国際美術展・回想(8)

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2005年から2007年にかけての3年間は、文部科学省の科学研究費補助金を得て、シンガポールや上海、台北、ブリスベン、サンパウロなど、これまで出掛ける機会のなかった国際美術展も含めて集中的に見て回ることができました。

研究課題名は「国際美術展における脱欧米中心主義の興隆の経緯についての研究」と、やや長いのですが、文化のグローバリゼーションについて均質化や画一化でない側面を見ていこう、という姿勢を「脱欧米中心主義の興隆」という言葉に表したつもりです。

グローバリゼーションをもじったものか、「ビエンナリゼーション」という言葉があります。国際美術展について豊富な情報を提供しているドイツのサイト「ユニヴァーシズ・イン・ユニヴァース(Universes in Universe)」の編集者ゲルハルト・ハウプトが2000年頃に使い始めた言葉だと言われています。

『アートネクサス(ArtNexus)』という雑誌の現物は見たことがないのですが(コロンビアのボゴタで刊行されている雑誌のようです。武蔵野美術大学に英語版が所蔵されています)、ネット検索で国際美術展についての批評記事を見つけました。カルロス・ヒメネス(Carlos Jiménez)によるその記事は「ベルリン・ビエンナーレ―アンチ・ビエンナリゼーションの見本?(The Berlin Biennale a mode for anti-biennalization?)」と題されており、2004年7-9月号の掲載で、「ハウプトが数年前に使い始めた言葉だ」と指摘しています。そこから逆算して、私は2000年頃だろうと推測しているのですが(ユニヴァーシズ・イン・ユニヴァースのビエンナーレ・カレンダーも一番古い情報は2001年のものです)、この件については、いつか実際に本人に確認してみたいとも思っています。

私自身がハウプトのサイトでビエンナリゼーションという言葉を見つけたのは2004年2月16日より少し前です。ある論文の註にサイトを閲覧した日付を入れているので、そのことが確認できるのですが、否定的な文脈で語られていた、という印象以上のものを残していません。ビエンナーレ・カレンダーのページに添えられた数行ほどの短いコメントの中にあった言葉だったと記憶します。また、当時はビエンナーレ・カレンダーの表題の位置に「キャラヴァン」という単語が掲げてありました。キュレーターと美術家たちを隊商に見立て、同じ顔ぶれが世界中を旅している印象を喚起することをねらったものだと思います。このキャラヴァンの表示も2006年頃までは残っていましたが、今は過去の分も含めて削除されています。

結局、ハウプトがビエンナリゼーション―「ビエンナーレ化現象」と訳したいと思います―という批評を国際美術展をとりまく状況に投げかけた時点、確かに90年代を通して同質化の危機はあったと言えるかも知れませんが、むしろこうした否定的な側面は2000年代の実践の中で解消されていった、と考えることができると思います。

2005年の横浜トリエンナーレが「場にかかわる」ということを重視して個性化を図ったのと同じ問題意識が、他の多くの国際美術展でも共有され、実践されているように感じます。

日本国内だけを見ても、2009年の現在、横浜以外にも福岡や越後妻有、2010年に始まる「あいち」を含めて4つの大きなトリエンナーレがあり、ほかにも神戸や北九州、BIWAKOやUBEなどのビエンナーレがありますが、それぞれ実に個性的です。

2005年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の印象も2003年と一転してすこぶる良く、このとき初めて―文献上評判の悪い―日本館の人造大理石の床を目にしましたが、石内都さんの展示とよく映え合っていて、とても美しく感じました。

どんな状況にも創造的に対峙する、という取り組み姿勢が大切な気がします。

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ヴェネツィア・ビエンナーレ第51回国際美術展 日本館の展示風景=石内都「マザーズ 2000-2005 未来の刻印」 コミッショナーは現・東京都写真美術館の笠原美智子さん 2005年6月15日13時09分(外は晴れ)

※4月25日から6月14日まで、群馬県立近代美術館で「石内都 Infinity ∞ 身体のゆくえ」が開催されます。石内さんは群馬県桐生市のお生まれです。


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