識が脳の働きを考えるうえでいかに重要かを説いて脳科学に新たな視点を持ちこんだ科学者だ。本サイトでも、「ミュージアムIT情報」のもう一人の著者・影山幸一さんが3月15日号(2004年)で茂木さんにインタヴューし、クオリアについても触れられているので、それを記憶されている方も多いだろう。
 本のなかでは、クオリアはもちろん、意識の構造や進化生物学といった学問の最新の研究など興味深い話がおもしろく語られているが、本サイトの読者にとっても重要なテーマが語られているので紹介しておこう。
 茂木さんは、国立美術館で長谷川等伯の《松林図》が公開されたとき、その絵しか見ないと決めて、絵の前で2時間立って見ていたそうだ。すると頭の中がぽかぽかしてきたという。影山さんのインタヴューでも、伊藤若冲が好きなアーティストの一人で、《鳥獣花木図屏風》が気に入っていると紹介されているが、この絵の前でも30分立っていて幸せな気分になったと言う。「われわれはいままで誤解して絵を見ていたんじゃないかと思います。つまり絵って情報だと思っているから、若冲の絵にしても《松林図》にしてもぱっと見て『情報として得られたからもういいや』って次に移ってしまう」。しかし、脳が分泌する神経伝達物質の作用はゆっくりしていて、時間がかかるのだそうだ。小説だって読みはじめてすぐに感動したりしないし、映画も1時間半とか2時間持続して見るように作られている。フランス料理だってコースを食べればそれぐらいかかる。絵もスローメディアとして機能していて、感動するには一定の時間がかかるように脳は設計されているのではないかと茂木さんは言うのだ。

美術館の中に作品をひとつだけ置いてみる
 これは美術館というものの根幹に関わる重要な指摘である。美術館の絵は、もともと人の家などに掛けられて、家具のひとつとして鑑賞された。住まいの空間内の環境の中に組みこまれ、おりおりに眺めて、ゆっくりと人の脳に染み通っていくものだった。それが美術館に集められ並べられることで、「情報」になってしまった。もちろん茂木さんのように時間をかけて見るのも来館者の勝手なわけだが、2時間もかけてひとつの絵を見るのはきわめて稀れで、多くの人にとって一点一点の絵は「情報」でしかなくなってしまっている。
 美術館が「情報を提供する空間」ではなく「鑑賞のための空間」だというなら、極端なことを言えば、美術館の中に一点だけ作品を置いて眺めさせるということをやってもいいわけだが、少なくとも私は、そうしたことをやった美術館を知らない。それでは来館者が満足しないだろうと常識的には思うわけだし、広い館内に一点だけしか飾らないのでは「コスト・パフォーマンスが悪い」などとおよそ美術品らしくない考慮が働くといったこともあるだろう。しかし、ほんとうはこうした無駄――時間の無駄・スペースの無駄・お金の無駄――が美術鑑賞には必要なのだということを神経伝達物質の研究はわれわれに告げるかもしれないのだ。残念ながら、そうした点についてまだきちんとした研究はないそうだが、エサを見つけたネズミの脳で分泌されるドーパミンは、エサがなくなるといきなり分泌しなくなるのではなくて、30分ぐらいかかって効果が消えていくのだという。人間でも同様で、情動系はそれぐらいゆっくりと作用する。スローフードなどを理論化しようと思ったら、そうした神経伝達物質の働きを視野に入れる必要があると茂木さんは言う。
 こうした研究や発見は、美術館の展示の本質にかかわってくる。

美術館の見方のカスタマイズ
 もし「美術品はスローメディアである」という観点を展示に活かすとすれば、ひとつひとつの作品について来館者にできるだけ時間をかけて見させる工夫が必要ということになるだろう。
 茂木さんは、まずざっとサーチして見て、そのあとほんとうに気に入った作品の前に立ってゆっくり見るのがいいんじゃないかと本書のなかで言っている。じつは私は、ミュージアムでそうやって見ることが多い。ただし、そういう客は、美術館側にとってはかなり迷惑な存在だ。指定されている順路を逆行することになるからだ。出口近くまで行って戻るなどというのは、混んでいるときにはもちろん無理だし、そうでなくても怪訝な顔をされることもある。
 そういうときに思い出すのは、かつて大阪万博で公開された「月の石」を見たときの、「はい、立ち止まらないで」というベルトコンベア状態。宇宙への思いも何もない。もちろんこれは、ダ・ビンチの《モナ・リザ》が公開されたときでも上野動物園のパンダがやってきたときでも同じこと。人があまりに集まってしまったときには仕方のないことだろうが、来館者としては、ミュージアムの展示に疑問を持ってみることは必要なのではないか、といつも思ってきた。
 ミュージアムの展示は、もちろん何らかの意味で合理的な設定になっているのだろうが、それが誰にとっても心地よいとはかぎらない。自分(の脳)に合った見方というのはあるはずである。混んでいないときにも、混んでいるときと同じように見る必要はないし、同じように見せる必要もないだろう。パソコンのソフトなどには、ユーザーそれぞれに合わせて使えるようにする「カスタマイズ」の機能があるわけだが、美術館も一人一人(の脳)に合わせたカスタマイズを可能にするような発想があってもいいのではないだろうか。
[ うただ あきひろ ]
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