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学芸員レポート
札幌/鎌田享|東京/住友文彦|福岡/山口洋三
「夏への扉──マイクロポップの時代」
東京/東京都現代美術館 住友文彦
田中功起
青木陵子
泉太郎
上より
・田中功起
水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景
「夏への扉−マイクロポップの時代」2007年
Courtesy: Tanaka Koki and Aoyama | Meguro
・flower_range
青木陵子《花数珠》2001年
Courtesy: Kodama Galleryi
・泉太郎
水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景
「夏への扉−マイクロポップの時代」2007年
Courtesy: hiromi yoshii
 この展覧会のタイトルのもとになっているロバート・A・ハインラインの小説『夏への扉』を私は読んでいなかったので、これを機会に目を通してみた。発明に明け暮れる技術者の主人公が冷凍睡眠とタイム・トラベルによって最後に幸せを手にする、痛快なサイエンス・フィクションである。とても面白く、一気に読める。しかし、この小説と展覧会の企画コンセプトとはすぐには結びつかない。
 この展覧会は、1995年以降活躍する国内の若手アーティストが15名も参加し、その作品群に共通する特徴を見出そうとする、かなり野心的といってもよい企画である。参加している作家には、奈良美智や島袋道浩などよく知られている者も多い。ある種の傾向として私たちが感じ取っていた傾向を顕在化させているために、過去に類似の展覧会がなかったかどうか確認したくなるほどである。しかし、そうした展覧会はおそらくなかったのではないだろうか。
 企画者の松井みどりの説明によれば、副題にある「マイクロポップ」とは、主要な文化に対して周縁的な位置を占める人々の創造性のことである。その担い手としては、移民、子供、消費者などが例示されている。それらは、「貧しい」、あるいは「つつましい」表現と形容される、と言えば、おそらく展覧会場に並ぶ作品の佇まいを思い描いていただけるのではないだろうか。こうした作品が一堂に集められると、なおさら展示構成のなかにメリハリをつくるような「強度」を見出せないことが明らかになる。一つひとつの作品は、自律した領域を形作るよりも、並んでいるほかの作家の作品や見る人の日常と地続きになっているような連続性が生み出されていた。
 自分が親しんだり好む対象が、身の回りにある物や道具によって線を形作って運動をはじめるような落合多武や青木陵子の作品には、松井がポップアートと区別する小文字のポップが息づいているようにみえる。しかし、それは、自分とその周辺しか愛せない、そうした自己愛とは遠く離れたもののようである。自意識は退却し、物事同士の結びつきが生み出す連鎖性が支配的な価値や知とは別のところへと見るものを運び去っていくような感覚をおぼえないだろうか。そこでは、おそらく作家=主体へのアンチロマンティシズムも漂っている。大木裕之が、彼の日常を綴るようにして撮影している映像とそれを囲む作業スペースのような展示では、映像というフレームだけが準備され、そこで何が起きるかに対しての徹底的に寛容であり、映るものすべてを愛するようなまなざしに出会う。対象を選び、全体性を持つものへ作り上げる全能の作者はいない。K.K.や半田真規にも同じように霧散した主体を感じる。また、田中功起と島袋道浩は、フィクションと現実を分け隔てずに、その境界の曖昧さを肯定しているように思えた。道に捨てられていたという絵の数々や、ばねによって小刻みに動く巻尺の記録映像などからは、ある恣意的な解釈や認識から溢れ出てしまう物の価値や姿をみつけだす現実への介入を見出せる。
 私は、こうした作品を眺め回しているうちに、ある想像に駆られた。いまここの現実が、ある選択肢のうちのひとつであって、私たちの認識するこの世界ではいつもそれだけしか知りえない。しかし、ありふれていると思われた物や世界には実はまったく別の側面があって、ありえたかもしれない現実がそこに潜在しているとしたら。それは、まったくもって、子供の一人遊びのような空想としかみなされないのだろうか。誰しもが、いまここでは窮屈に拘束されているから、「ありえたかもしれない現実」へと想像をめぐらせ、それは創造の重要な源泉であるとは言えないのだろうか。そして、この「ありえたかもしれない現実」こそ、ハインラインの小説のテーマだったことに気付く。
 ここでも言及できなかった作品にも共通していたのは、どれもがどこか地味で慎ましくありながらも、ある種の切実さをはっきり持っていたことだったように思える。それはなぜだろうか。一人遊びのような内向きのベクトルを持ちながら、どうして切実な感覚が備わっているように感じられるのか。
 それを考えるためには、見る者と作家が生きる同時代の社会とどのようにして向き合っているかが問われ、その度合いが強いほどおそらく切実さを生じさせているはずである。それは作家自身が自覚的にしていることか無意識に行なっていることかはどちらでもよい。おそらく、私たちが生きているこの社会は、いまや過度に消費社会化と管理統制化が進展している。そうしたなかで、確固たる自己同一性と不変性に固執する近代の主体はその脆弱さを露呈し始めているように思える。花を生ける壷をある民族の仮面としてみなしたり、コーヒー豆をいれる袋を踊りの衣装に流用したり、ある物や出来事を別の姿によって再解釈し、それを想像することの自由さは、おそらくこの社会を生き抜くうえでのひとつの戦略足りえているのではないだろうか。それは「失われた世代」の開き直りでもなければ、他者への無関心でもない。そうした創造行為になんとかして名を与えようとする試みがひとつの展覧会として結実するのを見ることができる稀有な経験だった。

会期と内容
●「夏の扉へ──マイクロポップの時代」展
会期:2007年2月3日(土)〜2007年5月6日(日

会場:水戸芸術館
茨城県水戸市五軒町1-6-8 Tel. 029-227-8111

学芸員レポート
 アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT]では、毎年恒例になりつつあるイベント「16時間美術館」を、3月17日と25日に代官山と六本木で行なう。アーティスト、写真家7人による作品展示のほか、全国のアート団体の活動を紹介したり、連続レクチャーやパフォーマンス、ライブパブリッシングを実施する予定。それぞれの構成要素を通して「知」の伝達について考えて、意見を交わすことを目指している。詳細はこちら
 この記事が掲載される頃にはもしかしたら終わっているかもしれないが、東京都現代美術館は今年度から作品収集予算が復活し、すでに持っている戦後美術のコレクションと近年の国内作家の動向について話をするMOT講座を実施します。今なお、テクノロジーや作者概念についての刺激的な影響力を持ち、昨年逝去したナム・ジュン・パイクについて、そして「もの派」から前述した「マイクロポップ」へといたる国内の作家についてをトピックにしたセッションを準備しています。

「16時間美術館」
会期:2007年3月17日(土)、3月25日(日)

会場:3月17日
   
AITルーム:東京都渋谷区猿楽町30-3ツインビル代官山A-502
    ヒルサイドテラス 
アネックスA棟:東京都渋谷区猿楽町29-21
    ヒルサイドテラス アネックスB棟「温室」:東京都渋谷区猿楽町30-2
   
奈良県代官山iスタジオ:東京都渋谷区恵比寿西1-36-10 
   3月25日=スーパーデラックス 東京都港区西麻布3-1-25-B1
問い合わせ:アーツイニシアティヴトウキョウ
Tel: 03-5489-7277
MOT講座
日時:2007年3月4日(土)
会場:東京都現代美術館
東京都江東区三好4-1-1 Tel 03-5245-4111(代表)
テーマ:
Session1 :11:00〜12:30
「創造」の解放〜ナム・ジュン・パイクからのメッセージ
Session2:14:00〜15:30
日常の実践〜1970年代の美術と2000年以降

[すみとも ふみひこ]
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