2019年08月01日号
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関東大震災

1923 Great Kantō Earthquake

関東大震災は1923(大正12)年9月1日(土)11時58分、神奈川県相模湾北西沖80キロメートルを震源として発生したマグニチュード7.9の大地震とその災害。近代日本で最も多くの犠牲者を伴った震災であり、行方不明者4万3,476名、死者9万9,331名、全壊焼失家屋44万7,128戸、半壊家屋12万6,233戸、流失家屋868戸に及ぶ。被害の大部分が首都圏であったため、早急な復興計画が必要とされた。内務大臣であった後藤新平は、全羅災地の買収、区画整理、公共施設の整備を含む総事業費40億円の壮大な構想を打ち出す。この復興計画は、当時の経済状況もあり、11月の帝都復興審議会で批判され、総額7億円の事業規模に縮小されたが、後の東京都市の骨格などに影響を与えた。帝都復興院建築局長に就任した佐野利器も117校の復興小学校の設計を建築局主導で推進するなど帝都復興に尽くした。関東大震災では、地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、火災による死傷者が多くを占め、耐震・耐火性能に優れる鉄筋コンクリート造の普及を促した。RC造のアパートの発展、日本独自に発達したSRC造などは関東大震災が契機となっている。法規においても、関東大震災後の24年、市街地建築物法の改正によって耐震基準が規定された。関東大震災は、各地に大きな災害をもたらしたが、建築技術の向上や関連法規の整備を促した。

著者: 森下涼(大阪市立大学倉方研究室)

参考文献

  • 『東京・関東大震災前後』, 原田勝正、塩崎文雄, 日本経済評論社, 1997
  • 『新建築学大系5』, 鈴木博之、山口廣, 彰国社, 1993
  • 『関東大震災』, 中島陽一郎, 雄三閣出版, 1982

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