2019年11月15日号
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満州国美術展覧会(満展)

Manshu-koku Bijutsu Tenrankai(Manten)

満州国(1932-45)の官設公募展。1937年に訪日宣昭美術展(満州国皇帝溥儀が35年に訪日し、帰国後に満州国の基本的なあり方を示した詔書を発布したことを記念する展覧会)が新京(現長春)で開催されたのを受け、その後38年から45年まで、全8回の満州国美術展覧会が開催された。ただし、最後の第8回展は、絵画部門の会場設営を終えていたが、直前にソ連軍の侵攻があり、混乱のなかで一般公開の前に中断されたといわれる。展覧会の出品区分は、第一部に東洋画、第二部に西洋画、第三部に彫刻、第四部に法書(書)という構成であった。工芸は含まれなかった。五族共和という理念を実現するものとして、日本人以外の出品者を増やすためのさまざまな手立てが取られたが、法書部の設立は中国人を懐柔するためのものであった。展覧会の内容は、必ずしも質が高いとはいえず、加えて審査側がシュルレアリスム風の過激な作品を制限していた可能性が指摘されている。そして展覧会全体が、傀儡国家ゆえの全体主義的な空気に満ちていたことは想像に難くない。とはいえ、この展覧会は、過酷な引き揚げなど敗戦の混乱による基礎資料の欠落、中国側が「偽満州国」としてその歴史的検証を進めていないことなどが原因で、不明な部分が多く残されている。満展に出品された絵画は現存せず、不鮮明なモノクロ図版などの資料を頼りに再構成していくしかないが、かつて存在した幻の満州美術を実証的な推理と想像力によって浮かび上がらせるという研究は、日本近代美術史研究の未踏のフロンティアとして注目を集めている。

著者: 足立元

参考文献

  • 『満州国美術年表』, , 飯野正仁, 私家版, 1998
  • 『近代画説』16号, 「満州国美術展覧会研究」, 崔在爀, , 2007
  • 『昭和期美術展覧会の研究』, , 東京文化財研究所編, 中央公論美術出版社, 2008

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