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マリーナ・アブラモヴィッチ―The Star
A TRANSATLANTIC AVANT-GARDE ANERICAN ARTISTS IN PARIS 1918-1939
パリ−日本 一九五〇年代 青春は不定形(アンフォルメル)
倉敷/大原美術館 柳沢秀行
マリーナ・アブラモヴィッチ―The Star
越後妻有アート・トリエンナーレや横浜トリエンナーレなど、近年日本でも紹介される機会が増えたマリーナ・アブラモヴィッチだが、本展は彼女の活動を知るための日本初の本格的展覧会。
開催は、長年の調査、交友の蓄積を生かし本展オーガナイザーとして開催の立役者となった南嶌宏氏の熊本市現代美術館(南嶌氏は現館長)、そして丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の2館のみであった。
私は丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の会場を見たが、猪熊弦一郎周辺作家など日本の近代回顧ものを扱うと、いささかもたつきを見せるが、近年でもヤン・ファーヴルなど、あっ!と驚く企画を見せる同館の企画展の中でもアブラモヴィッチは白眉。
この作家の存在の大きさと、それを展覧会という形にまとめ上げた関係者の尽力には頭がさがる。こんな展覧会が出来てよかった! 見られてよかった! という感じ。
アブラモヴィッチに関しては、いまさら私が書きとめることもないだろうが、1946年に旧ユーゴスラビアのベオグラードで生まれ、1960年代後半からパフォーマンスを主とした活動を展開し、今や世界的に高い評価を得る女性アーティスト。
今展では、やはりベオグラード出身で、アブラモヴィッチの活動を初期から見続けてきたキュレーターであるボヤーナ・ペイジをゲストキュレーターに迎え、カタログにはペイジによる数編のアブラモヴィッチ論を掲載。会場に備えられた充分な数のモニターによって初期以来の作品もビデオで示されているため、ペイジのテキストとあわせてアブラモヴィッチの活動をよく知ることも出来る。ただそれのみならず、共にベオグラード出身のアーティストとキュレーター、女性二人の活動が相伴して示されたことが、より深い意味をもって展覧会を特徴づけている。
カタログの図版ページの扉には、「Girls in Belgrade」と表記して、1989年にユーゴスラビアで撮影された、互いに気を張らず何気ない時を過ごすアブラモヴィッチとペイジの写真を、図版ページの最後には「Girls from Belgrade in Japan」として2002年に撮影された熊本市現代美術館での二人のスナップを掲げている。
「東欧にあってボヤーナ・ペイジとマリーナ・アブラモヴィッチがこの地域の誇りであり、彼女たちがいかに東欧の若いアーティストとキュレーターを鼓舞し、勇気づけてきた」と南嶌氏がテキストで記すように、特にこの展覧会カタログは、アブラモヴィッチの作品紹介というよりは、アブラモヴィッチとペイジの二人の存在を核にしたこれまでの「出来事」をたどるかのような視線によって構成されている。
それゆえアーティストそして作品を一方にして、同時にキュレーションや批評が担う役割、そしてそれを成す人=キュレーターの存在が立ち上がることとなる。無論それはこの展覧会の骨組みを作ったオーガナイザーのそうした役割に対する強い自負の提示でもあろう。
そのことも踏まえたうえでさらに大切なことは、アブラモヴィッチとペイジの二人それぞれの立場からの対応が示されることによって、旧ユーゴスラビア、ひいては東欧諸国が置かれた複雑な社会状況がより鮮明に示されることである。
バルカン半島は、ヨーロッパとアジアを結ぶ要所を占める地勢的な特徴もあり、古くから幾多の民族、国家の進入、再編が繰り返されて来た地域である。特に旧ソ連の崩壊によって加速された旧ユーゴ解体から近年の動向は複雑な民族紛争を伴ってなお継続中である。
アブラモヴィッチとペイジは双方とも活動拠点をいわゆる西側に移して久しいが、共にこの祖国の状況に密接に関わりを持ち続け、その状況を外部からの客観的な告発、あるいは救済を求めるかのような告発ではなく、まさにその状況の中から、その状況を体現しているような存在と言ったら良いのだろうか。
