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学芸員レポート
東京/南雄介神戸/木ノ下智恵子|福岡/川浪千鶴
「ミュージアム・シティ・プロジェクト」「天神芸術学校」
福岡/福岡県立美術館 川浪千鶴
上から「芸術家の家」での江上計太作品、芸術家の家」での岡山直之作品《シャボンバー》、「天神芸術学校」での授業《藤浩志をぶちのめす!》、「芸術家の街路」、「芸術家の街路」で《楠丈展》
 今秋、隔年開催の「ミュージアム・シティ・プロジェクト(以下MCPと省略)」が通算8回目のプロジェクトを行った。今年のプロジェクトを振り返ると、14年の歴史を経てMCPがかなり様変わりした感がある。
 私の福岡アート通信を終えるにあたって、2003年に発行された記録集『福岡の「まち」に出たアートの10年:ミュージアム・シティ・プロジェクト1990−200X』(ミュジアム・シティ・プロジェクト出版部、2400円)を繰りながら、年代ごとにざっとMCPを中心にした福岡のアートシーンを回顧してみたい。

 80年代後半からMCPが始まった90年代前半にかけては、福岡が名実ともに元気だった時代。時はバブル経済の後半期、都市の隆盛とともに展示空間や場所は拡張を続け、それに呼応するようにインスタレーションを武器にした、のちに福岡を代表する作家たちが次々と台頭した。1985年に福岡県立美術館がリニューアル・オープンした際の開館記念展「変貌するイマジネーション」のテーマは、美術館の建物全体を展示空間にするというもので、江上計太がインスタレーションを手がけるようになったのもこの頃。CCA北九州が生まれるきっかけとなった1987年の「国際鉄鋼シンポジウムYAHATA'87」や、蔡國強らが活躍した1991年のMCP企画の「中国前衛美術家展−非常口」展など、野外で大規模なレベルの高い国際展が開催されたことも、強く印象に残っている。
 この時代のひとつのピークとして忘れられないのが「1994年」。これは福岡の作家、美術関係者の多くが共感するところで、その年の秋は、ほぼ同時期に「ミュージアム・シティ・天神'94 超郊外」(天神中心部+能古島他)、「第4回アジア美術展 時代を見つめる眼」(福岡市美術館)、「現代美術の展望−'94FUKUOKA 七つの対話」(福岡県立美術館)、「3rd 北九州ビエンナーレ クイント・エッセンス」(北九州市立美術館)等が開催されるという空前の現代美術シーズンを迎えた。このアジア美術展を契機に生活や活動拠点を福岡に移したナウィン・ラワンチャイクインや藤浩志ら、交流系の強者作家たちが連日連夜市内各所でワークショップやパフォーマンス、パーティーを繰り広げ、この勢いや熱やネットワークが、のちに交流をミッションに掲げた福岡アジア美術館(99年開館)を生むなど福岡の方向性を決めたともいえる。
 「交流、コミュニケーション、ワークショップ」といった時代のキーワードが明確になる一方で、1996年に「川俣正コールマイン田川」プロジェクトが10年計画で始動するなど、社会やコミュニティとの関係が気になり始めたのも90年代後半頃から。隔年のMCPは当初は「ミュージアム・シティ・天神」と称され、文字通り天神という商業都市福岡の中心部が舞台だったが、98年に祭りなどの伝統が色濃く残る博多部に移動、「ミュージアム・シティ・福岡」と改称された。以後コミュニテイ指向が明確になったのも事務局が博多部に移ったことが大きい。
 アートと人、人と人をつなぐ役割や仕事が重視されるようになってきたのもこの頃からで、1996年には第3回の「トヨタ・アートマネジメント講座」をMCPとの連係で開催。また、1999年のMCP企画「ヴォッヘンクラウズール:アートによる提案と実践」では、社会活動・福祉活動と見まごう、アートの極北ともいえる活動を続けているオーストリアの作家たちを招聘。こうした現場や経験を踏まえた人たちによってNPOやエイジェンシーが立ち上がり、地域社会や学校教育とアートをめぐる関係の模索は現在も続いている。
 
