大学はいま、学期末です。
先週と今週は期末試験でした。2008年度後期は、1年生から受講できる概論の内容を大きく変更しました。これまで、時代順に西欧美術史を紹介したり、美術史研究の方法論の変遷を解説していたものを、毎回1都市を取り上げて、代表的な美術館のコレクション10点を紹介するという方式に変えたのです。
ローマから始めて、ヨーロッパを反時計回りにめぐるという筋立てで、フィレンツェ、ミラノ、チューリッヒ、ウィーン、ベルリン、パリ、ロンドン、マドリードの美術館を紹介しました。パリとロンドンは、ルーヴル美術館やオルセー美術館、ナショナル・ギャラリーやテート・ブリテン/モダンがあるので、2週連続で取り上げました。
初期ルネサンスからバロックまでの美術を1都市で紹介したり、中盤にゴシックや初期フランドル派を紹介するなど、時代の幅は集中したり、前後することになりますが、繰り返し登場することで、学生の記憶の強化につながったと思います。終盤のロンドンで紹介したウッチェロの《サン・ロマーノの戦い》は、ナショナル・ギャラリーのほかに、ルーヴルとウフィッツィに1点ずつ所蔵される3部作である、ということは、すでに他の美術館について紹介済みだったので、学生にとって具体的にイメージし易かったと思います。
ロンドンを紹介するにあたって、桜井武さんの『ロンドンの美術館』(平凡社新書)を読みました。
ホルバインの《大使たち》とホックニーの《クラーク夫妻とパーシー》はもともと取り上げる予定でしたが、両作品をイギリス美術史におけるダブル・ポートレートの系譜としてつなげてあった記述には、思わず膝を打ちました(29頁)。ファン・エイクの《アルノルフィニ夫妻の肖像》も、この系譜との関連で考えてみたい作品です。
ダブル・ポートレートは、西洋美術の研究書では「二重肖像画」と訳されています。
他方、平凡社の『日本美術史事典』で肖像画の項を見ると、夫婦や友人を組み合わせた絵を「二人肖像画」と称しています。写楽の役者絵の解説にも「二人大首絵」という言葉が見られますから(『原色浮世絵大百科事典』8巻、23頁)、日本語では「二重」よりも「二人」の方がしっくりくるのだと思います。
実際、友人の日本美術史研究者に、この件で相談してみたときも「左甚五郎だけど画家の自画像」みたいな1人で2人分、という意味で二重なのかと思った、と言われました。
私は、当初「ダブル」を「双」や「両」に置き換えて日本語化できないか、と思案していたのですが、いまだにうまい訳語に行き当たりません。そんな流れで、第1回目に書いた「史記を読みなさい」というアドバイスを頂いたのでした。
「読書」は、レ点をつければ「書を読む」となります。これが、漢語センスのある明治期の学者たちが造った訳語だ、という話を聞きました。これに対して、国際美術展(International Art Exhibition)や多文化主義(Multiculturalism)のような訳語は、欧米語に対応する漢字を機械的に積み上げただけで、「センスが感じられない」日本語だと言えます。
最近、高階絵里加さんが訳された『シャガール』(岩波書店)で、ポンピドゥー所蔵のシャガールとベラの肖像画が「2人の肖像画」と訳されているのを見つけました(122頁)。
あえて漢字を積み上げて1語にしないのも、手かも知れません。
山口大学吉田キャンパス正門 2009年2月5日12時21分(曇り)
先週と今週は期末試験でした。2008年度後期は、1年生から受講できる概論の内容を大きく変更しました。これまで、時代順に西欧美術史を紹介したり、美術史研究の方法論の変遷を解説していたものを、毎回1都市を取り上げて、代表的な美術館のコレクション10点を紹介するという方式に変えたのです。
ローマから始めて、ヨーロッパを反時計回りにめぐるという筋立てで、フィレンツェ、ミラノ、チューリッヒ、ウィーン、ベルリン、パリ、ロンドン、マドリードの美術館を紹介しました。パリとロンドンは、ルーヴル美術館やオルセー美術館、ナショナル・ギャラリーやテート・ブリテン/モダンがあるので、2週連続で取り上げました。
初期ルネサンスからバロックまでの美術を1都市で紹介したり、中盤にゴシックや初期フランドル派を紹介するなど、時代の幅は集中したり、前後することになりますが、繰り返し登場することで、学生の記憶の強化につながったと思います。終盤のロンドンで紹介したウッチェロの《サン・ロマーノの戦い》は、ナショナル・ギャラリーのほかに、ルーヴルとウフィッツィに1点ずつ所蔵される3部作である、ということは、すでに他の美術館について紹介済みだったので、学生にとって具体的にイメージし易かったと思います。
ロンドンを紹介するにあたって、桜井武さんの『ロンドンの美術館』(平凡社新書)を読みました。
ホルバインの《大使たち》とホックニーの《クラーク夫妻とパーシー》はもともと取り上げる予定でしたが、両作品をイギリス美術史におけるダブル・ポートレートの系譜としてつなげてあった記述には、思わず膝を打ちました(29頁)。ファン・エイクの《アルノルフィニ夫妻の肖像》も、この系譜との関連で考えてみたい作品です。
ダブル・ポートレートは、西洋美術の研究書では「二重肖像画」と訳されています。
他方、平凡社の『日本美術史事典』で肖像画の項を見ると、夫婦や友人を組み合わせた絵を「二人肖像画」と称しています。写楽の役者絵の解説にも「二人大首絵」という言葉が見られますから(『原色浮世絵大百科事典』8巻、23頁)、日本語では「二重」よりも「二人」の方がしっくりくるのだと思います。
実際、友人の日本美術史研究者に、この件で相談してみたときも「左甚五郎だけど画家の自画像」みたいな1人で2人分、という意味で二重なのかと思った、と言われました。
私は、当初「ダブル」を「双」や「両」に置き換えて日本語化できないか、と思案していたのですが、いまだにうまい訳語に行き当たりません。そんな流れで、第1回目に書いた「史記を読みなさい」というアドバイスを頂いたのでした。
「読書」は、レ点をつければ「書を読む」となります。これが、漢語センスのある明治期の学者たちが造った訳語だ、という話を聞きました。これに対して、国際美術展(International Art Exhibition)や多文化主義(Multiculturalism)のような訳語は、欧米語に対応する漢字を機械的に積み上げただけで、「センスが感じられない」日本語だと言えます。
最近、高階絵里加さんが訳された『シャガール』(岩波書店)で、ポンピドゥー所蔵のシャガールとベラの肖像画が「2人の肖像画」と訳されているのを見つけました(122頁)。
あえて漢字を積み上げて1語にしないのも、手かも知れません。
山口大学吉田キャンパス正門 2009年2月5日12時21分(曇り)