2019年11月01日号
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文展・帝展

Bun-ten, Tei-ten

明治末期から昭和戦前期にかけて存在した官設公募美術展。フランスで毎年開催されたサロンに倣って生まれたもので、1907年に文部省美術展覧会(通称・文展)として始まった。19年に文部省管轄下の帝国美術院展覧会(帝展)に改まった。文展の設立には、先行して活動していた白馬会など、諸美術団体を国家主導のもとに統合する意図があった。文展発足時には日本画、西洋画、彫刻の三部門からなり、27年に美術工芸部門が新設されるまで工芸が排除されていた。35年には文部大臣松田源治が、在野の諸美術団体から有力画家を帝展審査員に加え、美術の国家統制を強化しようとして多くの紛糾を招く事態にもなった(松田改組と呼ばれる)。37年には帝展から文部省が主催する展覧会(新文展)となり、40年の紀元二千六百年奉祝展を挟み、44年には戦時特別文展が開催された。戦後、45年の秋には開催されなかったが、46年に日本美術展覧会(日展)として再出発し、現在に至る。文展・帝展のあり方は、つねに美術の制度への問いかけに晒されていた。結果的には、文展・帝展は、戦前までの日本において最も注目を集める美術展として、美術の大衆への普及に大きな役割を果たした。また一方で、そうした権威の存在は、14年に結成された二科会をはじめとする、反文展・反帝展を掲げた在野の諸美術団体やさまざまな美術運動が生まれる契機になったといえる。

著者: 足立元

参考文献

  • 『日展史 1〜41』, , , 日展, 1980-2002

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