 さて2000年代に入って、かつて東京の美術関係者に元気なアートの楽園のようにいわれた福岡のアートシーンもさすがに沈静化し、「再考」の時期を迎えている。10年目の2000年で区切りがつくかと思われたMCPも、継続してはいるが大掛りな展示やアートイベントを縮小または一時中断し、恒常的な「アートセンター」へのシフトを探っているように思われる。
 アートセンターとは何かといえば、2002年そして今年のMCPで試みられた、現代美術の学び場「天神芸術学校」のように、建物=ハードというよりは、アーティストや評論家、学芸員ら美術関係者がそれぞれの現場で蓄積している情報や経験や技術や成果や思想等を、人を通じて生かす新たなシステムということができるかもしれない。いま美術館が、「美術館や美術を取り巻く社会や時間的・空間的な広がりの側から美術館を捉える」ために、地域住民や鑑賞者主体のシステムづくりや、場とネットワークの見直しを必要としているように、テンポラリーなイベントを多彩に展開し走り続けてきたMCPにとって、これまでの蓄積に根ざしつつも、そこから自らを捉え直すための新たな回路を探ることがいま最も重要な課題といえるだろう。

 私のレポートは今回で終了ですが、福岡のアートシーンに関わり、伴走する仕事はこれからも続きます。開館20周年を迎える来年秋には、福岡のアートシーンを定点観測した「アートの現場」シリーズ(18回分)のCDカタログを発行予定で、そのなかには福岡県立美術館二十年史とともに福岡のアートシーン十年史も掲載予定です。よかったら、1年後に手に取って見てください。
 最後に、現代美術をフィールドとする美術館学芸員として、MCPの現場、そして福岡のアーティストから多くを学ばせてもらったことに深く感謝しています。
会期と内容
●ミュージアム・シティ・天神2004
芸術家の家を作る]
10月14日〜27日 福岡県糸島郡二丈町の個人宅
参加作家:今村創平、岡山直之、江上計太、平野治朗、藤浩志、ヘリ・ドノ、渡辺郷
[芸術家の街路]

11月13日〜11月14日 天神中心部の路上
問い合わせ先:ミュージアム・シティ・プロジェクト
URL:http://www.ne.jp/asahi/mcp/fukuoka/

●天神芸術学校2004
会期:10月12日〜11月12日
場所:ギャラリーアートリエ、イムズビル等(福岡市中央区)
問い合わせ先:ミュージアム・シティ・プロジェクト 092-283-6205
学芸員レポート
 
風倉匠と川俣正のカフェ・トーク
10年の区切りを来年に控えた「川俣正コールマイン田川2004」のテーマも、「プロジェクト再考」。今年のシンポジウムには、田川市長や県会議員(実行委員長)も登壇し、プロジェクト・サイトなどコールマイン田川の「遺産」を地元でいかに活用するかが、今後の課題と聞く。新たな形態を探りつつ継続を選んだMCPとは異なり、期限を切って現場から去るコールマイン・プロジェクトには、結果アーティスト川俣正の姿勢が色濃く感じられる。
 先のシンポジウムには参加せず、田川市内に来年1月にオープンするアートスペース「to.ko.po.la」の工事現場お披露目パーティーに参加したときのこと。思いがけず、同スペースの中庭に大きな新作オブジェを設置予定の前衛美術家・風倉匠と川俣のトークを聞くことができた。自分の身体をオブジェ化し表現の主体性すら無化してしまう「伝説のハプナー」風倉と、自らを支柱に目に見えない時間や関係を積み上げ編み上げる川俣。その作品や活動は一見対極にあるように思えるが、活気ある両者のやりとりからは共通するアーティストの有り様、「個・孤」の姿勢が浮かびあがり、すこぶるおもしろかった。
 こうした「個・孤の姿勢」をもつ作家と深く関わるプロジェクトを行ないたい。ちょっと早いですが、これが私の来年の抱負です。
会期と内容
●川俣正コールマイン田川2004:プロジェクト再考
会期:11月3日〜11月14日
場所:プロジェクト・サイト(福岡県田川市伊田成道寺公園)ほか
問い合わせ先:川俣正コールマイン田川実行委員会
URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~onthetab/newfiles/kcmt/kcmptj.html

●the preview/to.ko.po.la−音楽と屋台と工事中。−
会期:11月13日
場所:to.ko.po.la (福岡県田川市大字伊田) 
問い合わせ先:to.ko.po.la
URL: http://www.tokopola.com
[かわなみ ちづる]
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