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掲載/歌田明弘|掲載/影山幸一
空虚の坩堝のおたくたち
──村上隆と『リトルボーイ』
歌田明弘
おたく文化と村上隆
 ずっと気になっていたが読めずにいた村上隆編集の『リトルボーイ──爆発する日本のサブカルチャー・アート』を読んだ。この本は、ニューヨークのジャパン・ソサエティで、今年の4月から7月まで開催されていた同名の展示のカタログだ。このプロジェクトは、展示会と出版物で同時展開するというもので、カタログは展示のたんなる付属物というわけではない。『リトル・ボーイ』は、2000年の東京パルコ・ギャラリーの展示に始まるスーパーフラット3部作の最終章とのことで、マンガやアニメを糸口に、日本の若手を含めた作家たちを海外に向けて村上隆流に紹介するという野心的な試みだ。
 村上隆の作品が、海外で高値をつけられ評判になっているニュースなどは耳にしてきたが、これまでとくに関心を持っていなかった。しかし、このところ興味を持ち始めたのには二つの理由がある。
 読もうと思いながら読めずにきたのは、自分の本を書きあげるのに忙しかったからで、広島・長崎に投下した原爆開発計画を、大統領のかたわらで指揮してきた人物の伝記を書いていた。村上隆のプロジェクト・タイトルになった「リトルボーイ」は、いうまでもなく広島に投下した原爆の名前だ。筆者と同じぐらいの世代のアーティストが「リトルボーイ」に象徴される原爆投下をどう見ているのかにまず興味があった。
 村上隆はこう書いている。
原爆が投下され、直後日本は無条件降伏し、15年におよぶ太平洋戦争が終結した。2005年。戦後60年。現代の日本、平和だ。しかし日本に住み暮らす者は気づいている。どこかおかしい事を。
(中略)
資本主義の名の下、アメリカの傀儡政権が完全完成した後に来た平板な残骸としての国家。その空虚の坩堝の中で生きる人間たちが繰り広げる、言葉では割り切れない堂々巡り
 原爆投下後、アメリカに支配され、「空虚の坩堝」のなかでわれわれは暮らしている、というわけで、こうも書いている。
子どもの喧嘩の時に相手を揶揄するように名付けられた原子爆弾の愛称そのままに、我ら日本人は『Little Boy』=『ちっちゃな子供』そのままだ
 日本は、原爆に象徴されるショックによって去勢され、いつまでたっても大人になれない存在、というのが村上の認識だ。そして、戦後の日本のサブカルチャーが原爆によって色濃く彩られてきたことが、『リトルボーイ』のふんだんな図版によって示される。
 村上がおたく文化のイコンを作品に取り入れているのも、大人になることを拒否しているおたくこそが戦後日本の象徴的な存在だと思うからだろう。村上は、一見おたくに共感的なアーティストのようだが、批判的とまではいわないまでも、おたくに対して批評的なスタンスをとっているように思われる。
 村上は、「サブカルチャーとおたくには少しばかりの溝があり、その溝は決定的だ。サブカルチャーが『かっこいい外来文化』であるとしたら、おたくは『かっこわるい日本固有の文化』」だと言う。かっこいいサブカルチャーではなく、「かっこわるい日本固有の文化」であるおたくこそが戦後日本を象徴しているというわけだ。
リトル・ボーイな日本人であることのいらだち
 日本人は「ちっちゃな子ども」のままでいいのか、という叫びも、『リトルボーイ』という本には響いている。そういう意味では、この本はきわめて政治的だ。
 村上は、自分について、「私は『おたくを挫折した人間』」だと言う。『動物化するポストモダン』のなかで村上隆をとりあげた東浩紀も、村上の作品について自分はすぐれた試みだと思うものの、村上にたいする「おたくたちの評価はそれほど高くな」く、「彼の作品に協力しているおたくたちからもしばしば批判されている」と書いている。それは、村上の作品が持っている、おたくに対する批評的なスタンスを、おたくたちが敏感に嗅ぎとるからかもしれない。
 しかしながら、村上が抱いている戦後の日本にたいする不満は、おたく世代に共有されているものだろう。一般に、おたくは社会的な関心がないと思われているが、そうとはかぎらない。たとえば、ネットでかなりのアクセスを集めているおたく系ニュースサイトは、しばしば政治的な話題をナショナリスティックな視点からとりあげている。
 村上隆に興味を持ったもうひとつの理由はこうした点にある。
 デジタル文化はアメリカ発のものだが、日本に入ってきて生まれたデジタル文化は、アメリカでデジタル・カルチャーを育んだ人々のリベラルなムード(少なくとも9・11のテロまでは一般的だった)とは距離をおいたものになっている。どうしてそうなったのかを考えてみるときに、こうしたおたくの存在を無視することはできない。コンピュータおたくはアメリカにもいたわけだが、日本のデジタル文化の発展に大きく貢献してきたのは「コンピュータおたく」のみならず、「サブカルおたく」たちだ。村上隆の『リトルボーイ』のなかには、日本のデジタル文化に見られるこうした特徴が、ときに屈折したかたちで象徴的に表われていて興味深い。
[うただ あきひろ]
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