歴史と伝統と先端
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東京文化財研究所エントランス |
東京国立博物館平成館の裏側に先進的な美術研究をしている独立行政法人文化財研究所 東京文化財研究所(以下、東文研)がある。1930年設立の歴史ある研究所は、黒田清輝の研究でも知られる。最近では、尾形光琳筆の紅白梅図屏風の金箔を解析した研究所といえば身近に感じるかもしれない。
美術関係資料として、台紙貼写真や売立目録カードなど総数約26万点を所蔵し、写真原板は、モノクロ4×5フィルム約48,500点、カラー4×5フィルム約8,300点、四切ガラス乾板約7,800点、各種サイズのモノクロフィルム約3,000点、X線フィルム・赤外線フィルム約3,300点などが保管され、74年の歴史と伝統に、先端的研究の成果が加わった美術資料のアーカイブでもある。
画像形成のプロフェッショナル
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城野誠治氏 |
「アーカイブに対する意識が日本はまだ低く、環境の改善こそが最大の課題ではないだろうか」と言うのは、情報調整室(旧写真室)に籍を置く写真家・城野誠治氏(以下、城野氏)である。東文研の専属の写真家である城野氏は、見えるものを写すだけの写真家ではない。むしろ見えないものを撮る写真家である。さまざまな文化財を画像情報として捉えている。最近は、外部の仕事が多く、台湾(故宮博物院)や中国など海外からの要請が増えたと言う。
情報調整室とは、各研究部門の要請により美術作品や文化財を必要に応じて、あらゆる角度から調査分析するための研究画像を形成する部署である。ある目的をもった研究の資料となる画像情報を、できるだけ多く捉えた1枚の画像を撮る。研究者のリクエストに応える、創意工夫されたその画像形成は、独自の画像取得方法を生み出している。
モノクロフィルムで作られてきた従来の画像は、2001年度からカラーに変更し、画像データベースへ登録。現在は撮影から画像処理、画像データベース(写真管理検索システム、カラーポジフィルム約8,000件・モノクロフィルム〔4×5〕約10,000件)までの画像形成のルーティンは、ほとんどアナログからデジタルに移行したそうだ。
デジタルは色の分離再現性に優れ、コピーによるデータの劣化が少なく、データの安定性がいいと言う。しかし、画像処理など撮影後も作業が多くなり仕事量が増えるとも。デジタル機器やアプリケーションなどは、市販されている汎用性のあるハードとソフトを使っている。
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尾形光琳筆 紅白梅図屏風撮影風景 撮影:城野誠治 |
源氏物語絵巻、高松塚古墳壁画、仏涅槃図(応徳涅槃図)、紅白梅図屏風(尾形光琳筆)などを撮影し、新たな画像情報を得て、美術史に一石を投じた。東文研の画像形成は、城野氏の500以上の蛍光サンプルデータ収集など、画像取得技術の研究・開発によって成果を挙げている。その手法は以前からあった光学的理論やデジタル技術を応用したものであると言う。
「肉眼では追いきれないものを明らかにして、いかに他の人に伝えるかが今の仕事」と城野氏。科学調査で得た数値やグラフを参考にしたその緻密な画像形成の裏には、14年間奈良の大和文華館(美術館IT情報2003年3月号〔大和文華館〕)で名品に触れてきた審美眼が生かされている。
3つの光を操り情報を得る
作品のオリジナルの色を忠実に再現するよりも、必要な情報を的確に抽出することに重点を置く。測色計では計れない重ねの色味や汚れなどの染み、墨の筆致やその厚みなどをグラデーションで表現することが情報として大事と言う。時には撮影対象は0.1ミリ以下のナノの世界に及ぶ。
絵画や彫刻や工芸品などの表面の材質は、それぞれ撮影に使用する光源の波長に対する性質に違いがあるため、主に3種類(通常の照明〔下記の照明機材参照〕、赤外線、蛍光)の光をフィルターを通して数値ではなく視覚的に記録する。物理的に記号や数値でその材質が何であるかを記録するのとは大きく異なる。鉱物顔料・有機物・媒材(絵具を作るための液体)・支持体(絹や和紙など)などの文化財の表面の材質を、カメラとレンズとフィルターを厳選し、光を操り、そこに写し出された画像を見ることで特定することができるのだ。アナログで写らないものがデジタルだから写るというものではないと言う。サンプルデータの収集と研究の成果であり、ウェブ・サイトで「画像形成技術の開発に関する研究
」の概要が公開されている。
非接触の撮影のためマルチショットタイプのデジタルBack(Sinarback 54HR)を使用し、記録する画像サイズの算出は、RAWデータの実画像が16bit換算でオリジナルサイズの1から8倍程度になるよう撮影する範囲を逆算し、マルチショットモードで分割撮影する。1点あたりの情報量は数十から数百ギガバイトとなる。
