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福岡/川浪千鶴
21世紀の瀬戸内文化交流
金刀比羅宮
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大原美術館
第1回文化交流展
倉敷/大原美術館 柳沢秀行
「こんぴらさん」の愛称で知られる香川県琴平町の金刀比羅宮は、この平成16年に33年に一度という大遷座祭を迎える。
常に新しく若返り、その輝きを増そうとする「常若」は、神道の理想のひとつとされるキーワード。遷座祭とは、それを体現するように、一時的に祭神を仮殿に移し、本殿をはじめ宮内の諸建築物や調度品を造営、修復し、祭神を新たな住まいにお迎えするという重要な行事。
この平成16年の遷座祭を、平成の大遷座祭と位置づけ、さらに「21世紀のニューこんぴらさん」として再生させるための重要な起点ととらえた金刀比羅宮では、建築物の修復、造営にとどまらず様々な事業に取り組むが、その中心となっているのが、文化顧問として招かれた田窪恭治さん。
田窪さんと言えば、フランス、パリ西北200kmあまりに位置するサン・マルタン・ド・ミュー村に10年以上を家族とともに過ごし、同地にあるサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂を、廃墟のような状態からノルマンディーの美しい光のなかにたたずむ瀟洒な姿へと再生させたことが、自著『林檎の礼拝堂』などに詳しい。
その田窪さんが生まれ育ったのが四国の瀬戸内沿岸。
そして美術の道へ進むきっかけとなったのが、金刀比羅宮の奥書院にある伊藤若冲の花の絵で埋め尽くされた一間で過ごした少年の日の経験によるという。普段一般の参拝者は立ち入れないその場所へと田窪少年を招きいれたのが琴陵容世氏。現在の金刀比羅宮の宮司さんである。この琴陵宮司さんが『西欧の神さんのことばかりではなくて、日本の神さんのことに手をかせ』と気心知れた友人の田窪さんに言ったとか、言わないとか。この経緯は、やはり田窪さんの著書『表現の現場』に記されているが、ともあれ、そうしたご縁で、田窪さんは金刀比羅宮に居をかまえ、宮内の建築修復のみならず、様々な文化財調査やその公開、さらに金刀比羅宮に限らず、広く四国、瀬戸内の文化的資源の活性化に取り組んでいる。
この田窪さんと、意気投合したのが、高階秀爾大原美術館館長。
金刀比羅宮と大原美術館は、3000年と70年の差こそあれ共に伝統を踏まえつつ、同時に率先して新たな価値を見出そうとしており、また常に同時代の一般の人々とともにあることを願う(金刀比羅宮は瀬戸内の海上交通の守り神で庶民信仰の中心地なのです)という基本姿勢は、ぴったりと同じ。それに瀬戸内海を挟んですぐ近くにいるもの同士、ぜひ仲良く、積極的に交流をいたしましょうと、話はとんとんと進んだ。
そこで、いろいろ交流の形はあるけれど、その第一弾として、所蔵作品の交換展示から、と実現したのが、このふたつの展覧会。
まず金刀比羅宮からは、所蔵の高橋由一作品全23点ではどうか?との提案があり。
そこまでしてくださるのはありがたいけれど、岡山、倉敷の美術ファンの多くはすでに金刀比羅宮でご覧になっている方も多く、また一昨年、近在のふくやま美術館でも公開されたばかりという事情があり。
そこで高階館長に相談したところ、大原所蔵の近代日本洋画を加えた構成にしようと、すぐに決定。その後、内容を煮詰めるなかで『和製油画 創造の軌跡』というコンセプトも固まったところで、高橋由一研究の先鞭をつけた高階館長に、江戸文化研究の田中優子さん(法政大学教授)にテキストを書いてもらい学術的にも意義を持たせる企画へと展開。
一方、金刀比羅宮での展示内容については、田窪さんはお悩みになった様子。
当初は、金刀比羅宮に縁のある作品を……と考えていたようですが、それがそうぴったりとあるものでもなく。そこで田窪さんが、えいや〜(と思ったかどうか?)と思い切って、アメリカの戦後美術をと思い立ったのが、後に大原謙一郎大原美術館理事長のコンセプトフォローを引き出して、大きな意味を持つことに。大原美術館としては、せっかくの良い交流の機会だから、作品保存に問題なければ、必要な作品はどれでもどうぞという大盤振る舞いの中から、出品作を田窪さんが選ばれました。
こうして出来上がった展覧会。
