ドローイング・セミナー in ソウル

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しばらく更新ができず失礼しました。昨日韓国から戻ってきました。今回は、前回触れたセミナーについて書きます。今回の滞在では、セミナーを行っただけでなく、主要な現代美術の美術館やギャラリーにも行きましたし、美術関係者ともお会いしましたが、それは稿を改めたいと思います。

3月7日、ソウルのオリンピック公園内にあるSOMA美術館で「エモーショナル・ドローイング」展に関連したセミナーを行いました。ヤン・ジョンム先生(韓国芸術綜合学校美術学部准教授)と私がそれぞれ韓国と日本のドローイングについてレクチャーをした後、キム・ヨンチョル先生の司会でディスカッションを行いました。聴衆は、美術に関心をもっている学生を中心に、おそらく100名以上が集まり、立ち見も出るほど盛況でした。

ヤン先生は韓国でドローイングに関する展覧会が近年増えていることを指摘しつつ、韓国の近現代美術史におけるドローイングの重要性についてお話しになりました。私は、絵画や彫刻の下絵や習作とされてきたドローイングが1960年代以降、どのようにして自立的な価値を持つようになったのかをアメリカやヨーロッパの事例を中心にお話しした後、第二次世界大戦後の日本におけるドローイングの展開について説明しました。

日本の「デッサン」という言葉は、東京美術学校に西洋画科が新設された頃から使われ始めたと推定されています(ただしデッサン教育自体は工部美術学校の頃から行われています)。その「デッサン」という言葉が指し示してきた領域の中に「ドローイング」という言葉が登場して普及し始めたのは1970年代です。そのような言語的な変化を促したのは、フランスからアメリカへと美術の中心が移ったという地政学的な問題に加えて、1960年代のアメリカにおけるドローイングの位置づけの変化によるところが大きいように思います。

今回のレクチャーは、聴衆のことも考えて一般的な話を中心にしましたが、今後はもう少しテーマを絞って、研究を進めていければと思いました。日本におけるデッサン教育については先行研究もあるかと思いますが、フーコー的な視点を入れて言説の編制について詳しく追っていきたいですし、アメリカの60年代の動向と、90年代以降のドローイングに対する関心の高まりはどのように関係しているかについても考えていければと思いました。

日本とアメリカ以外でレクチャーをするのは初めてでしたので、当初は少し不安も感じましたが、ヤン先生やキム先生と事前に話しているうちに、美術史的な理解を共有していることが分かってきて、不安も解消されていきました。さらに、ヤン・ミソンさんのすばらしい通訳のおかげで何の不自由を感じることもなく、無事に終えることができました。最後になりますが、この企画をして下さった国際交流基金とSOMA美術館の方々にこの場をお借りしてお礼を申し上げたく思います。

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ソウルオリンピック公園内にあるSOMA美術館の正面入口。2009年3月7日12時頃(晴れ)

ブロガー

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