出来事としては、アブラモヴィッチが1997年のヴェネチア・ビエンナーレにユーゴスラビア代表として出展を依頼されながら、文化大臣がその作品を認めず、展覧会コミッショナーを解任しアブラモヴィッチへの出品要請を撤回するという事件が大きい。この件についてもペイジのテキスト「バルカン入門」が、アブラモヴィッチが準備した作品とユーゴ社会をめぐる関係=批評性を指摘しながら、実現のための多額の経費そして多民族性への配慮が前面的な理由として掲げられてアブラモヴィッチが退けられた経緯を詳細に伝える。このことからして複雑な政治状況が浮き彫りになるが、しかしペイジのテキストは、そうした事件的な側面からではなく、なによりベオグラードで生まれ育ち、アーティストとしての自己形成をしたアブラモヴィッチの作品について語ることを、様々な出来事そして社会状況への言及の大前提としている。
カタログに掲載された複数のテキストを通じ、ペイジは、アブラモヴィッチ作品の主たる形態であるパフォーマンスから説き起こし、それを肉体、記憶という主要なファクターを通じ、さらにより微細な設定を設けながら、実に細やかな検討を加える。同時にその作品を、彼女(達)が置かれた東欧の社会状況と常に照らし合わせてゆくが、それは単に社会と作品の因果関係を表層的になぞることではなく、大げさな言い方にはなるが、アートとは?人間とは?というその存在の根源についての深い眼差しに貫かれたものである。
もちろんそうした眼差しや問いかけがすでにアブラモヴィッチの作品のなかに満ち満ちているからこそではある。しかし、批評がその対象として作品を見据え続けながらも、その外部の客観的な位置に止まらず、作品が見据えようとするものを共に見据えようとする関係が築かれている様は、実に幸せな光景であり、かつ、社会が要求する切迫感に対する余儀なき共闘の姿勢をも感じさせる。
元来パフォーマンスは、最もマーケットに乗りづらい作品形態であるが、そのうえに彼女(達)の活動が対峙するものが、そうした根源的な問いかけであるということから、二人の存在はおのずから西欧資本主義社会諸国のアートをめぐる状況に対する批評としても機能することになろう。
だからこそ、展示、カタログ、そして所収のテキストの行間からも、深く敬愛する二人を迎えた企画を日本で開催できたというだけではなく、今のこの日本で二人の活動を紹介(突きつけることが)できた南嶌氏の充足感が伝わってくるのではないかと思う。
今展が熊本と丸亀だけで開催されたという点も、その点で大きな意味を持つ。展覧会企画の実施までは様々な偶発的な要因が重なり合うため、部外者にはその真相を知ることは無理なことだが、興行的な採算性や全国への情報露出を考えれば、東京での開催がまず検討されるべきである。ましてやアブラモヴィッチの日本初の本格的な紹介ならば。
実際、関東圏の美術関係者からは、誰に向けたとも言い難い不満として「なぜ東京で開催しない」との声も聞かれたようであるが、それはやはり言うべき相手のない愚痴だろう。
アブラモヴィッチのこれだけ規模の展観なら、わざわざ熊本へ、あるいは丸亀へという旅を通じたうえで、その現場に立ち会ってみることにこそ、深い意味が生じるのではないだろうか。アブラモヴィッチという作家は、そういう位置にいる作家だと思うし、飛行機や新幹線という選りすぐりのテクノロジーに身を委ね、せいぜい半日程度の移動とは言え、そうした身体的記憶を織り込んだ上で、立ち会ってもよい展示だと思う。
A TRANSATLANTIC AVANT-GARDE
ANERICAN ARTISTS IN PARIS 1918-1939
アメリカ3大美術館とうたわれるシカゴ美術館で同館が所蔵するスーラーの『グラン・ジャット島の日曜日の午後』制作を検証する大型の企画展開催にあたり、大原美術館から貸し出すピサロ『りんご採り』のクーリエ(作品輸送を付き添い、監督する作業[員])としてシカゴを訪ねた。その展覧会自体も実に素晴らしい出来事であったが、その時たまたま立ち入ってびっくりさせられたのが標題の展覧会。
タイトルそのままに、第1次世界大戦が終結した1918年から、ナチスドイツによる占領直前の1939年までパリに在住したアメリカ人の前衛アーティストの作品を集めた展覧会だが、何が驚いたって、その作品の瓜二つのこと。
何にって? 日本の同時代の前衛絵画に!