大原美術館では、金刀比羅宮所蔵の高橋由一全23点に、関根正二『信仰の悲しみ』、小出楢重『Nの家族』の両重要文化財をはじめ、青木繁、坂本繁二郎、萬鉄五郎、熊谷守一、岸田劉生、藤島武二など、高橋由一以降から大正を主に昭和戦前期までの作品22点をあわせた展示。
これが壮観。
会場となったのは旧倉敷紡績の倉庫を活用した、大原美術館児島虎次郎記念館。レンガ造りの壁に、日本近代のエッセンスをギュとならべたようなもので、由一をたっぷり見た後、関根に目を留め、振り返ると藤島の『耕至天』があるという豪華さ。また最近、高階館長と私のなかで、ちょっと話題になっている満谷国四郎を、このラインナップのなかに滑り込ませて、ちょっとした問題提起もこめてみました。
一方、金刀比羅宮での『ポロック以降 アメリカ現代美術』も凄い。
ジャクスン・ポロック『カット・アウト』、ジャスパー・ジョーンズ『灰色の国旗』、そして横4mを超えるサム・フランシスの大作『メキシコ』などの主要作を網羅した上、大原ではスペースの関係で一同に展示することの少ない版画作品達も一挙に公開。リキテンスタイン、ウォーホル、ラウシェンバーグ、シーガル、ロスコ、ジャッド、ステラと、綺羅星のような作家たちの全22点が、金刀比羅宮のお山に並ぶこととなったのです。
またこれらの二つの展示をあわせた合冊のカタログも作成。
大原展については先述のとおり、高階秀爾館長、田中優子さん、そして恥ずかしながら私、一方の金刀比羅宮展では大岡信さんが、いずれも書き下ろしのテキストを寄せる充実した内容が、なんと15cm四方のコンパクトサイズのかわいらしいデザインにまとめられています。(これらは現在も販売中です。
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)
さて、この交流企画が具体的な形に成ってゆくや、この交流の枠組み、そして金刀比羅宮でのアメリカ作品の展示について、当初の想定以上に、その意義の深さ、大きさを明確に語り始めたのが、大原謙一郎理事長でした。
金刀比羅宮での開会のスピーチに始まり、さらに会期中の12月27日(土)に関連事業として開催され、岡山ローカルでテレビ放映もされたシンポジウム「21世紀 の瀬戸内文化交流」でも明確な言葉となり、その他、朝日新聞など複数のメディアで活字ともなっています。
シンポジウムは、大原美術館の展示場を会場に、パネリストに池田守男(資生堂代表取締役社長)、西垣通(東京大学教授)の両ゲストに、田窪さんに大原理事長、そして高階館長が司会をつとめる、これもまた豪華なもの。
この場でなされた大原理事長の主張は、まず、日本は東京と各地方をつなぐ糸は強いが、地方の各地方同士をつなぐ糸が弱いという状況のなかでの、今回の交流の意義の強調。第2が、金刀比羅宮で展示された作品達は、ただ美術のうえでの革新を目指しただけではなく、第二次世界大戦以降も、朝鮮戦争、ベトナム戦争と続いた1950〜60年代アメリカという悩める社会の中で生み出された表現であり、それらの作品が古来から瀬戸内の人々の安全を護ってきた金刀比羅宮の山懐に抱かれていることの象徴的な意義であった。
前者は、昨年公刊された著書『倉敷からはこう見える』以来の明確な主張。日本の国には、それぞれの地域ごとに、それぞれの気候、風土に培われた豊かな文化がある。その差異を大切に認め保ち合うことで足腰の強い柔軟な国となるのに、日本の現状は経済、交通、また文化においても、東京一極集中であり、またともすれば海外から、また国内からすらも東京だけが日本のようにイメージされ、また東京を基本にした文化のあり方が全国に押し付けられようとしている。だからこそ、倉敷と金刀比羅が結び合い、もともと各々が持っていた文化的蓄積を発見しあい、活かしあうことは、これからの日本にとってひとつのモデルになるのではないかというもの。
この視点が第2の主張にもつながる。
1950〜60年代のアメリカは国家として戦争遂行へと向いていったが、一方でそれに対する激しい反戦運動もあったように、全体としてのバランスを整えようとする力が大切なものとなる。金刀比羅にならぶ作品たちは、プロパガンダ的なメッセージを発することはないが、激動するアメリカのなかで人々の日常と切り結びながら立ち上げられただけに、いわば当時のアメリカ社会の鏡のような存在ともなっている。
