2019年09月01日号
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ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティヴ/日本アンダーグラウンド・センター/アンダーグラウンド・センター

Japan Filmmaker's Cooperative/Japan Underground Center/Underground Center

ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティヴは1968年3月に設立された、個人映画、アンダーグラウンド映画の配給を行なう組織である。アメリカのフィルムメーカーズ・コーポラティヴの運営システムをモデルとして、作家による自主上映と配給を行なう組織の実現を目指して設立された。個人の作家ならどのような作品でも一切の審査なく登録することができ、登録料も発生しない。運営は作家の持ち回りで行なわれる。登録された作品は全国のシネクラブや大学に貸し出され、レンタル料金の75%を作家に還元し、25%を運営費に充てた。このようなシステムのもと、32名/70本の作品が集められてコーポはスタートする。並行して営利部門として日本アンダーグラウンド・センターが設立され、これらの事務所は佐藤重臣が当時編集長を務めていた、雑誌『映画評論』の編集部内に置かれた。当初は理想主義的なモデルを掲げたコーポであったが、69年に草月の「フィルム・アート・フェスティバル東京1969」中止事件の直前に、コーポとしてボイコットに賛成するべきか否かで内部の意見が対立し、金坂健二と佐藤のあいだでトラブルが起きたことで、佐藤とかわなかのぶひろが脱退する。そして佐藤とかわなかは、日本アンダーグラウンド・センターとして作品の配給と上映活動を行なうことになる。コーポ分裂以前から、アンダーグラウンド映画の熱気が弱まっていく風潮のなかで、「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポ・シネマテーク」としての上映活動は会場を転々としながらも続けられていた。この上映活動は、コーポ分裂以後は日本アンダーグラウンド・センターによる「ジャパン・アンダーグラウンド・シネマテーク」として継続された。やがて71年に佐藤とかわなかは方針の違いから袂を分かち、日本アンダーグラウンド・センターは一旦解散となる。そして、かわなか、富山加津江、中島崇は、アンダーグラウンド・センターを71年8月に設立し、上映活動も「アンダーグラウンド・シネマテーク」として72年3月に再開された。再開後は、天井桟敷館が上映拠点となる。

著者: 阪本裕文

参考文献

  • 『映像の実験』, イメージフォーラム編, イメージフォーラム, 1978
  • 「日本実験映像40年史」展カタログ, イメージフォーラム編, キリンプラザ大阪, 1994

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