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プライバシーステートメント
著作権とアート
(d) マークから情報メディア法へ
──情報セキュリティ大学院大学副学長・教授「林 紘一郎」
影山幸一
(c) マークと (d) マーク *
 10年ほど前、インターネットにはアート作品の画像数はまだ少なかった。日本にとどまらず世界の美的資源を画像情報として網羅的に収集し、鑑賞できるように再構築して、インターネット公開できないものだろうか。そんな思いをもって「デジタルアーカイブ白書2001」を編集しているときに出会ったのが、1999年に発表された「ディジタル創作権」(Digital Creation Rights) (d) マークだった。著作権(Copyright)を示す (c) マークが現行の著作権法を維持して著作権を保護する表示とすれば、 (d) マークは現行の著作権法を破壊して新たな著作権を創造するための表示といえる。ローレンス・レッシグの「クリエイティブ・コモンズ」が2001年の設立だから先見性のある提言だった。ただ最近クリエイティブ・コモンズのマークを目にする機会が増えたのに比べ、この (d) マークを見かけない。デジタル時代にマッチさせた大胆な発想の提案は、その後どうなったのだろうか。 (d) マークを考案した林紘一郎氏(以下、林氏)を訪ね、サイバー空間の著作権を改善する思考をどこまで進めてきたのか、あるいは現実の法律をどこまで改善できるのかなど、アートに関わる法律について伺うため、横浜の情報セキュリティ大学院大学へ向かった。

場の記憶と結びつくアート
林紘一郎氏
情報セキュリティ大学院大学副学長・教授 林紘一郎氏
 学校法人岩崎学園に属する情報セキュリティ大学院大学は、JR横浜駅から徒歩で3分ほど。社会人を中心に約100名が学んでいる。林氏は2004年4月の開校時から副学長・教授を務める。林氏は東京大学法学部を卒業後、日本電信電話公社(現NTT)に入社、法務・購買以外のほとんどの事務系ポストを経験し、民営化を推進してきた。その後、NTTアメリカ社長、米国Nextel社取締役などを歴任。そして慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授、国際大学GLOCOM特別研究員を経て、2004年4月より現職という経歴をもつ。学生時代のエピソードを伺った。林氏の愛読書は当時「文学界」だった。1958年「喪失」によって中央公論新人賞を受賞した福田章二(のち庄司薫)の19歳に書いた文章がみごとで、小説家になる夢を打ち砕いたという青春の挫折である。林氏は時代の大きなうねりの中で、国境を越え、日本経済の尖端を切り開き、20年以上も前に著書『インフォミュニケーションの時代』の中で、放送と通信と情報が融合してくる現象をすでに考えていた。逆境のときに育てられたという林氏は、好奇心とチャレンジ精神が旺盛なためか、ほがらかな笑顔が印象に残る。林氏は美術の趣味はないと言いながらも、絵とはこういうふうに理解すればいいと思ったことが一度あったそうだ。林流の絵の見方である。フランスの南東部・カンヌの近くに行ったとき、海は青く、暖かい所だなと思ったという。その当時ニューヨークに住んでいた林氏は、MoMA でマチス展を見た。そこに絵のディティールは忘れたが、窓辺に人物が佇んでいる絵があり、その絵がカンヌで感じた温もりを再び感じさせてくれた。そのとき画家とはすごいものだと思ったと言う。音楽が場の記憶と結びつくように、絵画も場の記憶と結びつき感動することがわかった、と語る。

