さて、BankARTで開かれていたのは、「BankART Life 24時間のホスピタリティー」と題された展覧会である。横浜トリエンナーレの連動企画として、トリエンナーレのスタッフのためのくつろげる空間づくりが共通したテーマとなる、30組ほどのアーティスト、建築家、デザイナーの作品が展示されている。「展覧会場で泊まれるか?」というキャッチコピーが掲げられているが、夜間はトリエンナーレ公認ボランティア・作家アシスタントが利用でき、実際に宿泊できるのだという。くつろぎの空間づくりは、トリエンナーレの第二会場といった印象も呈していて、そしてよりいっそうリラックスした(「ゆるい」、というべきか)ものになっていた。それは、展覧会としてのテーマに起因する部分ももちろんあるのだが、それとともにNPOの運営によるオルタナティヴ・スペースというこの会場の特性にも由来するものなのではないか。憩いの空間という主題への取り組みは、作者が建築家なのかデザイナーなのかアーティストなのかによって、当然のことながら位相の違いがあるのだが、そういう異なった要素が混在しているために全体の構成がほどよくほぐれているような印象を受けた。要するに、さまざまな要素が相まって、リラクセーションの実現に貢献していたのだと思う。
一方で、「展覧会場で泊まれるか?」という問いかけは、トリエンナーレが掲げたアートや展覧会の枠組みの問い直しとも重なる主題であろう。ここに見られるラディカリズムは、またBankARTが活動を開始したときから目指されてきた種類のもので、この組織の硬派な側面や理論的な可能性を代表しているのではないかと思う。「BankART的生活/BankARTでの生活」というもう一つのキャッチコピーに、それはよく現われている。このスペースの活動の集大成的な表現ともなっているように、私には思われた。いわゆるArt/Life系のアートは、1995年以降のポストバブル期における新しいアートの、二大潮流の一つであると常々思っているのだが、その一つの実践の形を体現していると言えよう(ちなみにもう一方は、スペクタキュラーでフィクティシャスなイリュージョニズムとでも言うべきものである)。トリエンナーレのような巨大イベントと連動し、それをBankART自体のテーマに即して読み替えることで、BankARTの活動そのものが持っている重要性や国際性が、大きな意味を持って浮上しているのではないだろうか。