英語で展覧会のことを「ショー」と言うことが時々あるけれど、悲しい日本人としては、この言い方と「エンターテイメント」という言葉がどうしても重なってしまい、今までしっくりこなかった。でも、この「lonely planet」展を見終わっての第一印象は、「見応えのあるショーを堪能したな」というものだ。
日本語で言う「ショー」には、ひとつのテーマなりストーリーなりに基づいて進み、かつ観客の感情や感覚を刺激するスペクタクル性をもった見世物、という意味が多分に含まれている。もちろん、単純な見本市や展示会を指してショーと呼ぶこともあるけれど、どちらかといえば前者の方が一般的な受け取り方だと思う。『スター・ウォーズ』に代表されるハリウッド映画や宝塚、あるいはサーカスのようなものこそショーである、と暗黙のうちに了解されている。
この場合、ショーをショーたらしめているのは「観客の感情や感覚を刺激するスペクタクル性」ということだけど、「lonely planet」展の会場では、チャップマン兄弟、トニー・アウスラー、会田誠、猪瀬光といった強烈な表現で知られる出品作家はもとより、彼らよりずっと穏健な表現のはずのリネケ・ダイクストラや川内倫子の作品ですら、不思議なくらい見る者の感情に直接的に働きかけるものとして立ち現れてくる。不穏な凶暴性を隠しもっているという感じだ。見てはいけないものを見てしまった非日常的な体験……。本展がショーと呼ぶに相応しいと感じたぼくの感想の原因はここにある。
それから、イギリスのロック・バンド The THE による同名の曲や、有名な旅行ガイドブックにちなんでつけられたという展覧会タイトルには、この生き難い世の中にあって個人がどのように世界を認識していくかというテーマが込められているとのこと。たしかに、展覧会に出品した12組のアーティストの作品は、個々の主題に違いはあっても、総体として見れば、異口同音に生きることの孤独さを訴えかけているようで、グループ展としては異例なくらい会場全体に一体感が感じられる。そんなところも、本展をショーと呼びたくなる一因だ。もっとも、一体感といっても作品群は刺激の強い見かけとは裏腹に、見る者それぞれにに多様な解釈を許す多義性をもっており、そこが、本展が単なるエンターテイメントと一線を画する点でもある。
美術史や哲学理論を弄ぶ「知的な」スノビズムとも、エンターテイメントのもつ爽快感や満足感ともまったく無縁だけれど、でも、これはやっぱり見ておいた方がいいよな、と思わせるショー。そんな展覧会だった。