著作権法を再検討す (d) マーク
 林氏になぜ、 (d) マークの論文を書いたかと尋ねると、どうも著作権法がわからなかったと意外な返答。AならばBというとき、AならばのAを疑わないで、AならばBの話に入れないという。AならばBということしか説明がないことに不満なのだ。林氏はなぜ、Aなのかに関心を持つ。しょうがない私がAを変えてもいいんだと思い、A′を作ったのが (d) マークとなった。私だったら著作権をこのように理解するとわかりやすいという内容を記述したという。 (d) マークは、林氏が言うようにデジタル時代の著作権にふさわしい柔らかな著作権制度を創出しようという思考実験である。現行の著作権制度を前提にした弱点を補う発想とは異なる。林氏はこの (d) マークの論文を英語で書くためアメリカ法の著作権を3年ほど勉強したという。世界を意識した力の入った論文だ。 (d) マークはWeb上で発表する著作物について、著作権者自ら、または代理人を通じて「ディジタル創作権(ディジタル創作者人格権・ディジタル創作物財産権)」を設定でき、その期間は0年、5年、10年、15年の4パターンが用意されている。つまり、現行の著作権は著作行為によって自然に発生するが、「ディジタル創作権」は自覚をもって公表し、かつ「ディジタル創作物財産権」については、自ら権利の存続期間を宣言することによって発生する権利なのだ。著作権保護期間については著作者の存命中だけでもいい、と林氏は著作権保護と著作物活用のバランスを考えている。類似する著作権管理システムには、「クリエイティブ・コモンズ」(レッシグ)のほか、ハイパーリンク形式により利用に応じて課金する「transcopyright」(Ted Nelson)、コピーレフトのソフトウェアライセンスを代表する「GPL(General Public License)」(Free Software Foundation)、流通するコンテンツを特定するために一意に付けられる識別データ「cIDf」(Content ID Forum)、現行著作権をデータベースの活用によって保護する「コピーマート」(北川善太郎)、IDを埋め込み追跡する「超流通」(森亮一)などの提案がある。

(d) マーク──「 (d) -0(Web上の公表であることを示す。後の部分は権利存続期間を示す0,5,10,15), June-15,2007(公表年月日), Koichiro HAYASHI(著作者名)」を任意の認証局から個人認証と時刻認証を受けたのちに、著作物と共に表記する。

メディア融合時代の「情報メディア法」
  (d) マークの提言から8年、 (d) マークは「情報メディア法」へと展開をみせている。林氏はこう述べる。「わかってきたことは、登録制度を考えないとだめだということ。著作権の国際的な保護のために締結されたベルヌ条約は無方式主義。登録制度を導入して権利発生の要件にするとベルヌ条約に違反することになる。表現の自由の発露が著作権となっているため、表現の自由を奪う方式はないことが望ましい。しかし、著作権保護期間が死後50年あるいは70年ということになると無方式という曖昧なものではいけない。それで無方式主義の原則はそのままにしておきながら、任意の登録をしやすくしたらどうだろうかということを研究している。登録に3種類を考えている。ひとつ目は、公的な登記所に原本を持って行って登記する方法、米国が議会図書館で行なっている方法。これを検閲につなげないようにするのが課題。2つ目の登録は、民間がするもので、例えば電子証明や電子認証のような方法。3つ目が、 (d) マークのような自分で著作物に表示する方法」。この (d) マークと今までの林氏の考えが相まって、包括的かつ体系化された論考が、林氏の法学博士号の取得論文である「情報メディア法の研究」(2004)から生まれた『情報メディア法』である。情報メディア法とは、情報を運ぶメディアでビジネスを中心に考えられた法の体系化である。このビジネスがコンテンツと関係しているとき、言論の自由を守る面と制約する面との関係を整理したもの。法体系を8分類(基本法、資源配分規律法〔通行権法〕、設備・サービス規律法、事業主体法、コンテンツ規律法、産業支援法、規制機関法、電子環境整備法)し、法学と経済学の相互参照アプローチによる考察である。関連分野には「マスメディア法」「電気通信法」がある。林氏は通信と放送が融合し、インターネットが新しいメディアとして進展する現在、これらを総合して「情報メディア法」という視点から、現在の通信・放送分野の骨格ともいえる「1953年体制」の見直しを検討している。