画素数が高いだけでは情報量の多い画像とも美しい画像とも言えない。ビジュアル・インテリジェンスと城野氏の言う文化財や美術作品は、撮影時に保存を前提として、オリジナルに置き換わる資料ともなりうるのか、なぜこのような画像形成をするのかを説明できるようにしておくことが必要である、と城野氏は言う。
光を駆使し撮影することで記録するデジタルアーカイブだが、その光で文化財を破壊しているとも言う城野氏。光の性質を理解した上で文化財の破壊を最小限にし、ライティング(主に3灯使用)に配慮して文化財などを撮影している。
3種類の光
◎通常の照明
「高精細デジタルカメラによる近接撮影」絵絹の状態や顔料の粒子の様子などの細部表現がわかる。
◎赤外線
「透過近赤外線撮影」支持体に最も近い層の情報を集めるには、透過近赤外線撮影を使う。表具の裏側に光源を置くことで、絵具層に隠れた下絵の墨線や裏彩色・絹の断裂の様子が記録される。
赤外線
「反射近赤外線撮影」絵具層と支持体との中間層の情報を集めるには、反射近赤外線撮影が有効。墨線を明瞭に可視化するだけでなく、顔料の厚みなどの状態も映像化される。
◎蛍光
「可視光励起による蛍光撮影」天然有機色料の光に対する反応を映像として記録する新しい技術。絵具層の表面の情報を集めるために用いる。
データ保存の方法とデジタル画像取得技術の可能性
デジタルデータは保存用と日常使うデータとに分けていると言う城野氏。
撮影後のオリジナルデータ(RAW)は、コンピュータの内蔵HDから2部以上をコピーし、外付けHDに保存する。そして、運用するための画像はコピー前のRAWデータを、1部だけTIFF画像へ展開させる。ここで、内蔵HDにある画像はすべて消去してしまう。情報流出の防止対策である。
保存媒体は、大容量化に伴いCD-ROMからDVD-ROMへ移行しているが、数ギガバイト単位の高精細デジタルイメージは、DVD-ROM容量を超えてきたため、ハードディスクへの蓄積を始めた。媒体の更新は、3年から5年を目安と考えているとのことだ。
1990年代半ばにデジタルアーカイブの概念が出現してきたことによって、実物のアーカイブが改めて見直されている。そして、デジタルカメラの普及によって、ただシャッターを押しただけでも、デジタルアーカイブにもなるように、その捉え方の幅は広く、一律ではない。デジタルアーカイブとは何か。城野氏の取り組みは、文化財のアーカイブへの見直しと、デジタルアーカイブのクオリティを高め、地平を切り開くものだろう。デジタル画像取得技術の体系化につながるその研究と成果の蓄積は貴重である。
●撮影時の注意事項 1.光源の分光特性と安定性(分光光度計による光特性の把握) 2.記録媒体の特性(アナログではフィルムの感光特性、デジタルでは撮像素子の特性やホワイトバランス等) 3.レンズの解像特性と画質(アナログでは粒状性、デジタルでは一画素のサイズ) 4.記録対象物の光依存性(材質の光による物性や色彩変化等) 5.撮影環境等の条件整備(壁面の色や環境照明等) 6.周辺機器の整備(デジタル撮影では、モニターの表示色管理等)
(城野誠治「退色画像の可視化、そのデジタル画像の保存について」『平成16年度 画像保存セミナー講演要旨』より抜粋)
■デジタル入力機材 |
カメラ |
Sinar p3、Canon EOS-1Ds
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DigitalBack |
Sinar m、Sinarback 44HR、Sinarback 54HR |
レンズ |
Sinaron digital 1:2.8f=28mm、Sinaron digital HR 1:4f=35mm、Sinaron digital HR 1:4f=60mm、Sinaron digital HR 1:4f=100mm、Canon Compact-Macro Lens EF 50mm 1:2.5 |
■照明機材 |
Generator |
grafitA2、grafitA4、primo4、TopasA4、mobile |
Light Head |
primo、PULSO F4、PULSO G、picolite
(すべてBroncolor社製) |
■特殊光源装置 |
ポリライト |
POLILIGHT PL500(Rofin Australia社製) |
■参考文献
『独立行政法人文化財研究所 東京文化財研究所 年報2003』2004.5, 東京文化財研究所
『平成16年度 画像保存セミナー講演要旨』, 2004.10.22, (社)日本写真学会
東京文化財研究所ホームページ「画像形成技術の開発に関する研究」
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