帰国してからちょっと経った村井正誠にそっくり!これなら東郷青児の方が早いぞ!どうして岡本太郎と色彩やタッチまで一緒なんだ!?おっと岡本太郎はこの時パリにいた(^‐^;) と興奮しつつ会場をめぐり、日本人画家の渡仏歴と頭の中にある作品達の制作年を思い出そうと混乱の極み。大半の作品が日本人作家のキャプションを付けてもOKなほど、よく似た物同士なのです。
私自身、すでに10年以上前になる「日本の抽象絵画 1910-1945」展(1992 美術館連絡協議会、読売新聞主催)に開催館担当者として立会った時から見続けた作品たちが、そっくりそのまま、そこにある感じ。
1994年には「1920年代 パリの日本人画家」(岡山県立美術館)と題して日本人画家のパリ滞在がもたらした近代美術への影響を点検する展覧会を実施したのですが、その時は視野に無かったパリには赴かなかった画家たちが、1930年代以降も、よもや日本にいてここまでパリの流行を把握していたとは!
近年邦文でも今橋映子氏の『異都憧憬 日本のパリ』(1993 柏書房)以来の一連の論考で、パリで活動するアメリカ人画家の存在もクローズアップされ、また村田宏氏の『トランスアトランティック・モダン 大西洋を横断する美術』(2002 みすず書房)ではパリとアメリカの前衛美術家達の交流が詳細に検討されたが、やはりこうして作品達に並ばれると言葉もない。
福沢一郎や古賀春江の作品のイメージソースをパリのシュルレアリストの中に探し出す地道な研究もなされているが、アメリカの兄弟達?が顔を揃えるこの展覧会を見ていると、福沢や古賀のみならず、パリに元ネタを抱えた作家、作品の数はいったいどれほどかと途方にくれる。
けれども1920−30年代にパリが生み出した表現達のインターナショナルな性格の把握、そしてそれに結び付こうとした日本の前衛たちの意識を、他国の画家を含めて検証し直す大きな宿題は、はっきりと目の前に。こりゃ、とても1人でやれることではなさそうだが、でもこの宿題は、西欧社会に対する東欧の存在、西欧に対するアジアという、それに続く第二次大戦後、さらには今日的な問題を考えるための踏まえておかねばならいのは明白。
インターナショナルなのかムコクセキなのか。西欧スタンダードの表現と制度に対する自らの立ち位置を見定めておくことは難しい。
パリ−日本 一九五〇年代 青春は不定形(アンフォルメル)
ここまで来たら、西欧スタンダードと周辺絡みでもうひとつ。
高階館長就任以来、大原美術館が取り組む課題の一つがコレクションの各論。それもその質的な見直しや定位のみならず、日本近現代美術史におけるコレクション形成の意義を視野に入れたもの。
これまで所蔵作品群のなかから、「棟方志功」展、「和製油画 創造の軌跡」展での明治〜昭和戦前期の日本近代洋画、「ポロック以降・アメリカ現代美術」展でのアメリカ戦後美術と、立て続けに展覧会を開催してきた。
それに続くのが、1950年代のパリにおけるアンフォルメル運動とその日本への関わりを31点の所蔵品で構成した標記の展覧会。
アンフォルメルは「非定形」「不定形」を表すフランス語だが、「非定形」「不定形」とするよりも、既存の「型破り」やら「形式無視」と捉えたほうがわかりやすい様々なスタイルを包括しながら、第二次大戦後フランスのみならずヨーロッパ、アメリカ、さらに日本という国際的な広がりを見せた美術運動。
「様々なスタイルを包括」だから、本場フランスでも、その先駆者とみなされるフォートリエ、孤高で伝説的なアーティストのヴォルス、日本でも知名度の高いマチウやリオペール、その他にもデュビュッフェ、アペル、タピエス、アルトゥング、スーラージュなど多彩な作家が関わりを持つが、大原美術館では、これらの作家の当該時期作品をひととおり収蔵している。さらに、その「国際的な広がり」に欠かせないサム・フランシス、またフォンタナなども所蔵するから、簡略な見取り図を所蔵作品だけで描くことができる。
こうした状況が生まれたのは、大原總一郎と今井俊満の交友ゆえのこと。
今井は、堂本尚郎とともにパリにあってアンフォルメル運動の推進者の1人として名高いが、大原美術館では早くも1957年にその作品を購入。さらに總一郎が1958年に渡仏した際から親しい交友を持ち、遡って今井がいわゆるアンフォルメルスタイルに移行する以前の作品なども収蔵したり、また1950年代後半以降に日本でも志水楠男の南画廊などで紹介され始めた外国人作家の作品を収蔵したりすることとなる。
むろん、アンフォルメルショックとまで言われたこの美術運動の日本での興隆には他の諸要因もあろうが、まだ日本全国を見渡しても近現代美術を収蔵する館すらなかったような状況下で、大原美術館がまだ評価定まらぬ革新的な作家たちを収蔵、公開した影響は少なからぬものであったろうし、志水のような画商の活動を支えたことだけでもその貢献は大きい。
