国際美術展・回想(9)

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今年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展は77カ国が参加予定です(同展公式サイトより)。

この数は、国連加盟国が現在192、オリンピックへの参加国・地域の数が200強ですから、その1/3程度です。

ヴェネツィア・ビエンナーレは、現在開催されているものの中では最大の参加国数を誇りますが、それでも数の上では参加しない国の数の方が2倍近くある、ということはいつも心にとどめておきたいと思っています。この差は肯定的にも否定的にも考えることができます。

ところで、最近ヴェネツィア・ビエンナーレが開催される年とされない年では、はっきりとした違いが見られるようになりました。私は、同展が開催される奇数年を「表の年」、開催されない偶数年を「裏の年」と表現することにしています。今年は表の年であり、去年や2006年が裏の年です。

1980年代から国際美術展の開催は非欧米圏へと拡大し、90年代、2000年代を通して現在まで、欧米圏・非欧米圏を問わず増え続けています。そして、新設される国際美術展がビエンナーレ(2年ごと)である場合、その多くはヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展が開催されない裏の年に開催される傾向が見られます。また、表の年に開催される場合でも、同展が開幕する6月ではなく、9月から11月の開幕とし、競合を避けているように思われます。ユニヴァーシズ・イン・ユニヴァースのビエンナーレ・カレンダーを見ても、トリエンナーレも含めた2008年の開催数が32あったのに対し、今年2009年の開催数は約半数の17です。

つまり、国際美術展を見て回ろうとしたとき、裏の年は数が集中しているので、予算や日程の面で調整や熟考が必要になります。

そうした状況を踏まえて、複数の国際美術展の主催者が連携し、開幕日をそれぞれ少しずつずらすことで、関係者が一度のツアーで回れるような工夫が見られるようになってきました。

私の知る限り、そうした調整の最初の試みは、2006年のシンガポール、上海、光州の各ビエンナーレ間での取り組みだったと思います。そして、この時点では特に名称はありませんでした。

しかし同年秋には「トレ・ビエン」という名称のもと、イスタンブール、リヨン、アテネの3つのビエンが協力体制を打ち出しました。さらに、2007年には、ヴェネツィア、ドクメンタ、ミュンスターが重なる10年に1度の機会をとらえて、アート・バーゼルを加えた4都市を結ぶ「グランド・ツアー」が組織され、翌2008年には、シドニー、光州、上海、シンガポール、横浜の5つの国際美術展が連携する「アート・コンパス」、台北、広州、上海が連携した「三館互動」が誕生しました。

2006年には、日本でもA.I.T.とJALの共同企画で「3大ビエンナーレ・ツアー」の募集がありました。私もこのツアーに参加しましたが、A.I.T.の教育プログラムの受講生や、学芸員、新聞記者、美術評論家など職種や世代の異なるさまざまな方々と交流できて、とても貴重な体験となりました。

このツアーは2008年には同種のものが実現しなかったことを考えると、今後定着するかどうかまだ判断の難しいところですが、複数の国際美術展を比較することが、現代美術に対する新しい洞察へとつながる時代が到来している、ということは言えると思います。


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シンガポール・ビエンナーレ開幕式での草間彌生「ファッション・パレード」(パダン広場特設ステージ) 2006年9月1日21時27分(晴れ)

ブロガー

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