変容するメディアと著作権を考える
 林氏は「1953年体制」からインターネットを加えたデジタル社会を考えている。これまで、メッセージ・メディア・通行権の三分法それぞれの規律を定めようとレイヤ別分離(水平分離)といった案により、時代に即した包括メディア産業法構想を展開してきた。メディアに関連する産業を、米国の元MIT教授プール氏(Ithiel de Sola Pool)の「メディア産業と規制の類型」(表参照)のマトリックスを見ながら解説をしてもらった。経済的規制(Conduit規制)と社会的規制(Content規制)という二つの側面から見ると、三つないしは四つのパターンに分けられ理解しやすいという。ここで経済的規制というのは、参入・撤退、あるいは料金規制など、経済行為を行なうときに課される政府規制のこと。社会的規制とは、この経済的規制以外のもので、一般法を越えた業界固有の規制のことである。メディアには出版社・新聞社などのP型(Press)、放送局のB型(Broadcasting)、NTTやKDDIなど通信社のC型(Common Carrier)の3つを挙げている。表からはこれらのメディアが言論の自由を保つために、P型はビジネスの参入障壁がなく、コンテンツの規制もない。B型は参入障壁が高く、コンテンツについても規制がかかっている。またC型は参入障壁は高いがコンテンツには規制がない。そしてI型(Internet)はどのあたりかというと、参入・撤退が自由で経済的規制はないP型に近い環境である。コンテンツの規制など、I 型はなんらかの社会的規制はあったほうがいいのではないか、と議論がなされていると林氏。これらP型、B型、C型と著作権とを組み合わせてみると、著作権とメディアが密接に関係していることがわかりやすくなる。例えばP型は、著作権の源流であり、一般的には著者との契約による。B型は、自分でコンテンツを製作し放送している著作者であるほか、外注製作もあり実際は放送局が番組を製作していない場合でも、著作権を吸い上げていることがある。これは著作隣接権の解釈だが、情報社会では見直す必要があるだろう。C型は、コンテンツを見ないということから、著作権上の権利はなく、すべて利用許諾契約の内容による。このほか、「情報の円滑な流通」に沿う視点として、林氏は「コンテンツ」「ネットワーク」×「法学」「経済学」のマトリックスで考えることを提唱している。
メディア産業と規制の類型
メディア産業と規制の類型 参考=『情報メディア法』
過干渉と無関心のはざま
 無体財であるデジタル化された社会においては、憲法までも変えなければいけないと林氏は考えている。情報は一旦流出してしまうと取り戻すことができない。そこで有体財を取り戻すのと同じように、ある1人の指示により流出した情報を抹消する技術を作れないかと研究しているようなのだ。しかし、このような抹消の技術はたぶんできないだろうと林氏。では、できないとすればどういう手段で情報を取り戻すのか。それは法でいえば著作権法だけではなく、あらゆる法律に関わってくると言う。また、著作権法は禁酒法と同じく、法を強化し過ぎると裏社会が生まれる。著作権法を強化した場合、著作者の著作権が保護されるからコンテンツが流通するという見方がある一方、著作権法を強くし過ぎると、ユーザーが利用しづらくなる、あるいは違法なコピーを誘発するケースなどが考えられる。反対に著作権法を弱くすれば著作者の権利が保護されず、コピーなどの氾濫を招くが、ユーザーにとっては利用しやすくなる。過干渉と無関心のはざまで著作権法の強弱のバランスが問われてくる。他方、今後はデジタル化を避ける拒否権のような権利は必要だろうと林氏は言う。例えばアーティストが作品をデジタルデータでは公表しないなど。それは林氏が100%完全な情報セキュリティがないことを、大学院で教えながら日ごと実感しているリアリティある言葉だ。