そして今回このテーマ展を開催した理由がもうひとつある。
第二次大戦終結後まだ海外渡航が極めて困難な状況であった1950年代において限られた知的エリートがパリへと渡ることとなる。
その1人が大原美術館の高階秀爾館長。そして高階館長とは小学校以来の竹馬の友でもある芳賀徹氏(京都造形芸術大学学長)。この二人こそが、パリにあって今井、堂本と親しく交友し、パリでのアンフォルメル運動の一部始終に当事者的に立会い、またこの運動の日本への紹介に多大な貢献を成すこととなる。
そこでこの1950年代パリは、お二人の青春でもあるとの認識から、標記のようなひねったのか、ふざけたのか分からない展覧会タイトルになったわけだが、展覧会カタログには、お二人に当時の様子を伝えるテキストを寄せていただき、さらに会期中には「君と僕の青春」と銘打った公開対談まで実施した。
側近くにいる者からすれば、高階館長のアンフォルメルに対する反応の熱さをどうして?と思いつつ、ある日ハタと気が付いて一気に形になった展覧会だが、公開対談では会場から堂本尚郎さんも飛び入り参加するなど、第二次大戦後の日仏美術交渉史の当事者達から、貴重な証言を残せた収穫の多いものであった。
展覧会カタログは販売中。対談も年内に全て活字化して発売予定だが、アブラモヴィッチの存在や1920−30年代アメリカを鏡にした日仏美術交渉が深い思考を必要とする問題を投げかけるのに対して、こちらの1950−60年代の前衛美術家と知的エリート達の交友や日仏美術交流は、まずはそれ以前にまだ多くのドキュメント作成のためにエネルギーを費やさなくてはいけない局面にある。
会期と内容
●マリーナ・アブラモヴィッチ―The Star
会期:2003年11月28日(土)〜2004年2月1日(日)
会場:熊本市現代美術館 熊本市上通町2番3号
URL:
http://www.camk.or.jp/
Tel. 096-278-7500
会期:2004年3月20日(土)〜5月30日(日)
会場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 香川県丸亀市浜町80-1
URL:
http://web.infoweb.ne.jp/MIMOCA/
Tel. 0877-24-7755
●A TRANSATLANTIC AVANT-GARDE
ANERICAN ARTISTS IN PARIS 1918-1939
会期:200年4月17日(土)〜6月27日(日)
会場:シカゴ テラ美術館(CICAG0 Terra Museum of American Art)
URL:
http://www.terramuseum.org/
●パリ−日本 一九五〇年代 青春は不定形(アンフォルメル)
会期:2004年4月9日(金)〜5月30日(日)
会場:大原美術館 倉敷市中央1-1-15
URL:
http://www.ohara.or.jp/
Tel. 086-422-0005
●
学芸員レポート
昨年秋、大原美術館有隣荘で開催した「有隣荘・中川幸夫・大原美術館」の記録集が完成、販売されました。
会場の展示風景は瀬戸正人さん、そして中川先生が花を活けこむ姿は森山大道さんが撮影。森山さんのカラー写真もあります。ですので出来栄えはお勧めものです。テキストは高階秀爾館長(中川先生といつの間にやらすっかり認め合う中に……)、大原謙一郎理事長、そして私。
下記大原美術館HPから通信販売も可能です。「パリ−日本 一九五〇年代 青春は不定形(アンフォルメル)」カタログもこちらからどうぞ。
http://www.ohara.or.jp/goods/goods.html
倉敷の大原美術館周辺では、8月6日(金)、7日(土)と「くらしき花七夕祭」が開催されます。
これは昨年から始まったもので、大原美術館での個展を契機に、眞板雅文さんが倉敷川沿いの美しい景観を独自の七夕飾りでさらに引き立てた上、みんなで浴衣でそぞろ歩いたり、あちこちでお能や和太鼓の演奏が行われるというもの。
大原美術館はその二日間、夜9時まで本館夜間開館&ライトアップ。夜間開館時の料金はご覧になったお客様から納得しただけ料金をいただくご随意制。また旧大原家別邸有隣荘では「金刀比羅宮 平成の大遷座祭記念 こんぴらさんのたからもの」と題して、金刀比羅宮所蔵の江戸期の絵画などを展示いたします。倉敷は、静かに自らを楽しんでおります。よろしかったらご一緒に。
[やなぎさわ ひでゆき]
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