そうした悩み傷ついたアメリカ社会の象徴が、ゆっくりとした時のリズムを刻む穏やかな瀬戸内の守り神という、東京からの均質化に晒されていない、日本の独自の文化のひとつと出会っている姿は、もしかしたら日本が21世紀の世界に対して発信できるメッセージであり、またそれを発するための日本の身構えを示しているのではないだろうかというものである。
さて、9・11以降の世界の中で、異文化の共存は様々に語られてきた主題である。
こうした状況下において、美術、文化は、たんなる社会の余剰や安らぎの提供源ではなく、汗をかいて世界に貢献する領域であろう。とくにMUSEUMは、自らの地方、国家、民族、文化を他に対して示す場でもあろうし、他の地方、国家、民族、文化を自らの地に向けて示す場とも成ろう。こうしたとても素朴でもある作業を積み上げることは、声高なアピールを発するよりも、もしかしたら実効性も高く、そしてラジカルなことなのかもしれない。
大原美術館では、この交流展に引き続き『こんなにすごいぞ! 大原美術館』という、かなり能天気な名の下に、所蔵作品による10の企画展示を同時実施している。
そのうちのひとつが「戦争があった」。
ここでは、国吉康雄『跳び上ろうとする頭のない馬』、松本竣介『都会』、ジャン・フォートリエ『人質』、パブロ・ピカソ『頭蓋骨のある静物』、ジャスパー・ジョーンズ『灰色の国旗』、フンデルトワッサー『血の雨の中の家々』を紹介。そのいずれもが反戦抵抗などのメッセージを声高に叫ぶことはないながら、戦争という出来事を、画家達が個々の内的体験として、いかに受けとめ、向き合ったのかを考えさせてくれる作品である。
会期中、このコーナーでの滞留人員、時間とも、これまでの大原美術館の展示場では異例なほどの様相を示している。それを言葉にはし難いが、何かの強いメッセージが発信されているのだと思う。
会期と内容
●大原会場『和製油画 創造の軌跡』
会期:平成15年12月12日(金)〜平成16年2月1日(日)
●金刀比羅宮会場『ポロック以降 アメリカ現代美術』
会期:平成15年12月20日(土)〜平成16年2月6日(金)
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学芸員レポート
今年の晩秋から冬は、岡山、倉敷から見渡せるあたりで、興味深い展覧会や企画がほんとうに少なかったです。
広島市現代美術館『YES オノ・ヨーコ』展、丸亀市猪熊弦一郎美術館『マリーナ・アブラモヴィッチ ―The Star―』と注目の展覧会はあったのですが、いずれも巡回。
ふたつほど期待していた企画はあったのですが、どちらも、あまりの出来に、建設的批判も書く気になれず……。
例年、この冬場は、閑散期ということもあり(?)、現代美術を主に、それぞれの美術館ならではの単独自主企画展が開催されることが多いのですが、ほんとに今年は少ない。関西の美術館でも『具体』展が目につく程度で、美術館での現代美術展は少なかったですよね。
そうした中で、気を吐いているのが山口情報芸術センター(YCAM)の立ち上がりからの怒涛の勢い。でもあまりにあれこれありすぎて、300km離れた身には、こまめに立ち会うわけにもいかず。また大阪・アート・カレイドスコープ04「春・花・生―21世紀の芸術と生命の交差」は、企画を支える枠組みも、また実際のパフォーマンスもとても面白いものでしたが、これは関西の方が触れる機会も多いので、ここで私が取り上げることもなかろうと……。唯一、岡山で関心させられたのが備前焼の隠崎隆一さんの個展。その実力はほんとうに感服するのみ。ただ隠崎さんについては、以前こちらに書いたこと以上に、今の私には書きようもなく、手放しの礼賛を散々しても意味もないでしょうから、これも見送り。
結局またも手前味噌ながら、大原美術館の企画をご紹介させていただきます。でも、このフレームは重要でしょ?
と、今回は言い訳がましくも、これも中国地方の美術状況について触れることになるかと書き留めました。
大原美術館では、引き続き、昨秋の『有隣荘・中川幸夫・大原美術館』に際して森山大道さんが撮影したオリジナルプリントをご覧いただく『森山大道 中川幸夫を撮る』、そして1950年代パリから発信され国際的な現象となったアンフォルメルをテーマにした『パリ−日本 一九五〇年代 青春は不定形(アンフォルメル)』を開催いたします。
[やなぎさわ ひでゆき]
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