2019年06月15日号
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「アニメーション三人の会」

“Animation Sannin no Kai”

1960年代に草月アートセンターを中心に活動した日本のインディペンデント・アニメーションを代表するグループ。60年の日本教育テレビ(現テレビ朝日)の番組「半常識の眼」でのアニメーション制作をきっかけに久里洋二、柳原良平、真鍋博の三人によって結成され、草月会館にて同年11月に初めての上映会を行なった。柳原の「アンクルトリス」のCMを除きそれまで本格的なアニメーション制作の経験のなかった三人は、当時主流だったディズニーが代表するような大規模分業の製作体制による自然主義的な描画のアニメーションではなく、UPA(ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ)のリミテッド・アニメーションやノーマン・マクラレンの作品、もしくはソール・バスによる映画のタイトルデザインなどに影響を受け、制作資金は持ち出しの個人制作でアニメーション作品を完成させた。「三人の会」の活動は、当時まだ耳慣れぬものであった「アニメーション」という言葉自体の定着にも大きな役割を果たした。草月会館という場所での活動から他分野の前衛芸術家とのつながりも深く、例えば久里作品には武満徹やオノ・ヨーコなどが参加している。「三人の会」上映会は60年、61年、63年の3回行なわれたが、64年からは一般公募と海外からの招待作品も含めて上映する「アニメーション・フェスティバル」へと発展し(-1966)、三人の会の活動自体は自然消滅することになる。「三人の会」の活動は、日本の自主制作アニメーション界全体の活性化と次代を担う人材の育成につながったほか、「アニメーション・フェスティバル」を通じて、横尾忠則や宇野亜喜良など他の分野で活躍していた芸術家がアニメーション制作を行なうきっかけにもなった。虫プロダクションを設立したばかりの手塚治虫も実験的な短編を制作し、提供している。

著者: 土居伸彰

参考文献

  • 『輝け60年代 草月アートセンターの全記録』, フィルムアート社, 2002

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