国際美術展・回想(1)

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年度末ということもあって、昨秋訪れたマニフェスタ7の調査報告書を作成しています。並行して、明日〆切の雑誌原稿も書いていますが、これも国際美術展の特集号への寄稿なので、要するに今、頭の中は国際美術展のことでいっぱいです。

国際美術展に関心を持つようになったきっかけは、修論のテーマにニュー・ペインティングを選んだことから、美術雑誌のヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタの記事をコピーしたり、まとめ直したり、といったこともやっていたのですが、より強い動機づけになったのは、1992年9月にワタリウム美術館で開催されたドクメンタIXのスライド・レクチャーでした。

国際美術展のスライド報告会は、現在、頻繁に開催されています。東京に限らず、山口や九州でもそうした機会はありますし、また日本以外でも同じような状況ではないかと思います。スクリーンに大写しにされた写真やヴィデオ映像とともに会場を見た感想が語られる報告会は、雑誌の記事を読むより格段に臨場感があります。

しかし、それだけではありません。そもそも2009年の現在と1992年当時では、現代美術をめぐる国内の環境が大きく違っていました。作品の先鋭さと展覧会の規模、そしてキュレーター、ヤン・フートが展覧会に込めた社会的メッセージなど、さまざまな点でスライド・レクチャーで紹介されたドクメンタIXは、私がそれまでに国内で見ていた現代美術展と大きく異なっていたのです。

当時、「八王子ゼミ」と呼んでいた大学の研究室の合宿があって、毎年1回、2泊3日や1泊2日でセミナーハウスに泊まり込み、学部生から院生までがそれぞれの研究テーマの時代順に発表を行っていました。1993年2月の合宿で、私は「国際展と現代美術」と題して発表しました。

発表を行った時点で、私は国際美術展を実際に見てはいませんでした。発表内容も、国際美術展にどのようなものがあるか、それらが現代美術を考える上でいかに重要な役割を占めているか、といった点が中心でした。

実際に見たのは、1993年のヴェネツィア・ビエンナーレ第45回国際美術展が最初です。会期終盤の10月3日から10日までの8日間の滞在で、思えば、このとき長期間にわたって水の都ヴェネツィアを散策しながら、世界各国から集まった作家たちによる現代美術展を見て回る、という滞在生活を心底楽しんだのが、いいかたちで今につながったのでしょう。

探しにくい場所で開催されている国別の展示や、会期の短い企画展を見逃すようなことがあっても気にならず、すべての作品の写真を撮ろうとして時間に追われるようなこともなかったのは、学生だったから、の一言に尽きると思います。

昨年11月にYCAMの湯田アートプロジェクトのレセプションのために来山されたMonochrome Circusの坂本公成さんと森裕子さんにご挨拶したとき、同じ93年の第45回展を見ていた、という話で盛り上がりました。遠い昔の記憶だからこそ、人と共有できたときの嬉しさはひとしおです。


雑誌やネットの記事、スライド・レクチャーを通して国際美術展を知っているけれども、あるいはまた国内で開催されている横浜トリエンナーレなどへ出掛けたことはあるけれども、ヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタへ出掛けたことはまだない、という人は多いと思います。

若い人なら学生のうちに、仕事のある人なら家庭を持つ前に、夫や妻のある方なら子どもを授かる前に―いろんなタイミングがあると思いますが―いずれにしても、滞在日数に少し余裕がもてるタイミングで出掛けられることをお勧めします。


今年のヴェネツィア・ビエンナーレ第53回国際美術展は、6月7日(日)から11月22日(日)までです。

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カステッロ公園の並木道(正面奥にイタリア館、中空に元永定正《水》) 1993年10月3日16時頃(晴れ)


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