予見可能性を高める
 アートに対し、法律は何ができるのかという問いに、むしろ拮抗関係のなかで力を発揮するところがあるアートに対し、法律から先に言わない自制心が必要と林氏は語る。確かに、アーティストは法律があるから作品を制作するわけではないが、憲法・法律と密接に関わって生まれた赤瀬川原平の《模型千円札》や柳幸典の《Article9》などの作品がある。強制力や影響力の強いものほど反発をするアートの特性から、作品を解釈する方法もあるだろう。しかし、法律は何のためにあるのだろうか。林氏は「社会生活を営むうえでの予見可能性を与える予防的な措置と、実際に権利が侵害されたときなどに回復を行なう事後救済的な措置の両面がある」と述べている。また、この予見可能性を高めなければ、ドッグイヤーの速さで進展するインターネットの分野では、法律制度の果たすべき役割がきちんと果たせないのではないかと言う。広く議論を起こすのが林流だが、ビジネスマン、大学教授と広く社会を経験してきた林氏にはユニークな「林の法則」というのがある。成果=潜在能力×やる気×方向感覚(±)。ものごとの成果を計るのに林氏がヴァージョンアップさせながら作り上げた方程式だ。成果とは、個人が元来もっている能力とやる気を、上昇(プラス)または下降(マイナス)に掛けた結果であるというもの。例えば、潜在能力とやる気はあっても、その方向性が上昇でなければよい結果は出ない。インターネットにはアート作品の画像が多くなってきたが、求める信頼性のある画像を直ちに検索できるまでには到っていない。自由にコピーできない、デジタル著作物の中身を改ざんできない、といったセキュリティ機能を付加し、著作権を守るのもセキュリティだが、 (d) マークのように法的に著作権を放棄する方向性も合わせて、情報セキュリティの法体系を考えることが林氏の今後のテーマである。『情報メディア法』の次に『情報セキュリティ法』を視野に入れている。林氏は短期的のことは当たらないが、長期的なことには勘が働くのだと言った。
*: (c) (d) のマークは、本来です。ブラウザの都合上 ( ) で表示しました。
■はやし こういちろう略歴
情報セキュリティ大学院大学副学長・教授、コロンビア大学通信情報研究所客員研究員 経済学博士(京都大学,1991)、法学博士(慶應義塾大学,2004)。法とコンピュータ学会理事。1999年「ディジタル創作権」(マーク)を提唱、2007年(財)電気通信普及財団より「電気通信普及財団特別賞」を受賞。
1941年台湾生まれ
1963年東京大学法学部卒業
1963年日本電信電話公社(現NTT)入社
1992年NTTアメリカ社長、1994年米国Nextel社取締役などを歴任
1997年慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授、国際大学GLOCOM特別研究員を経て、2004年4月より現職

■参考文献
林紘一郎『インフォミュニケーションの時代』1984.8.25,中央公論社
林紘一郎「マークの提唱:著作権に代わる〔ディジタル創作権〕の構想」『Glocom Review』Vol.4,No.4(通巻40号)p.1-p.10, 1999.4.1,国際大学グローバル・コミュニケーション・センター
林紘一郎「包括メディア産業法の構想―垂直規制から水平規制へ―」『メディア・コミュニケーション』紀要No.50, p.115-p.140, 2000.3,20,慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所
林紘一郎「基調講演 包括メディア産業法を考える」日経デジタルコア,2000.7.13
http://www.nikkei.co.jp/digitalcore/event/000713/01_frame.html)2007.6.10
林紘一郎「著作権とメディア融合法と」『通産ジャーナル』Vol.33,No.11(通巻355号)Research & Review 59, p.50-p.53, 2000.11.1,(財)通商産業調査会
林紘一郎「著作権法は禁酒法と同じ運命をたどるか?」『Economic Review』Vol.5 No.1, オピニオン p.4-p.7, 2001.1.1,富士通総研 経済研究所
中原佑介「模型千円札事件──芸術は裁かれうるのか」真贋のはざま―デュシャンから遺伝子まで, 2001.11(『美術手帳』第287号,1967.9)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/02/2200.html)1007.6.10
寺田鮎美「空想美術館──複製メディアにおける芸術作品の受容」真贋のはざま―デュシャンから遺伝子まで, 2001.11
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/04/4100.html)2007.6.10
デジタル創作権を考える会『デジタル著作権』2002.12.22,ソフトバンク・パブリッシング
林紘一郎「スピーチ2 柔らかな著作権制度を目指して」日経デジタルコア,2003.7.31
http://www.nikkei.co.jp/digitalcore/report/030731/index.html)2007.6.10
林紘一郎「ディジタル時代の著作権」『画像電子学会誌』第32巻 第5号,p.745-p.752, 2003.9,画像電子学会
林紘一郎編著『著作権の法と経済学』2004.6.25,勁草書房
林紘一郎・矢野直明「デジタル時代の新しい法体系を〔情報メディア法〕で構築」COMZINE by NTTコム,コム人対談Vol.20,2004.7
http://www.nttcom.co.jp/comzine/no014/talk/003.html)2007.6.10
林紘一郎『情報メディア法』2005.4.5,東京大学出版会

2007年6月
[ かげやま こういち ]
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