今日は、東京で展覧会調査。
昨夏の、当館での展覧会「ひびのこづえの品品ーたしひきのあんばい」でお世話になったひびのこづえさん。
こづえさんの展覧会が六本木のMITATEであったので行ってきた。
使用済みの衣装を流用して、こづえさんがコラージュしてリメイクしたワンピースがとてもかわいくて購買欲をそそられたが、10万を超えるその値に断念。。。
TAKE NINAGAWAで開催中の大竹伸朗展を見に行く。
新作のコラージュに、春にニューヨークのNew Museumで見たUnmonumental展を思い出し、
まだ欧米では認知度が低い大竹さんが、期せずしてアメリカの現代美術のひとつの動向とシンクロしているのではという印象を受ける。
オフィス内に展示されていた大竹さんの過去の作品にとくにパワーを感じた。
国立近代美術館での「建築がうまれるときーペーター・メルクリと青木淳」を調査。
天井からつられた浮いた台のうえにマケットが載せられて、床ともうひとつ、空間内にレベル(水平地)がつくられたような展示方法がおもしろい。
青木さんのひとつの案件に対する試行錯誤の思考のながれがていねいになぞられた内容で興味深かった。
ただ、自分が建築の縮小されたマケットを読み取り、頭のなかで1:1大へ拡大して想像をふくらませる作業になれていないため、途中からはマケットよりもむしろ青木さんのテキストを楽しむ。
音声ガイドなしで展覧会を見た1巡目。
音声ガイドつきで見た2巡目。
建築マケットや図面の鑑賞に慣れていない自分にとっては、音声ガイドが展覧会のおもしろさを倍増させ、コルビュジエの特徴やこだわりなどをよりよく体感するのに役立った。
とくに美術でない領域の展覧会を構成する際に、音声ガイドの有用性の高さを実感した。
となると。。。美術になれていない鑑賞者にとっては美術展でも音声ガイドがあった方がよいのか、と自問。
美術については、たとえばトーカーが来場者といっしょに展覧会をまわりながら対話して楽しむという鑑賞は作品が多角的に見れて有意義だ。
でも、音声ガイドとなると対話ではなくて「情報を与える」という一方向性の機能に集約しがち。そこにすこしひっかかりを感じる。
すでに「歴史」になり、立場が確立した作家の展覧会には、情報提供という機能は有用だけれど、現代美術の、とくに「これから」の作家に対しては、見る人が自
由に楽しめるのがいちばんと思う。そういう意味では、現代美術に限っていえば音声ガイドは「必須」ツールではないかな、というのが現時点での答え。
そういえば、昨夏の「ひびのこづえの品品ーたしひきのあんばい」展で、当館ではじめての音声ガイドを私が担当として制作した。
建築ではもちろんないが、美術という領域にはすっぽり入らない、こづえさんの活動のなかでも新境地だった、メーカーとの協同制作に焦点をあてた展覧会。
ここでは、こづえさんの独特の企業との協同のとりかたなどがかいま見れるような、音声ガイドを脚本。原案者であるこづえさんの声、それを商品におとしこむメーカー側担当者の声を紹介した。