2019年06月01日号
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アテネ憲章

The Athens Charter

1920年代、ル・コルビュジエは、都心に高層ビルを建設することでオープン・スペースを確保し、歩車分離された街路を巡らせる都市計画案を次々に発表する。なかでも「輝く都市」は、30年にブリュッセルで行なわれた第3回CIAM会議で発表され、後のCIAMの都市計画の考え方に大きな影響を与えることになる。実際に、33年にマルセイユからアテネへ向かう船の中で行なわれた第4回CIAM会議の内容が、アテネ憲章としてまとめられることになるが、それはル・コルビュジエの「300万人の現代都市」や「ヴォアザン計画」「輝く都市」などの一連の都市計画構想の内容が盛り込まれたものであった。これはル・コルビュジエの都市計画理念である「機能的な都市」に基づくものであり、都市は「太陽・緑・空間」を持つべきであるとし、都市の機能は「住居」「労働」「余暇」「交通」にあり、これらの機能の明確な分離が目指されている。アテネ憲章はその後、第二次世界大戦後の世界中の都市計画に多大なる影響を与えることになるが、50年代にはCIAM内部でも批判が起こり、その後もさまざまな立場から、特にその機能主義に対する批判が多く行なわれている。日本においても、「住居」と「労働」の分離がスプロールした郊外を生み出す一因となるなど、アテネ憲章の影響と弊害が至るところで見られる。

著者: 有山宙

参考文献

  • 『アテネ憲章』(SD選書102), ル・コルビュジェ(吉阪隆正訳), 鹿島出版会, 1976
  • 『建築雑誌』1974年10月号, 「『アテネ憲章』とCIAM」, 川添登, 日本建築学会
  • 『建築雑誌』1999年6月号, 「『アテネ憲章』成立過程の再考」, 矢代真己, 日本建築学会
  • 『建築家の人生と役割』, 吉阪隆正, 勁草書房, 1985

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