国際美術展・回想(2)

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1993年のヴェネツィア旅行の続きです。

ヴェネツィアへの旅は、海外調査としては3度目で、91年6月のニューヨーク、フィラデルフィア、92年3-4月のヨーロッパ周遊に次ぐものでした。卒論のテーマがマルセル・デュシャンだったので、ニューヨーク近代美術館とフィラデルフィア美術館のデュシャン作品を実見し、修士に進学した年に1カ月近くかけて、ロンドン、ブリュッセル、アムステルダム、パリ、ベルリン、ケルン、ミュンヘン、ウィーン、ミラノ、マドリードの主要美術館と現代美術を扱っている画廊を中心に見て回りました(第2回目に紹介した概論の講義は、このときの旅をもとにしています)。

とにかく見に行くことを主目的としていた最初の旅行では、写真にお金かけるという意識がまるでなく、「写ルンです」を持って行きました。2度目と3度目の旅行には、さすがにズームレンズを付けたペンタックスの一眼レフを持って行きましたが、まだネガフィルムに日付入りで撮っています。ポジフィルムを持って行くようになったのは95年の第46回展です。ヴェネツィア・ビエンナーレ100周年の記念すべき回、ということで、再び出掛けたのでした。このとき、中古で買ったオリンパスのOM-IIに、やはり中古の40mm/f2レンズ(ズームレンズより明るい)を付けて、デイライト用とタングステン用の2種類のポジフィルムを準備し、合計1,757枚の作品写真を撮影しました。

93年のヴェネツィア旅行で使用したフィルムが10本。それに対して95年に使用したフィルムは51本に増えました。

なぜ、そんなにたくさんの作品写真を撮ったのか。前回の記事を書いたあと、ずっと忘れていたことを思い出しました。当時、「ヴァーチャル・ミュージアム」という言葉が注目を集め始めていて、私はほとんど、その考えに熱狂していたのでした。100周年のヴェネツィア・ビエンナーレの展示を再構成できるくらいの写真を撮ろうと、展示室ごとにさまざまな角度から撮り続けていくうち、帰りの荷物が肩に食い込むほどの本数に達していました。

2009年の現在、いくつかの美術館のサイトにヴァーチャル・ギャラリーのメニューがありますが、あれから15年の歳月が流れたことを考えれば、この領域はほとんど進歩していない、という気がします。かつての静止画1枚を表示させるのにもイライラするほど時間がかかった時代から、今や高精細な動画をストレスなく楽しめる時代へと、インターネット上のデータ転送速度は大きく向上しました。他方、3D空間を自在に散策して美術作品をBGM付きで鑑賞したり、よその国からアクセスしている人と同じ作品をめぐってリアルタイムで意見交換したり、というニーズは開拓されず、むしろ美術作品こそヴァーチャルでない本物との対面が必要だ、という考えが広く浸透し、さらにはオーディオガイドの普及によって鑑賞体験は一層個人化したように感じます。

ある種の美術作品は永遠の存在でも、展覧会自体は、会期が終了すれば消滅してしまう時限的な存在です。また設営美術、設置美術―適訳がありませんが要するにインスタレーション―のような形態をとる現代作品の多くが、場の特性(=サイトスペシフィシティ)を作品の要素として含み込んでいるため、発表の機会が違えば、それらはすべて「異なる」作品である、という理解も成り立つ状況が出現しています。

現代美術を考察するための基礎的な作業として、展覧会を再構成できる枚数の写真撮影が必要だ、という考えは私の中で強くなる一方です。

19950618blog.jpg崔在銀の作品で外観を一新した日本館 1995年6月18日13時頃(晴れ)




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